血の雨
∞
部屋の窓が割れる。
桃は、振り返らなかった。
そこには、伯母がいるからだ。
彼女は、玄関から上がってくる敵の相手が仕事だった。
しかし。
気配を消してさえいないにも関わらず、まったく階段を上ってくる様子がない。
何を、しているのか。
窓から飛び込んだ連中に追いたてられて、玄関に逃げてくるのでも待っているのだろうか。
「な、何事ですの?」
ぞわっとした。
階下から、女性の声が聞こえたのだ。
二階の硝子が割れたことに驚いて、使用人が出て来てしまったのだ。
あっ!
桃は、部屋を飛び出していた。
階段に向かい、駆け降りようとした瞬間。
どぉんと大きな、音がした。
その音と比べると、信じられないほど軽い音を立てて、人が倒れた。
鼻をつく、金属の焼けるような苦い匂い。
な、に?
玄関には、男が三人立っている。
三つの赤い小さな火を、それぞれ口の辺りにくわえているように見えた。
その火のひとつが。
階段の上の桃を見つけたように動く。
赤い火が。
ひとつ増えた。
チリチリと、踊るように燃える炎。
その火が。
弧を。
描いた。
桃に向かって。
「桃!!!」
身体が、物凄い力によって廊下へと引っ張り戻される。
窓からの襲撃を、片づけ終えた伯母のおかげだった。
ドォン!
階段の途中あたりで、物凄い音が響き渡る。
猛烈な風と何かの破片が、桃の真横をすっ飛んで行く。
魔法?
彼女の知るものの中で、一番近いものが、それだった。
※
「『爆弾』だな」
伯母は、壁越しに一度ちらりと階段を見て呟く。
それが何であるか、分かっているようだった。
聞き慣れない言葉で、さっきの出来事を指す。
「要点だけ言う」
悠長に説明してもらう時間は、確かにない。
「おそらく、火が根本までたどりつくと、本体が強く弾ける仕組みだ。火の線を切るか、距離を大きく取らないと危ないな」
原理は分からないが、魔法ではないようだ。
距離を保ちながら、相手を危険にさらす。
こんなものを。
異国の人間は持ち込み。
こんなものを。
ロジアやカラディは、おそれたのか。
「伯母さま…私、窓から出て飛び降りましょうか?」
正面きって飛び出すには、余りに危険が高い。
相手は三人。
まともに向かえば、爆弾とやらでやられてしまいかねない。
ぐるりと建物を迂回し、背後を取るのだ。
「飛び降りたところにも……いるぞ?」
伯母の助言に、頷く。
頭の悪い敵ではない。
正攻法の奇襲、逃走経路を押さえること、そして切り札。
基本は、全て押さえているはずだ。
「じゃあ……行ってこい」
伯母は、微笑んだ。
ああ。
桃は、肩の力がすぅっと抜ける感覚を、思う存分味わった。
いくつもの修羅場をくぐっても、伯母は修羅ではない。
太陽の下の自分の道を、しっかりと歩く人の笑みは、これほどまでに心強いのか。
「いってきます」
桃は──駆け出した。
※
バルコニーの下の庭には、多くの人の気配。
しかし。
火は、見えなかった。
爆弾持ちはいないようだ。
桃は。
こんなに高いところから飛び降りるのは、生まれて初めてだ。
トーのことを、思い出す。
彼が高いところから飛び降りる姿を、思い出そうとしたのだ。
筋肉と関節の全てを緩衝材にして、着地をするイメージを作る。
そして。
すぐに刀を抜くのだ。
息をひとつ吐いて。
桃は──飛んだ。
刹那の強い落下感に、意識を持って行かれないようにする。
すぐに。
本当にすぐに、地面が来る。
足の裏が、足首が、膝が腰が。
それらを極限まで曲げ、それでも耐えきれないことに気づき、桃は受け身のように地面に転がった。
二回転して飛び起き、同時に刀を引き抜く。
いくつもの剣が。
彼女に向け、振り出されている。
足!
桃は、強く地面を踏みしめた。
どこも痛めていない。
よし!
強く蹴る。
刃の下をかいくぐり──低い位置から斬り上げる。
血の雨ばかりは。
避けきれなかった。