ヤイクの戦い
@
エンチェルクは──ヤイクと二人きりだった。
この屋敷の女主人と面会できるよう、キクが渡りをつけてはくれたが、彼女は同席する気もなく、モモも今日は身体を休めた方がいい状態だ。
リリューが、政治的なものに同席するわけもなく。
結果的に、二人で待つこととなった。
この屋敷に来るまでの道すがら、モモはリリューに肩を借りながらも、この町で起きた経緯を話してくれて。
おそらく最低でも、6人以上の異国人が、この国に入り込んでいる。
ロジア、イーザス、ラベオリ、ユッカス、ヘリア、カラディ。
ロジアの名が出た時、エンチェルクは驚いたのだ。
彼女は、被害者ではないか、と。
片棒を担いでいる可能性は、あるかもしれないと思っていたが、まさか本人だったとは。
ひどいことをする。
言葉の分からない国に異分子を混ぜるには、子供がてっとり早い。
疑われることも少なく、言葉の吸収も早いからだ。
「特殊な訓練機関が、あるというわけか……なるほど」
ふと、ヤイクが一人ごちる。
興味深い声だ。
こういう声の時は、その制度を吸収したがっているように思えた。
この国でも、同じものを作ろうとでも考えているのか。
「諜報、密偵、内部調査……軍令府でもやってはいるが、いちいち腰が重いからな軍人どもは」
異国の虫退治より、よほどそっちの構想を考える方が楽しそうだ。
その構想が膨らむより先に。
ノッカーが鳴った。
ロジアの準備が済み、応接室へ案内するために使用人が来たのだ。
ヤイクの後ろを歩きながら、エンチェルクは緩やかに深呼吸した。
扉が、開く。
火傷の跡以外は、とびきり妖艶な女性が、そこには立っていた。
そして。
何故か、あの無精ひげの男──モモが言うところのカラディもいたのだ。
「よぉ……エンチェル」
開口一番。
嫌味のように、男は彼女を呼んだ。
ああ。
事情は、モモに聞いた。
どうもそのことを、カラディはネに持っているようだった。
※
「なるほど……」
ヤイクが、ゆっくりと唇を開いた。
どんな挨拶より先に、深い息をと共に、その言葉を吐き出したのだ。
「なるほど……もはや、隠す気はない、ということですね」
ヤイクの言葉が、戦闘態勢に入った。
それはエンチェルクに感染し、強い緊張を覚える。
モモの話では、この二人は別々に行動していて、一緒にいるところを見たことがないらしい。
その二人が。
揃って、都からの貴族に向かい合っているのだ。
「何のことでしょう? 彼は昔の友人です。都からお客様が来たと聞いて、是非会いたいと言ったので同席しているだけですわ」
閉じた扇で、口元をおかしそうに歪める女性──ロジア。
「それは失礼。それにしても、見事な言葉を使われる……いやあ、港町のわずかな訛りも愛らしいですな」
ヤイクが、ざらっと言葉で彼女の肌を逆なでる。
この国の方でもないのに、よく勉強なさったのですね。
エンチェルクでさえ、その言葉の中に含まれているものを、痛いほどに感じた。
「それは褒め言葉でしてよ。この町の訛りは、私にとっては愛すべき音ですもの」
ロジアは、痛い言葉さえ愛そうとしているように見える。
彼女の悲しみの破片を、エンチェルクが拾い上げようとした時。
そんな情緒とは、違う道を歩く男が、一歩彼女の方へと進み出た。
「たちの悪い冗談ですな」
ヤイクだ。
「あの過去を隠しておいて、愛とは!?」
エンチェルクは、いつでも抜く覚悟を決めた。
この男は、戦いに来たのだ。
言葉という、政治家にとって最上の武器を取って、国を守ろうとしている。
「何のことでしょう?」
存じません。
ロジアの冷たい反論に。
「そうでしょう…あなたに、あの過去があったことを認めるわけにはいきませんな。もし認めてしまえば、この町との愛も全て嘘になってしまうのですから……しかし」
ヤイクは、言葉の刃を振りかざす。
「しかし…あなたがどれほど忘れようとしても……」
応接室の温度が、急激に下がって行く気がした。
「あなたのその火傷の跡が、それを許さないでしょうな」
古傷を抉る──容赦ない一撃だった。
※
笑い声が、響いた。
ロジアのものではない。
男の、そして、何かを破裂させるような強い笑い方。
無精ひげの──カラディ。
「ロジアが、ここまで完膚なきまでにやられるのを見るのは初めてだぜ」
ぐいと、男はこちらを見た。
「なあ、貴族の兄さん。あんたが容赦ない人だってのは、よくわかった」
強い眼光。
「だが、ロジアは、もう十分罰は受けてる。少なくとも、俺たちよりはよっぽど痛い目にあってる……それで見逃せっていうワケじゃあないが、話し合いの余地くらい、用意する度量は見せろよ」
嫌な、感触の言葉。
わずか一握りの、異国の勢力。
自分たちを追い詰めると、この国にとって不幸な事が起きるぞ。
そう匂わせている気がした。
「では、まず認めることからだ」
ヤイクが、その気配に気づいていないわけではない。
だが、脅しに揺らぐ様子もない。
「『俺たちは、異国から来た人間だ』ということについては、答えられない」
塀の外周を三周くらい走ってくるような、回りくどい答えが返って来た。
だが、それはほとんど答えているも同然で。
ヤイクは、これまで彼らが何であるか、具体的に言葉にはしていない。
何もない状態で、彼らは具体的な言葉をあえて濁した。
すなわち、『そういうこと』なのだ。
これで譲歩しろ。
そう、この男は告げている。
「カラディ……」
仲間のひねくれた軽い口を、ロジアは閉ざそうとしたのだろうか。
それにしては、言葉が弱い。
ヤイクにえぐられた傷の痛みが、おさまっていないのかもしれない。
「ロジア……頭のいい奴は、取引をしたがる…モモを相手にするよりはマシだ」
すさまじい皮肉を、貴族の前で炸裂させながら、カラディは仲間に告げる。
モモ。
出てきた言葉に、納得してしまう。
どんな力も、真正面に受けて踏ん張ろうとする人間は、ずたずたにされても立ち続ける。
異国の人間にも、まっすぐな人間は、見分けられるのか。
※
「そう、私は頭がいい」
ヤイクは、カラディの皮肉を、更に強く打ち返した。
「そんな私が最初に言えるのは……対等な話し合いが出来ると思わない方がいい、ということだな」
この政治家は、二人をまったく信用していない態度を強硬に見せている。
半分ほどは、演技なのだろうと、エンチェルクは思った。
まずは、自分に有利な土俵へ相手を引き込むための駆け引き。
ヤイクは、本来柔軟すぎる貴族だ。
肩書も性別も、制度上は必要だと思っているが、深いところではこだわっていない気がする。
その相手が、今度は外国人になった。
彼らの情報を、本当は欲しくてたまらない。
だが、そんなものをちらつかせては、相手に足元を見られる。
一番最初のケンカで、相手の鼻っ柱をへし折ろうと考えているのか。
「俺たちを脅すと……生きてこの町を出られないぞ」
しかし、カラディは今度は堂々と脅しを口にした。
びりびりとした空気が、エンチェルクの緊張感を駆り立てる。
それは、痛いほどだ。
「やってみるがいい」
彼女から見えるヤイクの背中が、一回り大きくなった気がした。
カラディの右手が、ぴくりと動いた直後。
ロジアは、その手を制した。
「この町に、争いの種を持ち込むのはやめてちょうだい」
哀願ではない。
命令口調だった。
「この男に何かあったら、都の兵が出てきてよ。ここをもう一度、火の海にしたいの?」
彼女の言葉と扇を、カラディは手で押し戻す。
「悪いがロジア。俺はお前ほど、この町を大事にしてない」
睨みあう二人。
力関係に、上下は見受けられない。
それどころか。
自分は自分、人は人という、見事な個人主義の匂いが、そこにあった。
それに、祖国に対しての忠義が、一切見えてこない。
そんな二人を見て。
ヤイクが、クッと笑った。
毒にたっぷりとまみれた笑みだ。
「お前たちは……本当は何がしたいんだ?」
この男は──弱い部分を見逃さない。