猛獣の尾
∞
夕日とリクが旅立った、しばらく後。
桃は、町の孤児院へと向かっていた。
二つの縁が、彼女を時折ここへと導いたのだ。
ひとつは、ロジア。
もうひとつは。
「あら、来てくださったんですね」
明るい日の差す庭で、子供たちに囲まれる片足の女性。
「あ、モモだー!」
友達になった小さな子供たちに、沢山とびつかれる。
みな、とても元気だ。
「助かったわ……今日は一人お休みで、困っていたの」
松葉杖をつきながら、彼女──テテラがゆっくり近づいてくる。
「お客が来ているので、少し行ってきてもよいかしら?」
子供たちにもみくちゃにされながら、桃は大丈夫ですと頷きで返した。
「やな奴が来てるんだよ」
一番大きい男の子が、建物へと戻るテテラの後ろ姿を見つめ、ぶすっとした声で言った。
「何でー? カッコイイじゃない」
「かっこよくないよ。おっさんじゃん」
男の子派と女の子派で、微妙に食い違う論争が始まる。
「無精ひげが、かっこいいよねー」
「えー、私はそっちの人より、きりっとした方が好きー」
女の子の間でも、食い違いが発生しているようだ。
口を挟みづらい話だなあと、桃が、ちっちゃい子を振り回しながら遊んでいると。
建物から出てきた二人の男に、呼吸が一瞬止まった。
二人とも知っていたワケではない。
だが、片方は確実に知っていた。
あー、あれが無精ひげの方のおっさんね。
いやな納得をしながら、桃は視線の先に──カラディを見たのだ。
テテラと関わりのある男だ。
だから、会いに来たとしてもおかしくはない。
子供たちの様子からすると、何度か来ているようだ。
ということは、もう一人も。
桃は、カラディを放置して、もう一人の男を目に焼き付けようとした。
※
ロジアイーザスラベオリユッカスヘリアカラディ。
桃の頭の中には、その文字が丸呑みで押し込まれている。
子供の手を握ったまま、彼女はカラディの隣を見ていた。
油をたっぷり使って、前髪も横の髪も全て後ろに流している。
中季地帯の気候にも関わらず、妙に厚着の印象があった。
その男は、強くテテラを抱きしめた。
温かく慈しむ目を、彼女に惜しみもなく注いでいる。
いくつもいくつも優しい言葉をかけ、いたわり、名残惜しそうに離れる。
次の瞬間。
その身と顔が、外へ向けられた時。
視線は、まるで黒い矢のように鋭く、桃へとすっ飛んできた。
さっきまでのテテラに対する表情など、微塵もそこには残っていない。
視線の脅威にさらされながらも、踏みとどまった桃を、遅れてカラディが見つける。
「モモ……」
その表情は、前と違って歓迎していないものだった。
「あら、カラディ……モモを知っているの? たまに、遊びに来てくれるのよ」
何も知らないテテラが、嬉しそうに話を振る。
「どういう方ですか?」
男の声だけは優しげに、後方の女性に向けられるが、声と視線は真逆の色を帯びてモモへと向けられていて。
「ロジア様のところのお客様よ」
「ロジアの……?」
怪訝の復唱は、桃の警戒値を一気に引き上げた。
彼女に対して、尊敬のない呼び捨て。
それだけで、十分ではないか。
「ニホントウを腰に差して……遊びに?」
男は、ぴくりとも笑わなかった。
「護身で刀を習ってるんだとさ。ガチガチの箱入りだから、手ぇ出すなよ、イーザス」
男の背を、カラディが小突く。
イーザス。
これが、イーザス。
テテラへの愛は惜しみなく。
それ以外への憎しみもまた──惜しみなく。
カラディが、この男を引っ張って行ってくれなければ、いつまでもいつまでも睨み続けられていた気がする。
あの嫌な男に。
桃は、助けられたのだろうか。
※
「前に話したでしょう?」
二人の男が去り、テテラはたった今までいた彼らを、心の中に思い起こすようにそう言葉を紡ぎ出した。
「カラディは、国中を飛び回っていて、年に一度くらい会いに来てくれるの」
学者のお手伝いをしているそうよ。
彼女に育てられた子供たち。
本当の自分の子供のように、テテラには嬉しさと誇らしさが混じっていた。
「イーザスも調査のお仕事だったかしらね……子供の頃から、私の心配ばかりをしていたのがまだ抜けないみたいで。怖いと誤解されることもあるけど、とても優しい子よ」
それは、あなたにだけ優しいんですよ。
桃は、心の中の言葉を、あらぬ方を見ながらごくんと飲み込んだ。
カラディとは、質の違う怖さ。
何のコーティングもない、むき出しの敵意。
その敵意は。
「テテラフーイースルに近づくな」
桃を見逃しは、しなかった。
孤児院からの帰り道。
目の前に、イーザスが立ちふさがる。
カラディと別れた後に、ここで張っていたのだろうか。
だが、その言葉は。
どこか滑稽に感じた。
この男は、桃が何者かを知っていて、そんなことを言っているのではない。
うさんくさい人間を、彼女の側に近づけたくないだけ。
祖国からの命令が最優先だろうに、彼はテテラにこだわっている。
それも、やむを得ないだろう。
放り出された時、彼らはまだ子供だったのだ。
伯母は、ロジアは何かの訓練を受けた人間だと言った。
おそらく、子供にはつらい日々だったに違いない。
そんな彼らは、テテラに出会った。
ひどい怪我を負いながらも彼らを守り、言葉を教えた姉や母のような人間。
愛を覚えても、おかしくなどない。
「そんなに彼女を守りたいなら……そばにいてあげたらどうでしょう」
桃は、ひどいことを言った。
ただ、本心でもあった。
彼らを縛る異国の鎖を、どうにか引きちぎりたいと思ったのだ。
だが、
結果的に──猛獣の尾を踏んでしまった。