もやもや
∞
「話って……何ですの?」
ロジアは、あの応接室へ桃を通した。
彼女の、この町の子供たちへの愛と、そして寂しさの詰まった部屋。
「もうじき、私の従兄……菊伯母さまの息子が、この町に来ます」
ひとつ、桃は小石を挟んだ。
言葉を自然にかわしていくための、大事な足場。
「ああ……この町の生まれという子ですわね」
伯母が、何かの折に話したのだろう。
血のつながらない子供を育てている。
伯母のその経緯は、ロジアの心を揺らす風にでもなったのだろうか。
「そうです。その従兄ですが……」
置いた石を踏んで。
「都の貴族を一人……連れてくる予定です」
次の石を置く。
緩やかに緩やかに。
桃は、自分の心を静めながら、早口にならないように気をつけた。
言葉で、ロジアの横っつらをひっぱたきたいわけではないのだ。
「貴族?」
彼女は、考えているようだった。
どういう立場の貴族なのか、と。
荘園だけで暮らしている道楽貴族もいれば、役人に学者に肩書はとにかく幅広いのだ。
「まつりごとに携わる方です」
その中のひとつが──政治家。
母の知人で、テルの右腕。
おそらく、将来は賢者になる男だ。
「こんな港町に……一体何の御用がおありになるのかしら?」
桃の瞳を、覗き込む目。
真意を、見抜こうとするかのように。
「二十年前の……真実を知りたがってらっしゃるようです」
この言葉の意味を、ロジアは深読みするだろうか。
そんな。
桃の若い考えなど。
「あの悲しい日の出来事を、いまさら掘り返して……どうなさろうというのかしらね」
美しい衣装の裾で、軽く払われるだけだった。
※
桃は。
まだ、毒を吐かれるには、値しない人間。
夕日にも、ロジアにも手加減されるばかりの、小娘に過ぎないのだ。
だが。
「夕日様は、既にまつりごとから身を引かれていますから、ロジアさんとの対面は、ただの土産話で済むでしょう」
それで、すごすごと引き下がれなかった。
「ですが……今度来られる方は、現役です。いえ、おそらくこれから国の中枢で強い影響力を持つ方になります」
その人が、二十年前のことを知りたいと思うのは、決して酔狂な理由ではない。
政治的な意図があって、言っているのだ。
そう、ロジアに突きつけた。
「なあに? モモは、貴族の手先なの?」
強い言葉で、初めて押した桃は──警戒の毒に触れた。
これ以上、入ってくるなら毒まみれにするわよ。
足を引けと、彼女は言っているのだ。
「誰の手先でもありません。ただ、私はこの国で生まれ、この国を愛しているだけです」
一歩。
線を強く、踏み越える。
カラディに一歩踏み越えたように、彼女は毒の議論から逃げなかったのだ。
ロジアにとって一番の泣き所を、桃は逃さなかった。
この国を、愛していること。
それを言葉にすることに、彼女には何らためらいなどない。
だが、果たしてロジアはどうなのか。
桃は。
おそらく異国から来たこの女性に、目盛りのついた尺を突きつけたのだ。
扇が、ゆっくりと開かれて、ロジアの、口元を、覆った。
をほほと、小さく、彼女が笑った。
「国を愛するですって? 国にとって庶民など、ただの駒にすぎないのに、何を愚かなことを言っているの?」
毒と共に。
初めてロジアという人間の、衣装の裾がめくれた瞬間だった。
美しい脚に刻まれる、国というものへの憎悪。
桃は、しっかりとその脚を、目に焼き付けたのだった。
※
伯母の部屋に戻ると。
リクが、次郎を抱いていた。
あの男が、少し困ったように小さな身体を、ぎこちなく抱いている。
珍しい光景だった。
「ああ、戻ったか。ロジアはどうだった?」
伯母は、窓辺に立っていた。
ちょうど。
庭が一望できるところ。
ロジアがハチに絡んでいたのも、桃がそんな彼女と共に屋敷に戻ったのも、きっと見ていたのだろう。
「隙間を見て来ました」
桃の出来ることは、やった。
毒と引き換えに、見えたものもあったのだ。
彼女の祖国との隙間。
その隙間が、想像よりも遥かに大きいことが分かった。
ロジアは、本当の意味でこの国の国民になっていないが、自分の祖国は憎んでさえいる。
「夕日様が……」
リクは、抱いた次郎を見つめながら、ひとつ言葉を紡いだ。
「夕日様が、こうおっしゃってました。『あの女は、暇にするな。誰かに必要とされ、忙しければ忙しいほど良い仕事をする』と」
ひと呼吸おいて。
「逆に、『暇にした途端、誰かを巻き添えにして死ぬか、国をひっくり返すほどの悪事を企み出す』とも」
強烈な、善と悪の裏表。
歪んだ心を、かろうじて善に維持しているのは、この町の人たちの彼女への愛。
同じような強烈な力を、カラディにも見た。
持て余すほどの力を、彼らは持っている。
それを決壊させずに、この国のために使ってもらえるならば、とてつもない推進力を生み出せるに違いないのに。
もやもや、する。
希望を形に導くことが出来ない、自分の未熟な能力に。
桃は、もどかしい気持ちでいっぱいになるのだった。