二人の関係
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リリューにとって、エンチェルクは姉弟子になる。
彼女は、静かな人ではなく、静かになろうとした人だ。
その多くの理由は、伯母であるウメのために。
そんな彼女と、いまリリューは一緒に旅をしている。
将来、賢者になるはずの男──ヤイクを護衛して。
とは言うものの、もう歩く旅はうんざりだと、彼が自分の荷馬車を出したため、随分と楽な旅路になるようだ。
「君の故郷が襲われた日のことを、覚えているかい?」
荷馬車の中で、ヤイクはその話題をリリューに振った。
ちらりとエンチェルクが、非難めいた視線を彼に飛ばしたが、気にかける素振りもない。
「少しだけ……」
あれほどの鮮烈な光景は、忘れようと思っても忘れられない。
それどころか。
父も母も、忘れさせようとはしなかった。
あの恐ろしい日の上に、いまのリリューがいるのだ。
だから、エンチェルクが気を遣う必要はなかった。
「見なれない鎧を着た兵士が襲ってきて、町のあちこちから火の手があがり、みな逃げていました」
目を閉じると、黒と赤だけの世界を思い出す。
夜の闇の中で燃え盛る炎。
そして、同時に。
炎に作られた、母のシルエットを思い出す。
人から獣になり、そしてもう一度人に戻った瞬間だった。
ヤイクは、そうかとだけ答えた。
さすがに子供の記憶では、それ以上の情報は引き出せないと思ったのだろう。
そんな彼が、ふと何かを思いついたように、リリューを見た。
「ところで……君は泳げるのかい?」
刹那。
自分の全身が、深い青に包まれた気がした。
太陽の光が、割れて砕ける水面を見上げた、遠い遠い記憶。
港町で産まれた男は、産湯代わりに海に浸かる。
「おそらく……泳げます」
この身体は、泳いだことを忘れていない気がした。
「そうか……私は泳げない。もしもの時はよろしく頼む」
この国は、内陸にほとんどの人間が住んでいるため、一生泳ぎと無縁の人間も多い。
ということは。
リリューは、黙ったままの姉弟子を見た。
エンチェルクもまた、泳げないのだろう。
※
奇妙な、二人だった。
ヤイクとエンチェルクだ。
それぞれ、リリューと話はするのだが、お互い直接話をしようとはしない。
長い期間、一緒に旅をしていただろうに、これでよくうまくいったものだ。
だが、互いに対する嫌悪感のようなものを、感じることはなかった。
「私が行くところのひとつに、君の従姉と母が滞在しているんだったね」
現在の港町の状況を、まるで彼に勉強させるように、ヤイクはひとつずつ話をする。
まつりごととは無縁なリリューには、馬の耳に念仏のようなものだ。
それでも、ロジアという女性の話は、さすがに覚えてしまった。
この国に仇なした、異国の関係者ではないかと、ヤイクが睨んでいる人間だ。
しかし、母がそこに滞在している時点で、害のある人間だとはリリューには思えない。
子を産み、動けないという身柄を預けているのならば、なおさらだ。
「その君の身内に、私の対面の橋渡しを頼む」
ヤイクの言葉は、筋が通っているようで、実は全然通っていなかった。
確かに、リリューの第一目的は、母と新しい家族に出会うことだ。
そして、故郷をもう一度この目で見ること。
だが、自分は細かい話には向いていない。
それくらい、この男には分かっているだろうに。
わざわざリリューに頼まなくても、いるではないか。
彼女らと親交があり、言葉に長けた女性が。
エンチェルクを、見た。
まつりごとにも明るい彼女なら、すんなり話は通るだろう。
「私が……やりましょうか?」
彼女は。
リリューに言った。
その仕事を頼まれた自分から、引き受けようかと申し出ているのだ。
おそらく、エンチェルクはこの仕事をやりたいのだろう。
「……」
ヤイクは、答えない。
彼女の言葉は、本当にリリューに向けられたものだと思っているのか。
「……では、お願いします」
彼は、エンチェルクに託した。
仕事をもらえて、彼女は少し微笑んだ気がする。
難しい人たちだ。
この二人の関係を、リリューが理解するには、相当な時間が必要なように思えたのだった。