表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
222/329

クージェの道

 桃は、黙ってロジア側の端に立っていた。


 リクとクージェは、入口側の端へ。


「ようこそいらっしゃいました。こんな小さな屋敷で、お恥ずかしゅうございます」


 艶やかに微笑みながら、彼女は女主人らしく、美しい挨拶を振りまいた。


 そんなロジアの顔を、夕日はじっと見つめた後。


「町で一番愛されている女の顔を拝まなければ、土産話にもならぬからな」


 非常に失礼な言葉を、堂々と吐いてくださる。


「それは、良いお土産話が出来たでしょう……こんな顔の女ですもの」


 だが。


 ロジアは、ぞっとするほどの微笑みを浮かべながら、閉じた扇の先で、自分の火傷を負った方の髪を、持ち上げて見せるのだ。


 どうぞ、心行くまでこの跡を、見て行って下さいと言わんばかり。


 クージェだけが、その光景から目をそらした。


「いいや……美しい女だ。悪い秘密を持つ女は、とても美しくなるからな」


「領主様との関係のことを、おっしゃっているのかしら? それでしたら、秘密のうちには入りませんわ」


「さあ……どうだろうな」


 桃の胃をちくちくするような攻防戦が、目の間で繰り広げられている。


 普通に話している時とは、何もかもが違う。


 毒の使い方も殴り方も分かった上で、激しい応酬をしているのだ。


「いま……この町の若者が数人、異国へ行っているそうだが…知っているか?」


 次に、夕日が振った話は、思いがけない方向へ飛んで行った。


 彼女が心配しているものとは、真反対の話だったからだ。


「ええ、存じておりましてよ。あの子たちは、より遠くへ行く造船技術を学ぶために、群島国家へ勉強に行きましたの」


 桃は、入ってきた人間ばかりを気にしていた。


 しかし、逆もまたありえるのだ。


「遠くへ行く船か……ロジアとやらは、どこまで行きたいのだ?」


 言葉に、ふっと彼女は小さなため息をついた。


「世界の果てがあるのならば……行ってみたいですわね」


 祖国に帰りたいとは言えないにしても、他の国に行ってみたいという言葉でもなかった。


 世界の果て。


 誰もいない、何もない場所なのだろうか。


 そんなところへ行って──彼女は、どうしたいというのか。



 ※



「飛脚が来たぞ」


 胃の痛い対面が何とか無事終わり、部屋に戻ると、伯母が紙を持ち上げて見せた。


 居場所を、母に飛脚で連絡していたので、これまでも何度かやりとりはしていたのだ。


 封を切ると、中から手紙が2通出てきた。


 1通は、読めない文字で書いてある。


 日本語だ。


 伯母宛てだろう。


 次郎を抱えている伯母に、それを渡す。


「ああ、これは私宛てではあるが、半分はお前宛てだ」


 読みながら、伯母は不思議なことを言った。


 桃宛てだというのならば、もう1通の方に書けばいいのに。


 そう考えて、あっと気づいた。


 この国の人間が、誰も読めない文字。


 それは、秘密の情報のやり取りに、この上ない威力を発揮するではないか。


 ロジアの屋敷は、あくまでも仮の住まい。


 いつ移動するかもしれない。


 しかも、ここは他国の勢力のド真ん中かもしれないのだ。


 そんなところに、分かりやすいこの国の文字で、秘密の情報を送るわけにはいかないではないか。


「テルとハレが無事帰りついて、都に祭りが始まるようだな。それから……祭りを待たずに、リリューとエンチェルクとヤイクルーリルヒが、こちらの町へ向け、旅立ったそうだ」


 いよいよ。


 ロジアの話は、悠長に構えていられなくなった。


 夕日には話をしなかったが、テルの名代であるヤイクには、彼女はありのまま話さなければならないだろう。


 こちら側への取り込みを。


 桃は、そう進言するつもりだった。


 彼女には、その可能性があると、そう彼女は信じたかったのだ。


 そんな時。


 ノッカーが鳴った。


「少し、話が出来るだろうか?」


 クージェだった。



 ※



 桃は、クージェを部屋の中に招き入れた。


 二人きりならともかく、伯母と次郎もいたので、問題はないと思ったのだ。


 短い髪を、彼はとても恥じているように見える。


 桃のところに訪ねて来ながらも、まともに彼女を見ようとしないのだ。


 ソファを勧めたが、すぐに帰りたげに扉の側に立つ。


「私を、領地に戻すよう…夕日様に進言してもらえないか?」


 彼は、情けない声でそう訴える。


 夕日とリクとの旅路は、クージェにとっては苦痛に満ちたもののようで。


 イエンタラスー夫人宅の、あのぬくぬくとした生活が恋しくてしょうがないのだろう。


 かなり長いこと、彼らと同行している割には、あまり変わっていないように思えた。


「ただ、約束する。領地に戻ったら、もう決して無体なことはしない。真面目に良い領主になるよう努力する」


 答えられずにいると、彼は強い語調で痛切な訴えに変えた。


 ここが、最後の分岐点であるかのように。


 正直。


 桃は、まだ彼は帰らない方がいいと思った。


 学ぶべきものを身につけていない。


 そう、見えたのだ。


 なのに。


「そうか……それでは、私を負かせたら帰ってもいいぞ?」


 伯母が。


 さっくりと、二人の間に割り込んだのだ。


「伯母さま!?」


 驚いた。


 伯母の負けを考えたわけではない。


 クージェでは、負かすどころか対等の勝負も出来ないだろう。


 だが、いま伯母の腕には次郎がいる。


 次郎を守りながらでも戦える人ではあるが、こんなくだらない話で、我が子を危険にさらすのかと思ってしまったのだ。


 クージェの表情は、一瞬明るくなった後──暗く沈んだ。


「出来ません……」


 何の努力もせず、彼は伯母の提案から足をひいた。


 次郎を抱き直しながら、伯母の唇が意地悪げに微笑む。


 そして。


「ああ……それならもう、どこへでも帰っていいぞ。夕日殿には、私から言っておこう」


 あっさりと。


 伯母が許可を出したのだった。



 ※



「いろいろな人間がいるものだろう?」


 寝ついた次郎をベッドに戻し、伯母は大きくひとつ伸びをした。


 クージェが、驚きながらも喜び、さっそく帰り支度をすべく去って行った後のこと。


「強い人間と旅に出たからといって、みなが強くなるわけじゃない」


 少なくとも。


「あの男は、『こんな生活をするより、家で真面目に頑張った方がマシ』という結論にたどりついたわけだ」


 はぁ。


 伯母は、高みを目指す人だ。


 だが同時に、周囲の人間の目標には頓着しない人でもある。


 ここまででいい。


 そう考え、満足する人間を無理に引っ張り上げようとはしなかった。


 クージェは、もはや満足したということか。


「到着点は、その人間が決める。どこに線を引くも自由……変えるのも自由。いつだって決めるのは、本人だからな」


「到着点……」


 桃は、視線を落としてしまった。


 その線を、まだ自分は引けていない。


 伯母のような、剣士の高みを目指しているわけではない。


 母のような、まつりごとに携わる方向に進むのだろうか。


 父に会うという短期の目標は、既に到達してしまったが──その先が、まだ何もなかったのだ。


「だが、あの男は…ちゃんと躾られているから、そう心配することはないだろう」


 伯母は、眠る次郎を見た。


「子供を抱いた女に手を上げる気だけは、たとえ帰れなくなろうとも起きなかったようだからな」


 それを聞いて、少しは桃も安心した。


 低いハードルではあるけれども、クージェは多少はまともになったのだ。


「伯母さまがいてくださって、助かりました」


 心の線引きの出来ないままの桃は、複雑な気持ちを抱えながらも、伯母に礼を言った。


「私が邪魔なようなら、すぐに出て行くつもりだったがな…そうではなかったようだ」


 伯母は。


 悪い笑みを浮かべた。


 ええと。


「それは……ないです」


 困りながら答えたら──伯母は愉快そうに笑ったのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ