夕日
∞
桃は──夕日と向かい合っていた。
「お久しぶりでございます、夕日様」
まさに夕日が輝かしく差し込み、老人の頭に激しく反射する。
ツルツルの頭ふたつと、短いチクチク頭がひとつ。
この国で、こんな頭をしていて目立たないはずがない。
かくして、彼女は終わりかけの市場で、彼らと遭遇したのだ。
夕日とリクと──クージェだった。
イエンタラスー夫人宅の、跡継ぎ。
まさか、こんな頭にされているとは思わず、桃は最初誰か分からなかったのだ。
彼も、自分の頭を見られたことが恥ずかしいらしく、よそを向いて決して目を合わそうとはしない。
髪の毛を刈ったのは。
この人だろうなあ。
桃は、クージェに同情しながらも夕日を見るのだ。
「ああ、気にするな。すぐ伸びる」
視線で、言いたいことに気づいたのか、老人は簡単に言い放った。
髪を誰よりも大事にするイデアメリトスの元太陽に言われては、反撃も出来ないだろう。
「それより……ロジアという女を知っているか?」
ずずずいっと、夕日に迫られ、どきっとした。
この町を、ちょっと探索すれば、彼女の名前など腐るほど聞くことが出来る。
夕日の興味をそそってしまったか。
「は、はあ……いま、私が厄介にやっているお宅です」
桃は、あの衝撃的な自分の推理から、立ち直りかけてはいた。
しかし、まだその話を、本人にはできずにいたのだ。
知れば知るほど、彼女は『この町』を愛している。
そう、『この町』を。
言い方を変えれば──『この国』のためという言葉は、一度たりとも聞いたことがない。
彼女の忠誠は、この国にはないように思えて。
そんな彼女に、テルに協力して、他の仲間を裏切ってくれなんて。
とても言える話ではなく、ずるずると滞在日数だけが延びてしまったのだ。
そんな最中に。
「そうか……では、案内してもらおうか」
夕日が、来てしまった。
できればこの件は、テルにしっかりと説明して、彼に託したかった。
ロジアを、憎めないからこそ──そうしたかった。
※
ロジアの屋敷の庭には、伯母がいた。
次郎を抱き、ハチにかまっているようだ。
伯母は、桃の連れてきた客を確認すると、ハチを茂みへと下がらせる。
余計な色気を出されると、面倒だとでも思ったのだろうか。
「これは夕日殿……」
軽く会釈だけをする。
素晴らしき頭の高さだが、伯母だけに何らおかしくはない。
「ほう、赤子か…誰の子だ?」
「私の子です」
「ははぁ、なるほど。それでお前さんの生気は、この赤子に吸い取られたわけか」
「それが生き物の常ならば、私は何ら困りません」
夕日の棘を紙一重でかわしながら、伯母は暗に『余計なお世話だ』と言い返している。
夕日が『王道』ならば、伯母は『正道』
噛み合いそうで、絶対に噛み合うことのない二人に見えた。
「この屋敷の主人は、いい女か?」
そして、あけすけな聞き方を伯母にする。
桃にしなかったのは、彼女が若すぎたからだろうか。
夕日は、全てにおいて不遜に見えはするが、実は微妙に言葉の選び方が違う。
伯母に、これだけ奔放な言葉を使うのは、彼女ならばすべて満足のいく返しが出来ると思っているからなのか。
「いい女ですが……」
伯母は、言葉を止めて夕日を見た。
その視線には、やや信用ならない色が浮かんだ気がする。
「いい女ですが……つぶす気なら、いますぐお帰り頂きたいものですな」
桃のぎょっとする言葉を、真正面から叩きつける。
「はっはっは、もはや私にはそんな力はない」
頭も、こうだしな。
つるつるの頭を、夕日は軽やかな音を立てて叩いた。
「どうでしょうね」
伯母は。
まったく、夕日の言葉を信用していないようだった。
※
桃は、自ら先触れとなって、ロジアの部屋のノッカーを鳴らした。
どちらの味方か、と言われると、彼女はとても困った位置にいる。
この町の住人はロジア側だが、国にとっては限りなく灰色の部分にいる。
その判断は、桃には出来ない。
逆に。
その判断は、しなくていいと伯母は言った。
桃の心が信じるままに進めば、それでいいと。
それは、実はとても難しいことなのだと、彼女はいま痛感している。
ただ。
夕日が、どこまでの意図を持って訪問しているかはともかくとして。
伯母が余り信用していない夕日に、ロジアがひどい目にあわされるのだけは避けたかった。
「夕日様が、来られています」
招き入れられた桃は、ソファでくつろいでいた彼女に、まず告げる。
彼女は、怪訝そうに扇をたたんだ。
「何故、モモは夕日様を知っているんですの?」
「前の旅で出会ったことがあって、顔を覚えていただいている程度です…夕日様に興味を持たれているのは…あなたですよ」
素直に答えればいい。
桃は、すんなりと息を吐くに任せて、言葉を綴っていく。
「私……?」
「ええ、この町でちょっと話をすれば、必ずあなたの名前が出ますから。それで、居候させてもらっている私に、紹介して欲しいといらっしゃいました」
ここまでは、ただの事実。
「ふむ……夕日様が、わざわざ訪ねて下さったのだから、お断りをする道理がないわ」
喜ぶでもなく、恐れるでもなく。
ロジアは、まるでただの面会のひとつにしか考えていないようだ。
「ひとつ」
桃は、指を立てた。
彼女の視線が、その指先に飛ぶ。
「夕日様は……おそらく大変頭がよく、底意地の悪い方です」
人の悪口をずばっというのは、とても具合が悪い。
人差し指を挟んで。
ロジアと桃は、一瞬強く目があった。
直後。
「をほほほほ!!!」
弾けるように、彼女は大笑いを始めてしまったのだ。
桃は──本当に、一生懸命真意を伝えようとしたのに。