伯母
∞
「ロジアは、ここの領主の愛人だ」
ブーーーッ。
伯母の何気ない一言に、桃は出されたお茶を噴き出した。
この町のこと、二十年前の事件。
伯母に聞きたいことは色々あるが、まず彼女が最初に話し始めたのは、妖艶なこの屋敷の女主人のこと。
「既に領主の奥方は亡くなっている。身分の関係上、愛人という立場になっているだけだ」
未婚の桃には難しい話が、ひらりはらりと上から舞い落ちてゆく。
次郎は、おなかいっぱいになって満足したのか、小さなベッドでぐっすりと眠り始めていた。
「あの事件の慈善事業で、領主はロジアを見出したようだ」
二十年前の事件で、孤児になったロジアは、一時的に国に保護されたという。
この国の太陽は、あの事件を国難と考え、その被害者であるこの町に、手厚い加護を行ったのだ。
国の保護と言っても、実際にまつりごとの指揮を取るのは領主になる。
その時、ロジアの素晴らしい才能に、目がかけられた。
彼女はとても頭がよく、それが気に入られたというのだ。
領主が目をかけると、彼女はその能力をめきめきと伸ばしていった。
特に、商才に秀で、自ら飛脚問屋を経営するほどになる。
そして。
彼女は、領主に愛された。
あの火傷の跡があったとしても、それ以上にロジアは魅力的だったのだろう。
いまもなお、領主の愛を受けながらも、彼女はこの町の豪商として働いているというのだ。
それが、ここの女主人の略歴。
「はぁ……」
同じ女でありながら、その壮大な人生は、桃の想像を凌駕している。
都でさえ、商人の妻はいるが、女の商人などほとんど見ることが出来ないというのに。
「ここには、時々奇妙な商人も来る……私はもうしばらく滞在することにするから、好きにするといい」
伯母は。
都への帰還を、桃の仕事の後にしてくれるようだ。
「ありがとう、伯母さま」
礼を言うと。
伯母は、いままで見たことのない笑みを浮かべた。
あれが──母の笑みだろうか。
※
「ハチ」
庭に出た伯母が、遠い声を出した。
何かを呼ぶ声。
ガサガサと、茂みが揺れたかと思うと。
足をひきずった、四足の生き物が現れる。
桃は、初めて見るその生き物を、首をかしげてみていた。
茶色くて、耳がとんがっていて、顔が長い。
しっぽも長く、ふさふさした動物だ。
「山越えをしていた時に、狩人にもらった。狩猟に使う山追という動物らしい」
まだ子供らしく、小さくあどけないその生き物は、可愛らしく見えるが、とても賢いのが分かる。
「この山追は、事故で前足を折っていてな。狩猟に使えないからと、処分されるところをもらいうけた…次郎の、いい友達になるだろう」
ハッハッ。
伯母にすっかりなついているようで、息を弾ませながらも、ハチはちょこんと腰を下ろして彼女の反応を待っている。
妊婦が、山越え。
桃は、もはや突っ込む気も起きなくて、ハチに向かって微笑むしか出来なかった。
「足はこうだが、人よりも十分速く走ることは出来る」
伯母は、落ちている小さな木の枝を取り上げ、一度ハチに見せると、遠くに向かって投げた。
ヒャンッ!
奇妙な鳴き声をひとつあげて、ハチはすっ飛んでいく。
口に、枝をくわえて帰ってきたのは、それからすぐのこと。
ちぎれんばかりにしっぽを振り、自分の頑張りを見せ付けるのだ。
か、かわいい。
桃は、そのハチの姿に、メロメロになってしまいそうだった。
「帰りは、随分人数が増えるな。私と桃と、次郎とハチ」
苦笑ぎみに語る伯母に。
「もう一人……ソーさんがいます」
桃は、明るく空を指して見せたのだった。
ピューイ!
彼は、空で大きく輪を描いていた。
※
「キクは、珍しくてつい拾ってしまいましたわ」
応接室は、珍妙な部屋だった。
珍しいものや、ガラクタかと見まごうものが置かれ、統一感があったはずのロジアの雰囲気を、台無しにしていたのだ。
奇妙な形の動物の彫り物とか、へったくそな絵とか。
出されたお菓子も、何だか微妙な味がする。
そんなカオスな空間で、桃はロジアと二人で話をしていた。
自分が話したいと思っていたし、向こうもそうだったようだ。
伯母は、ひと眠りすると部屋に戻ってしまった。
「珍しさの塊でしたの、分かるでしょう?」
腰に刀を下げ、山追の子を連れ、そして出産寸前に旅の妊婦。
その情報を聞かされただけで、確かに珍しさ大爆発だ。
「山追の子は、めったに山から出されることはないのに、もらいうけられるなんて羨ましくて」
そして。
ロジアは、桃に言ったことと同じようなことを、伯母に言ってしまったという。
『その山追を、私にくれるのなら……』
勿論、妊婦の伯母は、荷馬車を飛び降りようと──ああ、伯母さま。
桃は、心の中で照れてしまった。
妊婦なことを考えると、尚更無茶苦茶なのだが、伯母と同じ行動を取ったといわれると、ちょっとだけ嬉しかったのだ。
「そうしたら今度は、尾長鷲を連れた娘に出会うし……あなた方の血は、一体何ですの?」
呆れながらも、少しの羨望がその声にはある。
「はぁ……でも、ロジアさんも風変わりみたいですよね。飛脚問屋の御主人だと伺いましたが」
さすがに愛人の方を、口に出すことは出来なかった。
そして、極めつけのこの部屋を見回してみせる。
とても普通の感性では、この空間は作れないだろう。
「仕事は、所詮仕事に過ぎませんわ。情報を集め、正しく使えば、自然と成功するものでしてよ。この部屋は……」
そこで、彼女の言葉が一度止まった。
「この部屋のものは……私の子供たちからの贈り物ですわ」
『子供たち』──その表現には、何か微妙な音が含まれている。
何だろう。
少し、悲しそうに聞こえた。




