コーと景子
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「鳥と話しているの?」
エンチェルクは、木の上のコーに向かって語りかけた。
彼女の上の方の枝に、珍しい大きな鳥が止まっている。
美しくたくさんの色の羽と、長い長い尾の鳥だ。
都では見かけない、綺麗な鳥。
梅が、どうもコーではなくて、本当に鳥がいるようだと言ったので、エンチェルクは見にきたのだ。
木は、多くの葉がついているおかげで、ぱっと見には分からないが、真下から見上げると確認が出来る。
「そうです。この鳥は、森で人に追いかけられて逃げてきました。慌てて逃げてしまったので、人の多い都に来てしまって困っています」
コーもまた、困っているようだった。
本当に、鳥と話が出来るかのような内容だったが、もはや驚きはしない。
彼女は、魔法が使えるのだから。
トーは、歌以外のそれを周囲に見せることはまったくない。
だが、まだ成長途中の彼女は、どれを隠せばいいのか分からないのだろう。
危険だわ。
エンチェルクは、彼女を心配するのをやめられそうにない。
特異な能力を見せれば見せるほど、テルの好奇を惹く気がしてならないのだ。
テルは、この国をよりよくするためには、手段は選ばないだろう。
少なくとも、使える人間の能力は、全て引き出して使う性質だ。
エンチェルクには、彼女のことを報告しない自由はあるが、一度気づかれたら彼女を守る自由は少ない。
「太陽妃様に相談しましょうか?」
だから。
コーには、庇護がいる。
テルが、うかつに手を出せないようにするために、一番有効なのはそこではないかと思った。
「太陽妃様?」
きょとんと、コーは首を傾げた。
「ええ、ハレイルーシュリクス殿下のお母上です。あの御方なら、その鳥のことも守れるはずです」
ぱっと。
彼女の表情が、明るくなった。
「ああ、景子のことですね。そうですね、景子に聞いてみましょう」
エンチェルクの表情は、少し重たくなる。
言葉は、とにかく丁寧になったのだが──人の名前だけは、いまだにこの有様だった。
※
「こんにちは、景子」
「こんにちは、コー」
にこにこにこにこ。
エンチェルクは、この二人の会合に立会いながら、つい苦笑を洩れさせてしまった。
コーが型破りならば、太陽妃もやはり型破りだったのだ。
そして、どちらにも天真爛漫さがあった。
毎日を、幸せだと思って暮らしているのが、心の底からにじみ出ている。
「鳥を安全に森に返したいのですが、景子には出来ますか?」
コーが木を見上げると、太陽妃もそれに倣った。
「この鳥は、私を信じてついてきてくれるかしら」
さすがの彼女も、鳥は専門外らしく自信なさげだ。
「私が、一緒にいきます。きっと、彼女もついてきてくれると思います」
懸命に話すコー。
そんな彼女を、太陽妃はゆっくりと見つめた。
硝子の向こうの瞳は、とても優しげで。
「それじゃあ、この鳥に聞いてもらえるかしら? 遠くて時間はかかるけれども、誰も人のいない森がいいのか、近くて人がいても追われる心配のないところがいいか」
太陽妃は──とても魔法の存在に慣れていた。
イデアメリトスの妃であり、トーの知り合いでもあり、そして、自分自身も何らかの力があるという。
だから、そんな奇妙な質問でさえ、当たり前のように出来るのだ。
さえずりが聞こえる。
大きな鳥らしい、少し低くて長い音。
その音を出したのは、鳥ではなくてコーだったが。
樹上の鳥が、答える。
エンチェルクの耳にさえ、答えに迷いがあるように聞こえるのは、コーに毒されたせいか。
彼女が、首を斜めに傾ける。
右に、左に。
「景子、近いところに、私は自由に行き来出来ますか? 出来るなら、人がいてもいいそうです」
「そう、ではあなたが自由に出入りできるようにしましょう」
彼女の言葉に、太陽妃は笑顔で応えた。
※
太陽妃の森。
そこに、エンチェルクは初めて足を踏み入れた。
彼女は、宮殿の裏庭に、自分の森を持っていたのだ。
その横には、温室がある。
「昔ね、このまんなかに太陽の実を植えたのよ。名前の割に、日差しを嫌う木のようで…でも、残念ながら根づかなかったわ」
本当に、太陽妃は残念そうに語った。
そのために森を作ったのか、とエンチェルクは納得した。
そして。
この宮殿の中の森を、あの鳥の住まいにしていいというのだ。
鳥に連れ添ってきたコーが、空を見上げると──円を描くように飛んでいた美しい鳥は、そこで納得したのか舞い降りてきた。
「ここなら、誰もその鳥を追うことはないわ。ただ、時折人が見つめていくかもしれないけれども、それは許してね」
「大丈夫です、景子。彼女は、少しですが都で人に慣れました。梅やエンチェルクイーヌルトがいても、逃げませんから」
あたたかい日差しのように、太陽妃とコーが微笑み合う。
「太陽妃様……」
そんな彼女に、エンチェルクは声をかけた。
お願いがあったのだ。
「コーの、後見人になっていただけませんでしょうか?」
その言葉に、コーはきょとんとし、太陽妃は首を傾げた。
「コーは、権力者が欲しがる特異な力を持っています。そして、彼女は見ての通り、純真です。私は、コーに人を嫌いになって欲しくないのです」
人は、人を騙す。
人は、人を利用する。
そんな精神的な駆け引きに、彼女が巻き込まれたならば。
人を嫌って、それこそコーが森にひきこもってしまうかもしれない。
少なくとも、テルにはその素質があった。
「私に、後見人はいりませんよ」
なのに。
コー自身に、否定される。
「梅は、私に言いました。『山本の名のつく皆が、あなたの友達ですよ』と。良い友達がいるので、後見人はいりません」
エンチェルクが、ぽかんとしていると。
太陽妃が、吹き出した。
「やだ……梅さん声真似……そっくり」
まだ──その癖は、治っていないようだった。
※
「ヤマモトという良い友達がいるので、後見人はいらないそうです」
ウメにそう言うと、彼女は珍しく弾けるように笑った。
「ああ、そう……それは光栄だわ」
本当におかしくてしょうがなかったらしく、咳き込むまで笑うのだ。
「太陽妃様は、何ておっしゃったの?」
その咳がおさまって、ようやく梅は次の言葉を紡いだ。
「はい。『そのお友達の中に、私の名前も入れてくれるかしら』と」
事実上。
後見の話を、了承するという返事も同様だった。
ただし、肩書が「友達」というものになるのだろうが。
「そう……でも、私はそれほど後見のことは心配する必要はないと思うのよ」
家の外で、コーが歌っている声がする。
その声に耳を傾けるように、ウメは目を閉じた。
「コーは、好きなところへ好きなように、旅が出来る素質があるもの」
そう遠からず。
コーが、どこかへ行ってしまうようなことを言う。
トーと同じように、流浪の人間になるというのか。
だが、あの娘は。
「彼女は……ハレイルーシュリクス殿下の……」
桃が、言っていた。
コーは、かの君の思われ人なのだと。
旅を成功させた太陽の息子として、ハレはイデアメリトスの一員として重用されるだろう。
好き勝手に都を離れて、コーと旅をすることも出来ない。
そうなれば、彼女の方が都にしばりつけられ続けるのではないか。
「エンチェルク……人の恋は、常識的なものばかりではなくてよ」
その言葉に。
ああと、エンチェルクは胸を締め付けられた。
ウメ自身が、その常識の外にいる。
キクもまた、常識の線など越えて行く人だ。
そんなことを、人が傍から心配する必要はないのだと。
しあわせのかたちは、本人が決めるのだと。
心配性なエンチェルクには、まだそれが骨の髄から理解出来てはいないが、目の前にいるウメという名のしあわせのかたちが、心配はいらないというのだ。
それならば。
コーという人間を、信じて見守ろう。
そして、自分も強くならなければ。
テルに──意見が出来るほどに。