旅は道連れ?
∞
東の港へ向けて旅立った桃が、最初に気づいたのは──鳥だった。
大きい鳥が一羽。
偶然だろう。
きっと偶然だ。
偶然に違いない。
そう思いはしたが、どうにも毎朝その鳥が近くにいるのだ。
彼女が、ちょっと無理して夜も歩こうとしたら、鳥目のくせに、あちこちぶつかりながらもついてこようとする。
それで、確信した。
この鳥は、桃についてきている。
うーん?
鳥に、知り合いはいない。
鳥を寄せるような、動物的才能も自分にはないはずだ。
だが。
鳥に知り合いがいそうな人間には、ほんの少しだけ心当たりがあった。
コーだ。
木の上で鳥の声がしたかと思ったら、彼女だった。
そんな話を母から聞いた時は、ただの笑い話程度だと流したが。
よくよく考えると、鳥と同じ鳴き方が出来るということは、鳥と同じ言葉をしゃべっているということではないのだろうか。
人の言葉を母から習うように、彼女は鳥や獣の言葉も覚えたのかもしれない。
「コーに頼まれたの?」
桃は、木の上のその鳥に語りかけた。
濃い褐色と羽に、灰色の胸。
金色と黒の丸い瞳と、強そうなくちばし。
逃げはしないものの、まばたきをしながら首をかしげるだけ。
「そっか」
桃は、照れくさくなった。
自分はいつのまにか、コーに心配される立場になってしまったのだ。
こっそりと、鳥の友達をつけられてしまうほど。
そして、桃は。
一人と一羽の旅となった。
「ソーさん、今日も張り切って行きましょうか」
名前がないのも寂しく思い、彼女は鳥に呼び名をつける。
相変わらず、思いついたままの名前の付け方だった。
※
ピューーイ。
ソーが鳴いた。
余り鳴かない鳥だけに、桃は空を見上げる。
どんよりと曇った空。
ソーは、大きく桃の上空で輪を描いた。
街道の脇の森から、男が顔を出したのは、桃が空から視線を下ろした次の瞬間。
30前くらいのその男が、辺りをうかがうような素振りをした時。
桃と、目が合ってしまった。
相手は、ぎょっとはしなかった。
だが、一瞬だけ忌々しそうな表情を浮かべた気がする。
誰にも会いたくなかったようだ。
「若い女が、一人旅かい?」
癖のある伸びかけの黒髪に、褐色の肌。
無精ひげは、わざとなのか面倒くさいからなのか。
「ちょっと親戚のところまで…」
軽く受け流す。
「そう警戒しないで、俺は動物や植物の調査をしていてね…森や山の中に分け入ってるだけさ」
肩から提げるずた袋を、彼女に向けてちらっと開けて見せる。
確かに、植物の葉などが多数押し込まれていた。
植物の?
太陽妃やジリアンのことを思い出して、桃はそこに引っかかった。
彼女ら以外にも、植物について調べている人がいるのか。
言葉を飲み込みかけた桃は、しかし、そうするのをやめた。
その言葉を、丸呑み出来ない何かがあるように思えたのだ。
挙句。
「女性一人だと危ないだろうから、次の町まで送っていってやろう」
などと言い出す。
気軽に肩に触れようとしてきたのを、ささっとよけた。
「殿方と一緒に歩くと、母に叱られますから」
あなたを警戒しているのは、怪しい人物だからではなく、男だからです──そういう意味を言葉ににじませ、桃は彼から距離を取った。
だが。
「ぶっ、ぶわははははは!」
そんな彼女の嘘は、男を大笑いさせただけだった。
※
「ああ、悪かった……ここまで箱入りに育てられた女性に会ったのは初めてで」
ひとしきり笑い転げた後、男は両手を上げて三歩ほど下がった。
「だが、本当にこの街道は最近物騒でね……女性一人を歩かせることは心配なんだよ」
もしも。
出会いの一瞬が、ああいうものでなかったとしたならば。
桃は、彼を信用したかもしれない。
それに、いまの彼女はソーがいるとは言え、見掛け上は一人旅だ。
相手の心の底にある何かが分からない人と、一緒に歩くのはごめんだった。
「俺の名前は、カラディアエブリム。長ったらしいから、カラディでいい。さっきも言った通り、動物や植物の調査で国中を歩いている」
正式に名乗る事により、怪しいものではないということを、桃に示そうとしている。
ああ、そうか。
彼女は、何故さっきこの言葉を丸呑み出来なかったのかという理由に、ようやく気付いた。
「調査は……誰に頼まれたんですか?」
そう、ここ。
普通に考えて、調査だけではお金など稼げない。
このカラディという男が、生きて行く食費や生活費は、一体どこから出ているのか。
彼は、ひゅうっと口笛を吹いた。
「頭がいいね。この自己紹介をして、そんなことを聞いて来た女性は、君くらいだ」
ほめられても、これっぽっちも嬉しくはない。
「お金持ちだよ。貴族の学者だったり、商売人だったりね」
彼の言葉に、ホックスが思い浮かんだ。
「貴族の学者は、屋敷を出たがらない人間が多くてね。彼らの代わりに歩いて調査して報告をすると、お金がもらえるのさ」
なるほど、もっともな理屈だ。
お金のための調査。
どちらが主か従か。
桃には、この男をうさんくさく思った理由が、そこにあると考えた。
彼には、植物や動物への愛情が溢れているようには、とても見えなかったのだ。
太陽妃やジリアン、または学ぶことそのものを好きなホックスと、全然方向が違う。
調査をしていると言ったが、この男の肩書は──商人と言っていいだろう。
※
「エンチェルクイーヌルトです…」
桃は、まだ身を引いたまま名乗った。
心の中で、エンチェルクに詫びながら。
桃の名前は、余りに短すぎて。
この男に、余計な質問を与える材料になりかねなかったのだ。
勿論、桃は自分の名に何ら恥じるところはない。
しかし、興味を持たれたくない相手を、出来るだけ早く引きはがすためには、嘘くらいつける。
「了解、エンチェル……でいいかな? 綺麗な都言葉だな」
彼女がどれほど警戒していても、カラディはまったく頓着しない。
いや、わざと頓着していないのだろう。
警戒を警戒として受け取ったら、話がそこで終わってしまうからだ。
まだ、桃の情報を必要としているのか。
ここまでこの男に与えた情報は、嘘の名前と、親戚のところへ行くということ。
そして、都言葉。
少しずつ桃という人間が、この男の中で多少の嘘はあるものの構築されていく。
「あの……本当に一人で結構ですから」
これ以上、情報を持っていかれるのは不気味に感じて、桃は本当に関係を断とうと思った。
そんな彼女の言葉など、聞いちゃいないカラディは、ぽんと手を打った。
「あっ、そうか…誰かに似てると思ったら」
まったくもう。
しつこくて困っている最中。
彼は。
こう。
言った。
「テイタッドレック家の人に似ているのか」
心臓が、鷲掴みにされそうな瞬間を、彼女は全身で踏みとどまった。
そして、桃は意味が分からないと首を傾げてみせたのだ。
一世一代の──大芝居だった。