東へ
∞
「ハレイルーシュリクスは、お元気でしたか?」
コーは。
表情と言葉が食い違っている。
母は、彼女の情緒を抑えようという気はなかったらしい。
だから、どれほど言葉は綺麗になってきても、弾けるような笑顔と好奇心の瞳に陰りはなかった。
「ええ……でも、コーに会えなくて残念がっていらっしゃったわよ」
言葉に、彼女は嬉しそうだった。
にこにこの度合いが、更に増しているのだ。
会いたがっている。
そう思われていることを、純粋に喜んでいるのだろう。
「桃は、次はいつハレイルーシュリクスのところへ行きますか? 私も一緒に行きたいです」
感情がふわっと浮いたようで、言葉の気配も浮く。
「コー……私は旅に出なきゃ行けなくなったの。だから、しばらく殿下のところへは行けないのよ」
言葉が進むごとに、浮きかけた表情から空気が抜けてゆく。
しょんぼり。
「でも、エンチェルクが、時々行くはずだから、その時に一緒に連れて行ってもらうといいね」
その表情が、またふわーっと浮いて行く。
「分かりました。エンチェルクイーヌルトにお願いしてみます」
言葉と表情の格差のすさまじさは、桃を笑わせてしまいそうなほど。
母も、もうちょっと柔らかい言葉で、止めてあげればいいものを。
「桃の旅は、一人で大丈夫ですか?」
その言葉が、ふっと自分のために投げられて、桃は慌てた。
まさか、心配をされるとは、思ってもみなかったのだ。
「大丈夫よ、伯母さまのお手伝いに行くだけだから」
桃の説明に、コーの表情が微妙に曇る。
「本当に……それだけですか?」
言葉の中に、コーはどれほどのものを汲みとっているのか。
「お仕事も、ひとつ頼まれたわ。昔の話を聞いてくるお仕事よ」
嘘をつかなくていいように、桃は出来るだけ分かりやすい言葉を使った。
リリューの人生を変えた事件のことだけに、彼女にとっても多少思うところはある。
「一人で大丈夫……これは、私のお仕事だから」
代わりに、桃ははっきりと彼女にそう言いきったのだ。
「分かりました」
コーは。
にこにこと笑った。
※
「よし」
桃は、旅の準備を整えた。
ハレ達との旅の間、こまごまとしたことは彼女の仕事で。
そのおかげもあって、旅に必要な荷物、携帯食料についての知識は、既に自分の感覚の一部となっていた。
通過する街道、町の数、距離。
全てを頭に叩き込み、桃は家を出ることにしたのだ。
残るのは、母とコーとエンチェルク。
人を少しずつ変えるものの、この家はまた女三人になるのだ。
「菊の所在は、町の名前までしか分からないけれど……まあ、誰なりと知っているでしょう」
母も、その点についてはさして心配はしていないらしい。
伯母のトレードマークは、山本家に伝わる日本刀だった。
しかし、それは今はリリューに受け継がれている。
丸腰を心配して、鍛冶屋の門下生が新しい刀を伯母に届けたという。
新しい刀の伯母。
刀を腰にさげ、子を産んだ女性。
そのふたつの要素があれば、探すのは難しくないように思えた。
「無茶はなさらないように」
エンチェルクからは、心配の言葉を。
ただ、伯母の手伝いに行くだけではないと、知っているからだ。
桃も、その点については、詳しく話を聞いている。
テルたちが、ひどく気にかけている20年前の事件。
本当であれば、リリューが行きたかっただろう。
伯母の見舞いも、弟妹との初顔合わせも、そして自分の過去も。
だが、リリューは必ず来る。
彼の仕事が終わったら、きっと来ると桃は疑っていなかった。
「気をつけて、いってらっしゃいませ」
コーが、まるで夫を送り出すかのように丁寧な言葉をかけてくれる。
笑ってしまいそうになるのを、やっぱりこらえる。
「気をつけて行ってきます」
そんな女性三人に手を振って。
桃は、東へと旅立ったのっだった。




