ひどい男
∠
都の隣領に入った時。
テルは、一番最初に領主の屋敷へは向かわなかった。
向かったのは。
「何しに来たの?」
怪訝の塊の瞳で自分を見る──オリフレア。
そう、彼女の屋敷に向かったのだ。
「都合があってな。しばらく滞在させてくれ」
応接室の長椅子にどっかりと沈み込みながら、テルは大きな一息をついた。
誕生日まで、残り三月程。
それまで、毎日ハレと顔を突き合わせていてもいいが、復路の旅路でテルもいろいろ考えていたのだ。
政治的に有能なヤイクと話し、武術的に有能なビッテと剣を交わしながらも、彼は先のことに考えを巡らせていた。
テルは、太陽を継ぐつもりだ。
父親が強硬に反対しない限り、そうなることに揺るぎはない。
だが、太陽になるまでの間、おとなしく都にこもっているつもりはなかった。
行くべきところが、いくつもある。
それを、出来るだけ早く可能にするために、テルは自分のすべき仕事を、早回しで準備していくことにしたのだ。
「都合? 一体、何の都合があるっていうの?」
まだ伸びきっていない自分の髪を、少し恨めしそうに見つめながら、オリフレアは言い放つ。
「俺の都合は……お前だ」
そう。
この我がままで、口も悪くて、態度も横柄な女に、テルは用があったのだ。
「は?」
さすがのオリフレアも、彼の言葉は不意打ちだったのだろう。
珍しい間抜け顔を、拝ませてくれる。
「都合というのは、お前だと言っている」
テルの未来の計算の中に、彼女が入っている。
「俺は、都に戻ったらゆっくりした時間は取れない」
だから。
テルは、長椅子から身を起こし、上体を向かいのオリフレアの方へと少し傾がせながら、こう言ったのだ。
「だから……さっさと俺の子を宿せ」
重そうな置物が飛んで来た。
※
「面倒臭いな、女は」
テルが言うと、ヤイクは盛大に笑い倒した。
投げつけられた置物は、彼を直撃することはなかったが、結果的には応接室を追い出される羽目となったのだ。
「我が君が、まさかそこまで直球で行かれるとは思わず、助言しておりませんでした」
ヤイクからすれば、テルの行動は余りに無謀に映るのだろう。
「大体、太陽妃になりたいと言い出したのは、向こうだぞ? 子を産むことは、大事な役目だろう」
子が先か、婚姻が先かなど、テルにとってどうでもいい話だ。
事実、母も双子を産んだ後に、ようやく結婚したのだから。
「日向花殿下は、本当は太陽妃の地位を欲しがっているんじゃないと思いますがね」
ヤイクが、奇妙なことを言った。
世界に一つしかない肩書を、それを手に入れられる位置にいる女が、本当は欲しがっていない?
「我が君、お忘れなきよう……彼女は女性なのです。いえ、これだと世間の女性に失礼ですね。日向花殿下は……自分を幸薄い人間だと思っている女性なのです」
その言葉には、ヤイクらしいたっぷりの皮肉が込められていた。
「『とてもかわいそうな私は、どうやったら幸せになれるのかしら』」
彼の声で女の真似は、正直聞きたいものではない。
しかも、意地の悪い表現の毒が、たっぷりとそこにまみれている。
「『太陽妃になれば、国中の人間に、太陽妃様と慕われ大事にされる人間になれるのかしら』」
ヤイクの掠れた甲高い言葉に、テルは頭を抱えた。
勿論、その声がカンに障ったということもある。
だが、その内容の余りに幼稚なことに、頭が痛くなったのだ。
母は、特別製だ。
あえてきっぱりというならば──珍種だ。
オリフレアが今のまま、母になり変わることなど、到底出来るはずもない。
そんなことも、あの女は分からないのか、と。
「我が君……核心を見誤ってはいけませんよ」
ヤイクが、普段の声に戻すように咳払いを二度三度。
「彼女は、太陽妃になることが目的なのではなく」
そこから先は、言われなくても分かった。
オリフレアは──誰かに愛されたいと渇望しているのだ。
※
「何しに来たの?」
何度、会おうと根回ししても拒むため、テルは直接オリフレアの部屋を襲撃した。
待っていたのは、手負いの獣のような女だった。
既に、右手には髪が握られている。
彼に向かって、魔法をぶっ放す気なのか。
ああ、面倒臭い。
テルは、深く息を吐いた。
『愛』なんてものを、ひどく勘違いしている。
十分満足のいく、分かりやすい愛だけを、この女は『愛』と思っているのだろう。
幼児の癇癪と、何ら変わりないのだ。
「昔……女が一人いた」
テルは、彼女の態度を完全に無視して、勝手にソファに背中を投げ込んだ。
「太陽の妹という地位の、血筋だけは立派な女だった」
大きく足を組む。
ついでに、腕も組んだ。
そして──オリフレアを見た。
「女には、好きな男がいた」
ヤイクは、無駄なものまで色々と知っている。
真実のかけらを拾い集めて、不完全ながらに絵を描くのだ。
その絵を、テルは彼の言葉の中に垣間見た。
「その男は……イデアメリトスじゃない。だから、産まれる子は、祝福されないだろう。だから、子を作ろうとしなかった」
オリフレアの表情が、こわばる。
だが、テルは悲壮感を高めるために、こんな昔のことをほじくり返しているわけじゃない。
「矛盾してると思わないか? じゃあ何で……いま、お前は『イデアメリトス』なんだ?」
そう。
彼女は、イデアメリトスの正当な血筋と認定されたのだ。
「私が望んだからよ!」
「そうだ、お前が望んだからだ!」
オリフレアが掘る穴に、テルは即座に彼女を突き落とした。
「お前は望んでイデアメリトスになった…誰がそれを叶えた!? 誰がお前をイデアメリトスにした!?」
組んでいた腕を解き、彼女に指を突きつける。
その気に押されるように、オリフレアの身が後方で傾いだ。
「は、母よ……だから何だっていうの!?」
落ちた穴の中から──彼女は吠えた。
※
「お前の母は……お前をイデアメリトスにした」
本来ならば認められないことを、オリフレアの母は強引にねじ込んだのだ。
「お前が望んだことを叶えるために、お前の母は、荘園をひとつ売り飛ばした。お前の父にするイデアメリトスの傍系のジジィを買収するために」
『当時、私はまだ何でも自由に調べられる年齢や立場ではありませんでした』
ヤイクは、言った。
彼の叔父である賢者や、梅サイドから漏れ入る情報。
そして。
ヤイクのしつこいところは、大人になった時、自分が子供の頃に理解できなかった事象を紐解いて、改めて飲み込み直すのだ。
「お前の母は、無茶をした。無茶には、代償がつくものだ」
気丈にこちらを睨みつけるオリフレアなど、わずかも恐ろしくはない。
「前太陽を説得する代償が、一番大きかった……」
父と違って、祖父は良い意味でも悪い意味でも、見事なイデアメリトスだ。
横車を押してくる妹など、本来歯牙にもかけるまい。
前太陽の出した要求は。
「月の連中の命を、2千」
テルは、指2本を立てた。
「これが、前太陽が課した、お前をイデアメリトスにする条件だ」
旅の間に出会ったあの連中を、2千!?
途方もない数字に思えた。
「2千もの月の人間を呼び寄せるには、どうすればいいんだろうな?」
テルは、全部は言わなかった。
自分をエサにしたのだ。
そして、かの女性もまた、魂の底からイデアメリトスだった。
娘に、甘ったるい愛など囁くことよりも、敵を倒すことにより愛を成就しようとしたのだ。
「お前の母は……何年もかかってやり遂げたぞ」
見事な、生き様だった。
「し……」
オリフレアは、ぶるぶると震えている。
濃い褐色の肌が、傍から見てはっきり分かるほど青ざめているのだ。
「し……知らない、知らない知らない! そんなこと知らない!!」
ヒステリックな悲鳴が、彼女の部屋をこだまする。
「いちいち、そんなことをお前に言うか、馬鹿」
テルは──ひどい男だった。