滞在
∠
盗まれた種の話は、商人から異国へと飛び。
そして、あの事件へと飛んだ。
飛躍しすぎかもしれない。
だが、一笑してしまうには、種が盗まれたことが矛盾してしまうのだ。
確かに、東の群島の人間に売買を持ちかけることは可能だろう。
しかし、向こうは耕地面積が少なく、魚介類、自生する芋・果物で生活をしているはずだ。
そんなところに、広々とした畑のいる穀物を植えようと思うのか。
だが、『あの国』ならば、それがありえるかもしれない。
いまだ、誰も解読できない文字でしたためられた書簡が、ひとつだけ王宮にはある。
そう、解読出来ないのだ。
その国の人間が、いないのだから。
国の名前さえ、分かることはない。
東の群島よりも、遠く遠くからきた人間。
追うことなど、出来ない。
何故ならば、この国の船の能力では、群島までさえもたどりつけるかどうか分からない程度なのだ。
この国は、海洋国家ではない。
大陸国家ゆえに、必要のないものの成長や発展は停滞する。
他国が遠すぎる、ということもまた、その発展を阻害するのだ。
だが。
その遠い遠いところから、船がたどりついた。
見たこともない、巨大な船だったという。
その船を作りうる技術、航海術を持つ国が、この国をただ荒らしに来ただけだというのか?
二十年。
父は、沿岸の警備を固めるべく兵を配置し、沿岸を警戒する船を増やした。
それが、間違っていたとは思わない。
あの時代には、それが当然の仕事だっただろう。
だが、何故だ。
ヤイクの想像の話と、父のとった行動には、大きなな隔たりがある気がした。
敵がただの蛮族ではなく、全てを計算し尽くした狡猾な国だとしたら。
だとしたらこの二十年──あの国は、一体何をしていかというのか。
※
「た、頼まれただけなんですよー……ほんとにほんとです」
ビッテに抑えつけられて悲鳴をあげていたのは──飛脚の男だった。
二日ほど、テルはその村に滞在していた。
盗難事件が気になったためだ。
ビッテとエンチェルクが、交代で畑の夜番をしていた時。
この男が、網にかかったのである。
「詳しいことは知りませんーあいたたた……言います言います」
とぼけようとする男は、ビッテに腕をひねられてあっさり陥落した。
雇い主の商人の名を聞き出す。
勿論、目的までこの下っ端が、知っているはずもなかった。
「あの、不揃いの盗み方は、何度か別件で盗みに来た跡でしたが……やっぱりまた来ましたね」
ヤイクのため息が、空へと消える。
「別件と言うことは、それぞれ別の商人が欲しがっているということだな」
「ええ……問題は、その別々の商人から、種がどこへ流れるか、です。違う勢力に行くのか、はたまた…ひとつに集められるのか」
ヤイクは、そこで言葉を切った。
「おかしな話だな」
彼の話は、とても奇妙に感じられる。
ひとつの勢力が欲しがっているだけならば、これほどいくつもの盗難の跡はないはずだ。
一か所に、依頼すればいいだけ。
そうすれば、さして怪しまれることもなく盗めただろう。
「たとえば……商人がたくさん集まる会合があったとしましょう」
ヤイクの言葉は、少々芝居がかっていた。
さあお立ち合い、と言わんばかりだ。
「勿論、そこで交わされるのは商売の話です。さて、もしその会合で非常に権力のある人間が、ぼそりと『あれ、欲しいなあ』と言ったら……どうなるでしょう?」
その人間に取り入るべく、商人たちは我れ先にと盗んで献上しようとするだろう。
他の商人たちを、少しでも速く出し抜いて。
いや、そんなことが大事なのではない。
いま。
ヤイクは、核心を鋭く突いたのだ。
「お前は既に……入り込んだ人間が、権力者の側になっていると考えているのだな」
※
「泥棒退治、ありがとうございました」
役人と農夫が、翌日旅立とうとするテルたちのところへと見送りにやってきた。
「また来るかもしれん……刈り取りまで、交代で夜番をした方がいい」
テルの言葉に、二人は顔を見合わせた。
困惑気味だ。
「そうしたいのは山々なのですが…人手が足りません。明日には、他の穀物の収穫が始まります」
刈り取りという重労働の後、更に夜番となると、農夫たちも負担が大きいだろう。
「あたしがやろうかね……」
困っている二人の後ろから、よろよろとした足取りで老婆がやってくる。
「かあさん……何を言ってるんだ」
農夫が、慌てて母に駆け寄った。
警備というには、あまりに頼りない身だ。
「盗む奴がきたら、悲鳴をあげればいいだろう? それくらいなら、婆にだって出来るさ」
身体の衰えの割には、頑固に言い張る。
「あの畑は……この国で一番最初に水入れがあった兄さんの畑だよ。いまは、太陽妃様の畑だ。そこから盗みを働くなんて許せないんだよ」
二十年ほど前。
母の伝説は、古くはない。
ほんの二十年ほど前ならば、この老婆はまだ中年の女性だったろう。
「太陽妃様を、ご存知ですか?」
言葉を発したのは、ヤイクだった。
テルが、知りたがっているとでも思ったのだろうか。
お節介な男だ。
「ええ……奇妙な人だったねぇ」
老婆は、おおらかに笑った。
その言葉で十分だ。
老婆は、本当に母に会った。
でなければ、この一言は決して出ることはないだろう。
「奇妙な人だったけど……あの年から、この村は変わったんだよ。噂を聞きつけて、息子も帰ってきてくれたし」
しょぼしょぼと目を細めながら、老婆は農夫の息子を見る。
「そんな大きな恩があるっていうのに…畑の番ひとつ出来ないなんて…太陽妃様に怒られてしまうだろ?」
母が聞いたら、『怒りませんよ』と言いそうだ。
「そうか……では、畑を頼んだぞ」
だが。
頼もしい畑番になりそうだった。
村中に響き渡る大きな声で、きっと彼女は叫ぶに違いない。
テルは、そうして──母の道を後にしたのだった。