新たな芽
∠
「帰路も順調ですので、ひとつ立ち寄りたいところがあるのですが」
ヤイクは、街道を一本外れることを、テルに進言した。
それを、エンチェルクは耳に留める。
彼は、気まぐれや無策で、そんな進言をする人間ではない。
何か意図がある。
彼女は、その気配を察知して、いち早く言葉の奥にある本当の目的を知ろうとした。
「思いつくことが一つだけある……だが、それだけの理由で、道を変えるとは思いづらいがな」
テルは、鋭い目を持っている。
既に、心当たりはあるというのだ。
「だとしたら、殿下の情報は古いのではありませんか?」
聡明な主君に対して、ヤイクはずけずけと言い放つ。
テルは苦笑しながら、続けろと視線で彼を促した。
「この南側の細い街道の村では、今年から新しい穀物が、試験的に栽培され始めています」
その状況を、直に見て行きませんかと──そう、ヤイクは提案しているのだ。
穀物。
その言葉に、エンチェルクは引っかかった。
いや、その言葉の後ろにあるもの、と言った方がいいか。
「そうか……では、俺の情報はやはり古かったようだな」
テルは、そこで一息ついて。
「てっきり、母が一番最初に水入れの儀を行った村に立ち寄るのかと思ったぞ」
エンチェルクにも、うっすらと記憶にある話をした。
モモが読んでいた、神殿が出版した本の中にあったのだ。
あれは。
おとぎ話ではない。
誇張されてはいるが、本当にあったこと。
「合ってますよ……同じ村のことですから」
おとぎ話ではなく太陽妃のした事は、いまも脈々と続いているのだ。
「分かった……南へ行こう。その後また、街道に戻ればいいだろう」
結論が出た。
往路で、ひたすら先頭を戦いながら驀進したテルたちは。
ここでようやく、寄り道をすることとなったのだった。
※
「ああ、あれでしょう」
ヤイクの指差した先。
金色の穀物畑の間に、ひとつだけ金褐色の穂が揺れている区画がある。
その側の地面に、座り込んでいる男が二人。
「どうでしょう……報告した方がよろしいですかな」
「と、とりあえず、細かいことまで報告した方がいいと言われてますから…しときましょうか」
そんな地面の側で、ひそひそと交わされる会話に、テルはふっと笑みを洩らした。
「精が出るな」
声をかけると、二人は驚いて立ち上がった。
一人は、三十歳くらいか。
身なりが、それなりにしっかりしているところを見ると、この村の長の子か、はたまた下級役人か。
もう一人は、四十歳ほど。
いかにも、働き者の農夫と言った様子だった。
「あ、え、ええと……どちらさまでいらっしゃいますか?」
若い方が、ヤイクを見ながら言った。
彼の髪は、大分伸びてきていたのだ。
いまさら切る気はないらしく、それなりに貴族っぽく見えるせいだろう。
ヤイクは、都から視察に来たと、適当に答えている。
一応、テルの旅の足取りは、公然の秘密であっても秘密には違いないのだ。
若い方の男は、この村の長の三男であり、下級役人の肩書を得ていた。
自分の人を見る目は、どうやら確かなようだ。
「いま、二期目なのですが……順調です。病気もありませんし」
ただ。
男は二人、顔を見合わせている。
テルは、畑を見た。
よく見ると。
ところどころ、畑がハゲている。
道に近いところから、ぽつぽつと隙間があいているのだ。
病気だろうか。
テルは、その隙間を覗き込んだ。
ぽっこり地面に、穴が穿たれている。
そう。
まるで。
引っこ抜かれたかのように。
「ただ……どうも、誰かが盗んでいるようなんです」
怪訝な二人は、視線を合わせながら首を傾げたのだった。
※
「どう思う?」
農夫の伯父の家は、空き家だった。
後継ぎに恵まれず、そのまま主を失ってしまったという。
だからこそ、その畑は一時的に国に接収され、中季地帯の試験畑として使われているのだ。
その家を今夜の宿として、テルたちは借りることにしたのだ。
「そうですね……」
ヤイクは、少々不機嫌な面持ちだった。
新しい穀物が盗まれているという話は、予想以上に彼にとっては深刻なように見える。
「新しい珍しい穀物……収穫間近なものを盗む…何が目的だと思う?」
しかし、すぐには答えなかった。
代わりに、噛み砕いたかのような説明と共に、疑問を投げ返した。
自分にではない。
テルは、それにもう慣れていた。
答えるのは。
「食べるため……ではないですね。そうだとするなら、盗む量が少なすぎます」
エンチェルクが、思考をゆっくりと回すように、一つの選択肢を消した。
そう。
答えるのは彼女。
誰も口に出して指摘しないが、結果的にはヤイクの良き生徒となっている。
「種を取る……ためでしょうか?」
その唇が、はっとその言葉を捕まえた。
ヤイクの唇の端が、それにわずかにだけ反応する。
「新しい穀物の種を必要としているのは、誰か?」
面倒くさい奴らだ。
テルは、頭の上を飛び交う問答を、あらぬ方向を見ながら聞いていた。
直接、お互いを見ることもせず、呼び合うこともせず、独り言の繰り返しのように言葉を投げ合う。
「商人でしょうか? でも……うまくいけば国中に広がる種ですから、取っても価値はないかと」
エンチェルクの言葉は、疑問の中に沈んだ。
確かに。
農民は、ありえないだろう。
何しろ色の違う穀物だ。
勝手に栽培すれば、すぐにバレてしまう。
そんな危険を冒す必要などない。
商人も、植えられない種など盗んでどうなるのか。
いや。
商人なら、利用方法はあるな。
一瞬。
テルとヤイクの目があった。