頬の理由
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20日。
ハレは、都に向けて旅立つことにした。
この屋敷に来た時と、変わらないのはホックスだけ。
他の人間はみな、何か心の中に変化が生まれているようだった。
桃は、晴れやかな顔をしている。
見送りに出てきたテイタッドレック卿と、愛しげに視線を交わす様は、二人の関係を知らない人間が見たら、誤解をしてしまうのではないだろうか。
こっちをちらちらと見ているのは、コー。
ハレの言葉が、何かしら彼女に影響を与えたのだろうか。
それが、いい方向なら嬉しいことだ。
そして。
「……」
この屋敷で、何をしていたのか一番分からない人間が、リリュー。
前回は、ここの息子に殴りつけられていたが、今日もまた少し頬を腫らしている。
晩餐にも出ず、貴族とは自分から関わることのない彼だけに、何があったのか聞いてみたいとハレは思った。
リリューという人間の世界で、この二夜の間はどんなものだったのか。
少なくとも、退屈な時間ではなかったようだ。
『野猪の子に蹴られたとか……?』
彼の頬のことで、屋敷を出る前に桃が首をひねりながら説明してくれた。
野猪?
ハレには、その意味は分からなかったが、モモ自身も分かっていないようだ。
何か。
リリューが、見つけた。
その高い視線が、あらぬ方向を見て、止まったのだ。
ハレが、それを追うと。
遠くの建物の物陰から、誰かが身体を少しだけ出していた。
余りに遠いので、ふたつの情報しか、ハレには分からなかった。
灰色の髪をしていること。
女であること。
そうか。
灰色野猪に蹴られたか。
ハレは、薄く微笑んでいた。