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嘘つき

 空には。


 満月。


 今日は、最初から彼女はそこにいた。


 いつもの定位置に座って、歩いてくるリリューを見上げている。


「強いのね」


 一番最初に、彼女は言った。


「……」


 やはり、あれは気のせいではなかったのか。


 リリューは、モモの父との手合わせの時に感じた視線を、思い返したのだった。


 ということは。


 彼女は、剣を振るっている人間が、いまここにいる自分だと分かったのだ。


 確かに、あの背の高い男たちの中で、リリューだけが髪が短かったが。


「女の人も、剣を持ってるんだ」


 答えない彼に、話が進んでいく。


 モモのことだろう。


「従妹だ」


「そう……強い血筋なのね」


 その声には、羨望が混じっていた。


 いや、血は関係ない。


 そう言おうかどうか考えたが、リリューの唇など、彼女に追いつけるはずもなかった。


「私の血はね……お金と引き換えに、地獄を選んだ馬鹿な一族のものなの」


 彼女の深い深いため息が、こぼれ落ちる。


「勉強って……残酷よね」


 満月が、リリューに影を落とす。


 その影の中で、彼女はぼんやりと言った。


「しきたりだって言われていた本当の意味を、知ってしまえるんだもの」


「……」


 意味が、分からない。


 リリューは、彼女を見おろすだけだった。



 ※



「話したい……か?」


 彼女の中に、何かがわだかまっているのは分かる。


 それを、内側にとどめておくのを、とてもつらく思っているのも。


 刀を握る以外は、でくの棒程度の自分だが、彼女がしゃべりたいというのなら聞くことくらいは出来ると思った。


「わからない……どうしたらいいか、よくわからないの」


 もはや、この家の後継ぎという障害は取り除かれて、昨日の彼女はとても嬉しそうだった。


 なのに、今日の彼女は憂鬱そうだ。


「……」


 リリューの方が、どうしたらいいのか分からない。


 ただ、こうして彼女の前に突っ立っているのは、どうにも間抜けに思える。


 それに。


 見上げた態勢で、心を開いて話をする気にはなれないだろう。


 リリューは。


 腰の刀を鞘ごと抜くと、地面にすっと座り込んだ。


「え……ちょ……」


 驚く彼女を気にせずに、そのまま彼女を見つめる。


 腰を据えて話をする気が、こちらにはあると。


 そして。


 どれほどでも待つと。


 そういう気持ちが、伝わればいい。


 しばらく、彼女は困って戸惑っているようだった。


「……雪って……見たことある?」


 長い長い時間の後。


 ようやく、彼女はそう言った。


 雪。


 この国の、南限と北限の辺りで降る、凍った雨。


 知識では頭の中に入っているが、見たことは──


「ない」


 暑さは知っていても、ひどい寒さとは無縁の生活だった。


「私は、毎日毎日見てた。ここからずーっと北の限界線の町……それが、私の生まれた町なの」


 何を思い出したのだろう。


 彼女は、大きくぶるっと身を震わせた。



 ※



「毎日毎日ずっと寒くて、女は出歩きたがらず、男はのんだくれが多い町なの」


 寒季地帯。


 そこが、彼女の生まれた町。


「駐留の兵士は、結構いるわ……でも、うちの町に送られてくるのは、何かやらかした鼻つまみ者ばっかり」


 言葉には、何もかもうんざりという響きが詰まっていた。


「そんな兵士が、問題なく生活できるようにするには、ある程度の規模の町が必要だったんでしょうね。だから、あの町は作られたの」


 町の成り立ちに関わるほど、さかのぼった話。


 彼女が言うのは、こうだ。


 その町で、兵士は見張らなければならないものがあった。


 だから、兵士の数はある程度必要だった。


 彼女たちの一族は、元々もう少し南に住んでいたが、国に金を積まれてから、その北限の町へ移住したという。


 400年ほど昔の話。


 見張らなければならないもの。


 それは──国の敵。


 極寒季地帯に、彼らは住んでいるという。


 魔法を使えるという少数民族だ。


 一生、北限から出てこないことを引き換えに、彼らは命を永らえたのだ。


 イデアメリトスは、口約束を信じたわけではない。


 だから、その町が出来た。


 彼らが、北限から出てこないようにするために。


「お金に目がくらんで、地獄へ行ったのよ……寒い寒い地獄の町。毎年、国から補助も来るし、適当な仕事でも暮らしていける」


 住民の男は、町から出ることは禁じられている。


 女が許されたのは、町内結婚が続いて、血が濃くなりすぎるのを防ぐためや、兵士と結ばれる者がいたため。


「だって、あんな寒いところ、誰だって逃げ出したいって思うわ。でも、逃げられたら町として成り立たなくなるから、お金としきたりで縛りつけられてるのよ」


 彼女の先生は、歴史に非常に精通した人だったようだ。


 勉学を通じて、自分の町の成り立ちを知り。


 そして。


 女だけは出られるという、そのしきたりの裏をくぐりぬけて、ここへ来たのだ。


「雪が降らないって……分かる?」


 彼女は、夜空に向かって両手を広げた。


 その瞳が。


 微笑みながら、リリューを見た。


「それだけで……楽園にいる気分よ」



 ※



「でも……そんな楽園に来て、思い知ったことがあるの」


 広げた手を自分の側へと戻し、彼女は指を組む。


「400年も太陽より遠いところで暮らしたせいで……私達は、太陽に嫌われたんだって」


 その指を、強く握り合わせた。


「私の髪の色……分かる?」


 この満月を持ってしても、はっきりと色は分からない。


 せいぜい、黒ではないと理解出来る程度。


「くすんだ灰色よ……艶もなーんにもない、みすぼらしい鼠と同じ色」


 400年前は、黒だったはずなのに。


 絶望に満ちた声だった。


 髪。


 この国の貴族や女性にとっては、とても大事なそれ。


「坊ちゃまは言ったわ……『何て醜い髪だ』って」


 前髪を引っ張り、彼女は残念な過去を思い出している。


「太っているのは……沢山食べないとすぐ死んじゃうって言われて育ったから。向こうにいる時は、もう少しやせてたのよ。でも、こっちでいつも通り食べてたら、こんなになっちゃって」


 何かを、一生懸命リリューに力説している。


 髪が灰色なのは、長い間雪の降る町にいたから。


 太っているのは、寒いところに住んでいたから。


 自分が醜いことには理由があって、それは私のせいじゃない。


 彼女は、そう言いたいのだろうか。


 リリューは、首を傾げた。


 彼女が、自分の容貌に不満を持っているのは分かる。


 自分の血筋や、生まれ故郷にも。


「それで……どうしたいんだ?」


 そこが、リリューには分からない。


 自分が、そんなことには興味がないと言うのは簡単だ。


 彼にとっては、本当にどうでもいいことで。


 だが、彼女にとっては大事なのだ。


 ならば、その大事を、彼女はどうしたいのか。


「綺麗って言われたい……いいえ、醜いなんて言われなければそれでいいのに」


 しょんぼりと、ため息をつく横顔。


「……何色でもいい」


 何とか言葉に乗せた一言は。


「嘘つき」


 一刀両断された。


 嘘じゃないのに。


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