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姉弟

 この旅路で。


 もはや、会うことはないと思っていた。


 それでいいと、桃は思っていた。


 しかし、そう思っていない人間がいたのだ。


 おそらく──エイン。


 最初の頃の彼は、桃に手厳しかった。


 彼女が、どこの馬の骨とも知れない女の娘で、父に会わせたくないと思っていた。


 それ以前に。


 エインが得るべき父親の愛情が、桃へと流れて行くことを、とても不快に思っていたのだ。


 そんな男が。


 桃を、『彼』と引き合わせたのだ。


 名前は知っている。


 いま、彼が呼ばれている世間一般の名。


 テイタッドレック卿。


 エインの父にして、夫人の北の地の領主。


 貴族にして、剣術家。


 そして、そして。


「何から……話せばいいのだろうな」


 初めての、声。


 想像していたものよりも、低くはない。


 都と同じ、素晴らしい発音。


 ずっと会わなかったのは、向こうも同じ。


 桃が、挨拶以外言葉を探せないように、彼もまた同じなのだ。


「父上……」


 そのぎこちない空気を裂いたのは──エインだった。


「どんな社交辞令よりも、まず、言うべきことがあるのではありませんか?」


 ため息混じりに、父に助言を送るのだ。


 こんな父親など、見たことはないと言わんばかりに。


「あー……」


 ごほんごほん。


 卿は、喉の調子を整えるかのように、咳払いをした。


 そして、桃を見る。


「モモ……我が娘よ。会えて、本当に嬉しく思っている」


 あ、れ。


 桃は、拍子抜けしてしまった。


 あると思っていた体裁上の壁が、そこになかったのだ。


 何のためらいもなく、彼は自分に向かって『我が娘』と呼んだのだ。


『テイタッドレック卿』と、呼ばなければと思っていたのに──



 ※



 おかあ、さま。


 目の前に、テイタッドレック卿──父がいて、自分を我が娘と呼んだ。


 どんな書類の上の文字よりも、それは大切な言葉。


 壁にかかる肖像画の中の母は、微笑んでいる。


 ちょうど。


 本当にちょうど、父の隣のあたり。


 まるで、そこに二人寄り添っているかのように、桃を見ている。


 前に来た時、その絵を見て、桃は心が引き締まった。


 心強くも感じた。


 でも、今は。


 父とそうして並んでいる瞳は、とても優しく自分を見てくれているように思える。


 やっと。


 やっと桃は、自分が来たいと思った場所に、たどりついたのだと──いま、ようやく分かったのだ。


「おとうさま……お元気そうで何よりです」


 唇を、奮い立たせる。


 そして、ついにそう呼ぶことが出来た。


 涙は、出ない。


 胸が、とても温かいものでいっぱいになったけれども、それは桃を感傷的にはさせなかったのだ。


 微笑む夫人と、複雑そうなエインを前に、ついにお互いを親子として呼び合うことが出来た。


 それで、本当に十分だった。


「しかし……本当に私の血筋に似たのだな。これなら、誰が見ても私の子であることを疑うまい」


 その言葉は、感心したような──それでいて、少し残念そうな響きを持っていた。


 愛する母に似ていて欲しかったのだろうか。


「ええ、まったくですわね。御子息と並ぶと、本当の姉弟のように見えます」


 夫人の賛同に、つい桃はエインの方を見てしまった。


 向こうもまた、こちらをちらりと見る。


「私の子である事実が必要な時があれば、使って構わない。私は、何一つ否定などしない」


 そんな父の言葉には、多少閉口した。


 これまで、桃が誰の子であるか、そんな肩書が必要となることなど、まったくなかったのだ。


「領主の娘というには、余りに至らないことも多く、おとうさまに恥をかかせるかもしれません」


 辞退申し上げます。


 それを、母流の言い回しで答えたら。


「中身は、間違いなく梅に似たな」


『梅』


 父の呼んだその名は──とても美しい、日本式の呼び方だった。



 ※



「ありがとうございます……会わせてくれて」


 ゆっくりとした父との話は、また晩餐の後に時間を作ってくれることになり、桃はエインと共に応接室を出た。


 そして、彼に礼を伝えたのだ。


 エインの協力なしでは、きっと会うことは出来なかっただろう。


 桃という人間を認めて、夫人宅に到着するタイミングで、父に連絡を入れて呼び寄せてくれたのだ。


「もう邪魔したりはしない……いつでも屋敷に来るといい」


 複雑な表情は、いまもその顔からは消えていない。


 しかし、エインはそんな自分の心を、乗り越えることに決めたに違いない。


 これから、幾度となく父と会うことを許したのだから。


「そう……ですね。でも、人の口に戸は立てられませんから」


 一度や二度会って、さっと帰るくらいなら構わないだろうが、こんなテイタッドレックの血がはっきりと出ている自分が頻繁に出入りすれば、余計な噂が立ちそうだ。


 それが、真実に基づくものであったとしても、最終的には父やエインにあらぬ迷惑をかけるかもしれない。


「気にしなくていい……父が気にしないと言ったんだ。あれは……来て欲しいという意味だ」


 お父さん大好きっ子であるエインの、父の希望を優先した言葉。


「では、いつかそのうちに」


 桃の答えは、彼にはどうやら不快だったようだ。


 これほど譲歩しているというのに、まだ社交辞令で返すのか──そんな目。


「それより……」


 父とは会えた。


 素晴らしい、初対面を終えることが出来た。


 望めば会えるし、『おとうさま』と呼ぶことが出来る。


「それより……私は、貴方の姉さんになれるんでしょうか?」


 自分で言いながら、とても奇妙な言葉だった。


 父からすれば、養子とは言え、エインは息子。


 そして、自分は娘。


 世間からすれば、姉弟になる。


 弟がいると聞いて育っていた桃にとって、エインは本当に自分の弟だと思いたい。


 百歩ゆずって、せめて従姉として思われているのだろうか。


 そう、素朴な疑問で考えてしまったのだ。


「……」


 それは。


 エインにとっては、難しい質問だったようで。


 彼は、とても真剣に考え込んでしまったのだった。



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