表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
165/329

女二人

 裕福な商家の老人が、習熟場の先生だった。


 既に店は子に譲り、ありあまる時間を、子供たちの教育に向けている。


 昼は、学校には行けないくらいの中堅の商家の子が。


 夜には、昼間仕事をしてもなお、勉強したいという熱意のある子たちが。


 熱心に、白い粉を指につけ、板に字や式を書き学んでいる。


 桃とコーの見学も、喜んで受け入れてくれた。


 都からの客と聞いて、老人も張り切っているようだ。


 昼間会った、あの油売りの少女の姿も見える。


 コーは、全てが珍しくてしょうがないようだ。


 思えば。


 見た目は、桃より年上の大人の女性ではあるが、彼女は耳から入る言葉しか知らないのだ。


 旅の間、数字は教えはしたが、さすがに文字まで教える余裕はなくて。


 小さい子たちに混じって、文字板を首を傾げながら眺めている。


「私が教えるだけでは、勿体無い子たちも大勢います」


 老人は、教え子を思い浮かべているのか、ため息混じりに遠い目で語る。


「捧櫛の町へ行けば、もっと高度な寺子屋もあるのですが、親が働き手として離さない家も多くてですね」


 10日に一度ほど。


 神殿の町まで、走って通って勉強する子までいるというのだ。


 桃はどれほどのことかと、その子のことを思い浮かべた。


 母の作った、寺子屋制度は成功はしている。


 だが、もっともっと知識を渇望する子たちには、対応しきれていないのだ。


 そういえば。


 母が、何か言っていた。


 きっと、足りなくなってくると。


 人の欲は、とても深い。


 それが、知識という方向であったとしても。


 その道に取り付かれた者には、寺子屋ではきっと足りないだろう。


『もっと勉強したい人はどうするの?』


 母は、思慮深く微笑んだ。


『そうね……そこからは、国の仕事になるかしらね』


 もっと。


 もっと、ちゃんと深く聞いておけばよかった。


 国が、どんな仕事をすればいいのか。


 きっと。


 エンチェルクやヤイクは──知っているのだろう。



 ※



「気をつけて帰りなさい」


 真っ暗な夜。


 黒い月は、半月より太った姿で子供たちを照らす。


 みな足早に、そして同じ地区の子たちが固まって帰ってゆく。


 誰ひとりとして、空を見上げることはない。


 月を恐れているのだ。


 それでもなお、学びたい心の方が勝っているその背中が、とても愛おしい。


 コーが。


 見送る桃を見ていた。


「歌ってもいい?」


 こういう時の彼女は、歌いたいのだ。


 あの小さな背中たちに、歌ってあげたいと思っている。


「勿論」


 それを、どうして桃が止めよう。


 コーは。


 楽しげに──月の歌を歌った。


 トーも。


 月夜の素晴らしい晩にだけは、この歌を歌っていた。


 今日は、さして素晴らしい月夜ではない。


 だが。


 コーは、子供たちに月は怖いものではないのだと、伝えたかったのかもしれない。


 夜空高く、遠く遠くまで流れる絹糸の歌声。


 誰もが。


 その歌を追うには──空を見上げてしまうのだ。


 真夜中のための。


 月のための歌。


 きっと。


 子どもたちは、今夜は夜を恐れずに家へ帰るだろう。


 桃たちも、帰らなければならなかった。


 恐れがないわけではない。


 それは、夜や月にではなく──心配して待っている人たちに対して、だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ