太陽にならない意味
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別々の部屋、別々の乳母、別々の派閥の子供たちの中で育つ。
兄弟ゲンカなど、ありえなかった。
同じ東翼に住みながらも、他人のような生活をしているのだから。
それを、一番憂いているのは母だったのだろう。
母は、夜に家族の時間を作ってくれた。
貴族たちが、みな帰ってしまった後、テルとハレを連れ出して、父の部屋に連れて行ってくれたのだ。
父母の膝を争って、初めてケンカをした。
テルは力が強くて、泣かされたのはハレだったが。
ああ、自分とテルは兄弟なんだと、その時初めて実感したのだ。
「お天道様に、顔向け出来ないことはしてはだめよ」
ケンカそのものを、母は止めなかったが、いつもそんなのんびりとしたことを言っていた。
ある日、そんな母のお腹が、ぴかぴかしていた。
それを母に言うと、「赤ちゃんが出来たの」と教えてくれたのだ。
妹か弟が生まれると、二人はとても喜んだ。
でも。
赤ん坊は、生まれてこなかった。
ぴかぴかは、消えてしまったのだ。
それどころか、母の命も道連れになるところだった。
テルもハレも祈った。
魔法の力は、父が使ってくれていたので、二人はただ祈るしか出来なかった。
幸い、母は無事峠を越えた。
そんな時、テルが言ったのだ。
「お前が、太陽になっていいよ」
テルは、自分は太陽にならなくていいから、母を助けてくれと祈ったという。
だから、その約束を自分は守ると言った。
ハレは、驚いた。
そんな祈り方など、思いつきもしなかったのだ。
その時に、子供ながらに考えた。
自分よりテルの方が、よい太陽となるだろうと。
母の前では、恨みっこなしだと誓ったが、ハレは自分は太陽に相応しくないと考えるようになった。
その考えは、深い闇に彼を沈めていったのだ。
テルが太陽だとするなら、自分は暗い月だと。
そんなハレをすくい上げたのは── 一人の白い楽士だった。
※
夜の宮殿で、歌う事を許されている楽士は、この世の中でもおそらく彼一人。
白い髪の、トーという楽士。
その夜。
東翼の屋根の上に、その男はいた。
歌っていた。
満ちてゆく、不吉な月を背に──しかし、不吉ではない歌を歌っていたのだ。
声が、輝いている。
月の光の粒のように、音の粒のひとつひとつが美しかった。
声に誘われたハレは、庭に出てそんな彼を見上げたのだ。
トーは、自分を見つけてくれた。
そして。
降りて来てくれたのだ。
臣下の礼を取らない男だった。
でも、優しい瞳をしている。
その瞳のずっと向こうに、月が黒く輝いていて。
「美しい月だ」
男は、月を背負ったまま呟いた。
太陽の住まう宮殿で、この男は実はとんでもないことを口にしたのだ。
だが、ハレはこくりと頷いていた。
涙が、出ていた。
本当に、美しい月だと思ったのだ。
テルが太陽にふさわしく、自分はふさわしくない月のような人間だと。
ハレは、一生懸命自分を貶めようとしていた。
けれども、歌の向こうの月は美しくて。
自分もまた、決して劣る人間ではないのだと、トーのたった一言で救われたのだ。
それから。
ハレは、図書室の秘密の扉を、開けた。
昔、一度だけ父が教えてくれた部屋だった。
そこに、月の本が朽ちかけながらもたくさん眠っていたのだ。
写本しながら、ハレはそれを読んだ。
その本の中の月は、敵でも不吉なものでもなかった。
太陽と別の意味を持つ、もうひとつの空の星。
ハレは──月や星に取りつかれたのだ。
だから。
太陽になる必要が、なかった。