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ヤイク

「そういえば、お前はまだ独身だったな」


 宿屋では、テルはヤイクと同じ部屋になる。


 話相手がヤイクしかいないのだから、私的な話になることもある。


 彼は、二十代後半。


 貴族としては変り種とは言え、貴族の肩書を持ち、叔父はいまをときめく賢者なのだから、どこからでも良縁が降ってきそうなものだが。


「一人に決めるには、まだまだ勿体無く思えるのですよ。もうしばらく、花を飛び回る羽虫のように生きたいですね」


 ニッと、唇の端に潜まされる──毒。


「たとえ、どれほど女が好きだろうと……貴族としての結婚は別、と割り切りそうな男に見えるがな」


 素晴らしき政治肌。


 その肌が、貴族の結婚の意味合いを理解していないはずがない。


「私はね……女が、好きなのですよ、本当に」


 ヤイクは、音をひとつずつ切るようにして、言葉を殊更強調してみせた。


 それが、まだ結婚を考えない理由というのか。


 だが、何故だろう。


 テルは、違和感を拭えない。


 キクの道場で聞いた、門下生の男たちの口から出る『女』という表現と、ヤイクのそれは何か違う気がしたのだ。


 彼らは、『女』を抱きしめたいと思っている。


 はっきり言えば、響きにどうしてもいやらしさが含まれるのだ。


 だが。


 ヤイクの口から出てくる『女』は、それを感じない。


 毒はあるが、彼が女という生き物の尻を追い回しているのだとは、どうしても思えないのだ。


「お前にとって……女とは何なのだ?」


 分からないことは、聞けばいい。


 テルの思考は、至ってシンプルだった。


「そうですね……寺子屋制度も出来、下地もしっかりと出来ましたし……」


 ヤイクは、自分を見た。


 いつもの、ひねりのある目ではない。


 まっすぐな、男としての目。


 彼が言っている言葉が、何につながるのかまだ分からなかった。


 しかし、ひとつだけ分かった。


 ヤイクは──テルを本当の話が出来る相手だと、認めたのだ。



 ※



「私はね……もっと『女』というものを使いたいのですよ」


 ヤイクの話の始まりは、そうだった。


「女を、使う?」


 思わず、テルは復唱していた。


 まだ塊が大きすぎて、うまく咀嚼出来なかったのだ。


「そうです……寺子屋制度のおかげで、女も男と同じほどの基礎学力を身につける時代になりましたからね。その能力を、もっと活かしたいのです」


 ヤイクは──饒舌だった。


 ずっとずっと、頭の中に溜め込んでいたものを、片端から吐き出すようにテルにぶつけてくる。


 女であれば、便利な職業もあるのだと。


 たとえば、医者。


 女は、怪我や病気をしても医者に行くのをいやがる。


 何故ならば、医者が男だからだ。


 医者とはいえ、男の前で身体をさらしたくない──分かりやすい話だった。


「私は町に出て、たくさんの話を聞いてきましたが、知識を得た女たちは、その知識を活かす先を探しています。そして、その中の一握りは、確実に下っ端役人よりも、遥かに有能でした」


 女、女、女。


 ヤイクの口から、鮮やかに語られる今の女たちの姿。


 彼は、本当に女が好きなのだ、と分かる。


 女という生き物が。


 ウメに育てられ、この男はどれほど女を見る目を変えたのか。


 女のための門戸を、ヤイクはどうにかしてこじ開けようとしている。


 この国の、堅牢な男社会の壁に、穴を開けようとしているのだ。


 これまでの旅路で、彼はただ女の話をしていたわけではなかった。


 テルに、現在の女の立場や、よい女の話を聞かせたかったのだ。


 彼女たちの地位を向上し、記録にわずかでも名が残るように──残るように?


 ああ。


 テルは。


 ヤイクの心に、初めて触れた気がした。


 ああ、そうか。


 お前は、ウメの名を残したいのか。


 ただ残すだけではなく、更によりこの国のためになることを考えたのか。


 テルは、それを口には出さなかった。


 出したところで、この男が認めるはずがない。


 ささやかな望みを隠すために、大風呂敷を広げるこの男を──テルは前よりももっと愛しく思った。



 ※



「おはようございます、我が君」


 翌朝。


 扉を開けると。


 先に部屋を出ていたヤイクが、そうテルに語りかけた。


 そこには、ビッテもエンチェルクも既に準備を終えて待っている。


 そんな中で、彼はそう言ったのだ。


 ざわっと、うなじの毛が逆立つ。


 そうか。


 昨夜、彼は本心を吐露した。


 ウメを、そして世界中の女の地位を、この男は引き上げる気だ。


 その女の中に──エンチェルクも入っている。


 それどころか。


 おそらく、ヤイクはそんな女の地位を引き上げる先導者に、エンチェルクを据えたいと考えているのではないだろうか。


 だからこそ、彼はとてもエンチェルクに強く当たる。


 それは、彼女を強くしたいから。


 貴族である自分に抵抗し反論し、意見出来るほどの女に育てたいと思っているのだ。


 その素養が、エンチェルクにはある。


 長い付き合いで、そうヤイクは見抜いているのだ。


「お……はようございます……殿下」


 ビッテが、戸惑いがちに声をかけた。


 何か。


 何か、とても大きな衝撃を受けたかのように。


 潔く強い男が、ヤイクのたった一言に、うまく対応出来ずにいる。


「おはようございます……」


 エンチェルクも、うまく『殿下』と言えないようだった。


 ヤイクは、言ったではないか。


『我が君』と。


 テルは、それを噛みしめる。


 この男は──生涯の忠誠を、たったいま自分に誓ったのだ。

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