いい夜
∠
「希望どおり、というところか?」
テルは、湧き上がる意地の悪い笑みを、こらえきれずにいた。
エンチェルクは、いない。
テルが、遣いに出したのだ。
ビッテも、少し離れたところにいるので、声はそこまで届かないだろう。
街道脇の林の中で、彼らは休息していた。
既に、辺りは夜。
テルの側で、焚火の炎がめらめらと揺れている。
ヤイクの足のことも考えれば、今夜はここで野宿だろう。
「こんな時に、何の話です?」
彼は、テルの言わんとすることが分からなかった──いや、分からないふりをした。
嘘をつくのがとてもうまい男なので、普通の人間ならば騙されていたかもしれない。
「エンチェルクをわざと怒らせて、逆らわせたかったんだろう?」
夜でも見える命の光を眺めながら、テルはヤイクのド正面に言葉を放り投げたのだ。
火の燃える焚火の枝を、持ち上げて手の中で遊んだ。
「意味が分かりませんね」
そこまでとぼけられると、さすがのテルもハッと声を出して笑ってしまう。
「分かってきたぞ……俺には。お前は、エンチェルクを……」
そう言いかけた時。
時間が来た。
来てしまったのだ。
「行け!」
テルは、手を大きく振った。
その手から放たれるのは、火のついた枝。
大きな弧を描きながら、それは林の奥へと飛んでゆく。
その光に、微かに浮かび上がる人影──ひとつ。
ヒュンッ!!!!
ビッテの放つ矢。
「……!」
脇から刀を振り上げ、飛び出すエンチェルク。
それこそが、テルが彼女に命じた遣いだったのだ。
夜の林の中からならば、確実な魔法距離まで近づけると思ったのか。
逆に。
夜の林の中を、イデアメリトスの光をまとって近づくなど。
テルにとっては、ただの阿呆だった。
※
最初から、テルには分かってた。
近づいて来る者が、イデアメリトスであるということくらい。
そして、相手は知らなかった。
テルの目が、イデアメリトスを光で識別していることを。
母の能力は、命の光を見るもの。
それぞれ、個々の人間で微妙に光の色は違う。
テルは、余り細かいことは分からなかった。
それを見分けることが、自分にとって重要な能力だと思っていなかったからだ。
だが、イデアメリトスの光ならば、彼でもすぐに分かる。
そんな看板を、首からぶら下げて近づいてくるなんて、テルに先制攻撃をしてくれというようなものだ。
テルは、すぐに布石を打った。
まだ、相手を認識していない武人二人に、それぞれの仕事を受け持たせたのだ。
ビッテは、焚火に照らされない位置まで離れた。
そこで、弓を構えていたのだ。
エンチェルクは、静かに脇に回らせ、そこに潜ませた。
相手の場所を知らせるために、焚火を投げたのだ。
その焚火を拾い上げ、テルは「彼女」を見下ろした。
「いい夜だな……叔母上」
胸の真ん中に突き立つ矢。
切り落とされているのは、右腕。
最初からないのは──左腕。
ついに、女は両腕を失ったのだ。
魔法を使うための、大事な大事な腕をすべて。
そして。
胸に突き立った矢が、彼女をそう遠くなく、死の国へと連れていくことだろう。
「いい夜……ですって?」
ごほっと血の息を吐きながら、同時に女は毒の声を出した。
「イ……デアメリトスに、いい夜など……ありは……しないわ」
この期に及んでも、テルを殺したいと思っている目。
「ひとつだけ聞く。黒幕は、誰だ?」
質問に、女の目が壮絶な笑みを浮かべる。
死んでも言うものですか。
テルは、それを汲んだ。
「エンチェルク。とどめを刺してやれ」
イデアメリトスの命がひとつ消える中、テルは他のことを考えていた。
やはり、黒幕がいるのは間違いない、と。