表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
108/329

幸せの大きさ

 桃は、何をどう言えばよかったのだろうか。


 応接室の外が、何やら騒がしいのは分かっていたが、いまの彼女はそれどころではなくて。


 ただ、エインが投げつけてきた、とんでもない生き物の処理に、本当に困惑していたのだ。


「本当は、君には感謝しなきゃならないんだ……私は」


 先に、口を開いたのはエイン。


 しかし、その言葉のどこに感謝が含まれているのか。


 本当に、言いたくなくてしょうがない事が、彼の中にはてんこ盛りなのだろう。


「君のおかげで、私が養子になることが決まって、父上の息子になれたのだから」


 ああ。


 いたい、いたい。


 小さなつぶてが、ぺちぺちと桃に当てられている気分だった。


 本気で憎んだり恨んだりしていないのは分かるのだが、これまで彼の中に積もり積もった小石を、桃に投げつけずにはいられないようだ。


「私は、五人兄弟の末っ子で、みっつ年上の兄もいた。でも、父上は私を迷わず養子に選んだ」


 何故か分かるか?


 そんな視線が飛んでくるが、桃に分かるはずもない。


 そしてまた、その答えが自分へのつぶてなのだろうということも、十分に分かっていた。


「私が……ただ一人、君より年下だったからだ」


 意味が、よく分からない。


 養子ならば、桃に関係なく好きな年の子を選べばいいのに。


「父上は……君の母上に、自分が結婚したと思わせたかったんだ」


 あ。


 桃は、『そう』思った。


 父は誰かと結婚して、そして息子がいるのだ、と。


 それと同じ誤解を、母に与えようとしたのだ。


 何故?


 何故そんなことをする必要が。


 桃の疑問は──衝撃と共に解かれることとなる。


「君の母上が、父上にまったく気兼ねせずに生きられるように、だよ」


 どれほど。


 どれほど、父は母を愛していたのか。


 その事実に、若い桃はただただうちのめされるしか出来なかった。



 ※



「まだ……あなたのお父上にお会いすることは出来ません」


 長い長い沈黙の後。


 一つ大きな深呼吸をして、桃はそう言った。


 エインが、自分を押し殺してまで、彼女を父に会わせようとしてくれる気持ちはありがたいものだ。


 自分の気持ちより、父の気持ちを汲んだということなのだから。


「何故!?」


 何の障害もないのに断られるのは、理不尽だという視線が飛んでくる。


 障害は、確かにない。


 だが。


「私は、殿下のお付きですから。まだ神殿にたどり着いていないのに、それを放り出して行くわけにはいきません」


 桃には、やるべきことがあったのだ。


 絵の中から、母が見ている。


 ここで桃が役目を放り出して父に会いに行こうものなら、きっと母は悲しむだろう。


 そして桃自身もまた、この旅に意味を見つけていた。


 ハレとコー、リリューにホックス。


 皆が、大切な桃の旅の理由。


 だから、その大切なことをやり遂げなければならなかった。


「で、では、帰りは?」


 エインの言葉に、心が揺れる。


 ゆらゆらと、甘い自分の心が揺れ動くのだ。


「都に帰りつくまでが……私の旅です」


 母が。


 母の絵が、そこになかったなら。


 桃は、弱い娘になっていたかもしれない。


 次が、あるのだ。


 旅を成功させれば、桃にはいくらでも次の機会がやってくる。


 母もきっと、娘の新たな旅立ちを止めはしないだろう。


 ぐっと、エインは何かの言葉を飲み込んだ。


 その表情に、微かな悔しさがにじんだ気がする。


 そして。


 ぽつりと、言った。


「君が……いやな女だったらよかったのに」


 桃は──弟が父を愛する子でよかった、と思ったのだった。



 ※



 部屋に戻ると、コーはぴくりとも動かないまま、ぐっすりと寝入っていた。


 そんな彼女を横目に、桃は寝台へとひっくり返る。


 今日は、本当にとんでもない一日だった。


 まだ、全然頭の整理がついていない。


 夫人との対面から、母の絵。


 クージェの乱入に、晩餐のコー。


 そして──エインとの対面。


 晩餐の時から、彼は桃のことをじっと観察していたに違いない。


 桃自身は、コーのことで一生懸命だったので、見知らぬお客に心を砕く暇もなかった。


 もし、彼が弟だと知っていたなら、もっと彼女の晩餐は違うものになっていたことだろう。


 おそらく、いまの三倍は疲れていただろうが。


 分かったことは。


 父が、いまでも深く深く母を愛しているということ。


 離れていようが、領主という立場であろうが、父は母以外に愛する人を決して作らなかった。


 それが、どれほどのことか。


 何度も言うが、領主なのだ。


 身分のある男は、結婚を早く迫られるもので。


 結婚もせず、跡取りも作らず──それらに、周囲の反対は当然あっただろう。


 だが、父は母と桃を選んだ。


 そして。


 母もまた、他の男を選ぶことはなかった。


『あなた一人を、命がけで産んだのですよ』


 昔、エンチェルクに、そう教えてもらったことがある。


 母は身体が弱く、本当は子供など産める状態ではなかったのだと。


 母は命を賭け、父は愛の誓いを立てた。


 その結果が、自分なのだ。


 ああ。


 かあさま、とうさま。


 ありがとうございます。


 いま、桃は自分が、世界で一番幸せな人間だと、強く強く噛みしめたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ