かあさまのせい
∞
ああ。
会えれば――ただ、会えればいいと思っていた。
けれど、父には父の心と事情があるのだ。
ちゃんと家族を持っている父に迷惑をかけるというのならば。
そういうのならば。
わ。
笑え、私!
桃は、自分の顔に命令した。
こわばったそれを、何とか動かすのだ。
「分かりました」
桃は、笑った。
頑張って、笑ったのだ。
なのに。
「嘘です」
即座に、エインが真顔で言う。
え?
意味が分からず、桃は思考が止まった。
「父上が会いたがってないなんて……嘘です」
なにを。
エインは、何を言っているのか。
「このくらい試したって、私には許されるでしょう?」
憮然とした声。
「父が手を付けた平民の娘が来るんです。認知しろとか、お金をせびるとか……何故ありえないと言えるんですか」
最初の紳士然とした様子から、打って変わって辛辣な唇。
桃が、テイタッドレック家にとって、無害か有害か見定めようとしたらしい。
「領主の身分というのは、とても大変なのです」
そして、分かった。
あの言葉は、半分は本当だったのだ。
父が会いたくない、ではなく、エインが父に会わせたくないと思っている。
彼は、父が好きなのだ。
『父上』という言葉には、愛が含まれていた。
好きだからこそ、父の愛を桃に向けさせたくないのだ。
ああ。
とうさま。
桃は、見たこともない男を思った。
父は、いま幸せなのだ。
父思いの、しっかりした息子もいる。
桃は、無性に母が恋しくなった。
いまは。
会えない代わりに、母の絵が自分を見てくれる。
こんなに心強いことはなかった。
桃は、笑った。
顔に命令なんかしなくても、勝手に笑ってくれた。
そして。
「いつまでもお元気で、とお伝え下さい」
会わないことに――心を決めた。
※
「それは……困ります」
だが。
エインは、桃の決心を許さなかった。
少しの間、完全に動きを止めた後、驚いたようにそう言ったのだ。
「父上に害がないのなら、いいのです。そういう意味で言ったのではないのですから」
彼の説得は、何だか滑稽だった。
さっきまで、あんなに桃を脅かしていたというのに、突然翻ったのだ。
害。
本当は、エインは害があって欲しかったのだろう。
そうすれば、何としても父と会わせないという行動を選択することが出来た。
彼はどこか、『ほら、やっぱり』と言いたかったように見えたのだ。
父はきっと、エインに母や桃のことを良いように言っていたのだろう。
それを、彼はずっとずっと疑っていて、それを証明したかった。
そうだというのなら。
「会えばきっと私……認知してください、お金くださいって言っちゃいますから」
桃は、一生懸命悪い笑みを浮かべようとした。
伯母がたまに浮かべる、人の悪い笑みが脳裏によぎる。
でも、出てきたのは下手くそな嘘笑い。
悪い笑いって、難しい。
桃が、そんな風にちょっと困っていると。
エインが、沈んだ表情へと変わって行った。
「父上は……会いたがっている。本当に、君に会いたがっているんだ」
絞り出す、声。
決して、言いたくはなかった言葉だろう。
丁寧な表現さえ、出来ないほど。
プライドをかなぐり捨てて、そう言うほど──父を愛している。
そして。
父に愛されたがっている。
逆に言えば、父の自分への愛というものに、不安を覚えているのか。
桃という人間のせいで。
何を、不安に思うことがあるのか。
桃が、何か言葉を探すより先に。
エインが。
言った。
「養子の私では……父の寂しさを埋められないんだ」
あ、れ?
※
ひとつ下の弟がいると聞いたのは、いつだっただろう。
父の手紙で見た気がする。
『息子は、今年6歳になった』
ああ、そうそう。
こんな文章。
だから、桃が7歳の時か。
『息子は、私の真似をして剣の練習をしている。小さいが、筋がいい』
父の身分の話を、母からされた後──母は、これまできた手紙の全てを、桃が自由に読めるようにしてくれた。
母への優しさのこもった個人的な手紙でさえ、まったく隠すこともしなかったのだ。
だから、おそらく桃は全部読んだはず。
なのに。
あれ?
息子の産まれた話を、桃は思い出せなかった。
突然。
息子の話は、6歳から始まったのだ。
それを、桃は不思議に思わなかった。
きっと、母を傷つけまいとしたのだと。
母と別れてすぐ、誰か他の女性と結婚した、子供が産まれたと書けば、母が複雑な気分になると思い、あえて書かなかったと頭のどこかで納得させていたのだ。
あれ?
桃は、うまく頭の中で言葉をまとめられないまま、エインを見た。
彼は、憂鬱な表情で顔をそらしている。
「お父上……結婚は?」
おそるおそる。
気持ちの悪い虫の入った箱を開ける方が、まだ桃は恐れたりしなかっただろう。
「してないよ。私は父の姉の子だ」
ぶっすー。
紳士の仮面など、どこへやら。
ふてくされた声。
誰のせいだと思ってるんだ──まるで、そう言いたいかのように。
誰のせい?
桃は、おそろしい考えにたどりついてしまった。
か。
かあさまのせい!!??