表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
104/329

父上

 ノッカーが鳴った。


 コーは慣れない晩餐で疲れてしまったらしく、脱いだ綺麗な衣装を抱きしめたまま、すやすやと眠りについている。


 慌てて桃は、そんなコーに掛布をかけた。


 誰かと思ったら──ホックスだった。


 明日の出発のことだろうかと思ったら。


 彼の後ろには、一人の青年が立っていた。


「こちらの方に、紹介を願われました」


 不慣れな貴族仕事に、ホックスはやや迷惑そうだ。


 そういえば、夫人側に一人、見知らぬ男がいた。


 コーの世話で忙しくて、それどころではなかったのだ。


「ええと……」


 桃は、後方をかえりみた。


 眠っているコーの横で、話をするのも気が引けたのだ。


「夫人に、応接室をお借りしています」


 わざわざホックスを間に立て、女性の部屋での話ではなく、応接室の手配まで済ませている。


 非常に丁寧な根回しだった。


 少なくとも、クージェのような不躾な人間ではないようだ。


「では、そちらで」


 桃は、怪訝に思いながらも、彼らについて応接室へと向かった。


 リリューも背が高いが、この青年は彼よりもうちょっと高いのではないだろうか。


「クージェリアントゥワスに頼むつもりだったんですが、断られました」


 応接室。


 母の絵のあるそこで、桃は夫人の息子を袖にした。


 それと同じ場所で、その事件を揶揄されると、桃も恥ずかしい。


 勿論、この青年がどこまで知っているかは分からないが。


 そんな恥ずかしさも。


 彼が言った言葉で、全て吹っ飛んだ。


「私の名は……エインライトーリシュト=テイタッドレック=キルルスファイツです」


 何の、心の準備もしていなかった。


 テイタッドレック。


 桃が、決して忘れるはずのない名。


 桃の──ひとつ下の弟。



 ※



「……山本桃と申します」


 慎重に、モモは挨拶をした。


 その名は、この国に登録されている正式なものではなく、母の国の形にのっとった表現。


 モモ・ヤマモト・ニホン。


 この国に登録されているものを、全部名乗ったとしてもこの程度の、短いもの。


 じっと。


 じっと、エインを見る。


 背が高いはずだ。


 自分と同じ血が、流れているのだから。


 礼儀正しい人でよかった。


 クージェのような人が弟なら、きっと桃は困っただろう。


 そして。


 桃が、何者なのか分かっていて、わざわざ面会の時間を作ってくれた。


 それは。


 姉であると知っているということ。


 分かってます、かあさま。


 頭に浮かんだ母を、桃は無理におしのけたりはしなかった。


「初めてお目にかかります……どうぞよろしく」


 桃は、静かに目上の相手に対する儀礼を取った。


 弟であろうと、相手は領主の息子。


 次期、テイタッドレック卿になる男なのだ。


 じっと。


 向こうも、じっと桃を見ている。


「剣を習っていると聞きました……」


 エインは、言う。


 誰から聞いたか、ということはない。


「はい、まだ未熟ですが」


 一言一言、噛みしめるようにゆっくりと言葉にする。


「母上は、お元気ですか?」


 彼の視線が、一瞬だけ絵に跳ぶ。


 あの絵が、一体誰なのかを知っているのだ。


「はい、おかげさまで元気です」


 一枚の薄い壁越しに会話しているような、もどかしさ。


「……」


「……」


 向こうもそう感じているのか、あっという間に──話すことがなくなってしまった。



 ※



 この沈黙に、一番つらい思いをしているのは──ホックスだったろう。


 紹介に立った手前、さっさと帰るわけにもいかず、彼は桃の隣に座っていたのだ。


「悪いが、ちょっと席を外しても構わないか?」


 どうにもこうにも、耐えられなくなったようだ。


 ハレに用があると言われては、誰もそれを拒むことは出来ないだろう。


 たとえそれが、単なる口実にすぎなくとも。


 そして。


 ホックスは、逃げてしまった。


 結果──エインと二人きりになったのだ。


 ふぅ、と。


 彼が吐息をつく。


 視線が、横へと逃げてゆく。


 エインもまた、この状況をきちんと扱えていないのだろう。


 しっかりしているように見えても、17歳なのだ。


 複雑で、当然だろう。


「お、お父上はお元気でいらっしゃいますか?」


 桃は、勇気を振り絞った。


 出来るだけ、相手の気持ちに配慮した表現にしたつもりだ。


 だが。


 彼は、桃を見ると険しい表情を浮かべたのだ。


「父上は……」


 あ。


 桃は、何かを察した。


 彼の口にする『父上』に、微かな含みを感じたのだ。


「父上は……あなたに会いたくないそうだ」


 パキンッ。


 いま。


 いま、何が割れた音がしたのだろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ