その頃の役立たずのリリュー
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リリューは、夜の庭を歩いていた。
どこからともなく、竪琴の音とコーの歌声が聞こえてくる。
従妹は、うまく夫人との対面を果たしているようだ。
こういう内向きの仕事となると、リリューは途端に役立たずになる。
だが、気楽でよかった。
おかげで、久しぶりにこうして一人で好きに歩くことが出来るのだ。
まだ、定兼に会ったことをリリューは忘れられずにいた。
いま、自分の左の腰におさまっているその刀が、本当にようやく自分を認めてくれた気がしたのだ。
その感触を、彼はゆっくりといま味わっていた。
ふと、人の気配に足を止める。
こんな夜に、裏庭の石段に誰か座っているのだ。
珍しいな。
夜を嫌い、建物の外に出たがらない人も多いというのに。
「やめる、やめない、やめる、やめない」
小さい女の声が、ぶつぶつと奇妙な言葉を繰り返す。
「やめる、やめない、ああもう……やめたぁい!」
その言葉が、どんどん怒りを帯びていき──ついには、両手両足を放り出す。
余りに勢いよく放り出したので、その身体が後ろに傾ぐ。
「あ、わわ!」
反射的に、リリューは動いてしまった。
ぐらぐら揺れながら、後ろに倒れようとする女性の身体を止めたのだ。
「び、びっくりした」
条件反射にリリューにしがみつきながら、女性はどきどきした声を止められないようだった。
「大丈夫か?」
取り合えず落ち着かせようと、彼が言葉をかけると。
「って……え? え? えー!?」
逆効果だった。
今頃にして、ようやく自分がしがみついているのが、人間であることに気づいたように、彼女は驚いて飛びのこうとするのだ。
ゴン!!!
結局。
彼女の後頭部は、後ろにあった戸に思い切りぶつけられることになった。
リリューの助けは、残念ながら役に立たなかったのだ。
※
「ご、ごめんなさい……」
後頭部を押さえながら、女性は恥ずかしそうに言葉を綴った。
月の光のたよりなさで、顔はそこまではっきりは見えない。
シルエットからすると、ふくよかな女性のようだ。
「あの御方の、お連れの方ですか?」
リリューが見知らぬ男であることから、彼女はそう判断したようだ。
「はい」
そう答えると、ほーっと大きな安堵のため息が聞こえた。
「よかった……行ってしまう人で」
そして。
切実な声で、そう言ったのだ。
同じ屋敷で働く他の人には、聞かれたり見られたくないところだったのか。
「やっぱり、綺麗な女でないと損なんですね……」
行ってしまう人──それが分かると、彼女は安心したのだろうか。
ぽつりと悲しい声を出す。
リリューは、首を傾げた。
綺麗な女。
余り、考えたことのない話題だったからだ。
最初に浮かんだのは、刀を持つ母。
それ以外の母は、凛々しくはあるが、綺麗などという言葉で考えたことはなかった。
「私……最近ここの若様付きにされたんです。その理由が、今日分かって……はぁぁ」
リリューが、ただ黙って聞いているしか出来ないでいると。
「今日の若様はとても不機嫌で、暴言の限りを尽されて……『おまえが私の側仕えにされたのは、太っていて醜いから、お前なら手出しをしないだろうという母の陰謀だ』、と」
しおれてゆく声。
最後は、大きな大きなため息で締めくくられる。
ようやく、前後の文章の関係が、リリューの中でつながった。
主である領主の息子に、ひどく言葉で傷つけられたのか。
だから、やめるやめないで悩んでいたのだろう。
ふっくらとした身体ではあるが、いまの彼女はとても頼りなく見えた。
「綺麗とかは……よく分からないが」
リリューは、とつとつと言葉を紡いだ。
「やるべきことをしっかりと極めた人間は……美しいと思う」
ぽんぽん。
昔。
小さかったモモにそうしたように、リリューは彼女の頭に軽く手を乗せたのだった。