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あの日の真実

 橘に指定された場所は、最悪な誕生日に出会った名も知らぬ男と飲んだBARだった。

 二次会の誘いを断り、帰る振りをし電車に乗る。二つ先の駅で降りるとネオン輝く街へと踏み出した。

 記憶を頼りに右に左に路地を進めば、指定されたBARの看板が見えて来る。

 着いてしまった。

 あの日を最後にこの街に来ることはなかった。あえて避けていたと言ってもいい。なのに、迷わずにこの場所に辿り着いてしまった自分の記憶力の良さを呪いたくなる。

 いや違う……

 彼との出会いは消し去る事の出来ない痛みを私の心に残していたのだろう。罪悪感という罪の意識を植えつけた。だからこそ、彼の脅迫に頷くしか出来なかったのだ。

 自分の欲望を満たすためだけに彼をもてあそんだ。寂しかった心を満たすためだけに。

 彼に償わなければならないのだろう。

 重厚な扉を開ければ、地下へと螺旋階段が続く。奈落の底へと続く階段。いや地獄へと続く階段だろう。

 カツカツと響く靴音が死刑執行へのカウントダウンのようで、憂鬱な足取りをさらに重くしていった。


「レディ、お一人ですか? テーブル席に致しますか? カウンター席に致しますか?」

「一人ではないわ。連れが先に来ていると思うの」

「……左様ですか。では、こちらへ」


 連れの名前も告げぬまま連れて行かれたのは、店内の一番奥に設えられた個室だった。

 扉を開けたボーイに促され室内に足を踏み入れれば、長い脚を組みソファに深く腰掛けた奴が待っていた。


「冬野先輩、そんな所に突っ立ってないで座ったらどうですか?」


 背後から聞こえた扉を閉める音にもビクッと震えてしまい、緊張がピークに達しているとわかる。震える脚を叱咤し、一番遠いソファ席に座った私を見た奴が、クツクツと笑い出した。


「くくっ、そんなに緊張しないで下さいよ。俺はただ貴方と二人だけで話したかっただけなんですから。何か飲みますか? 大抵のカクテルは作れますから、お好きなモノをリクエストしてくださいな」


 彼の言葉に慌てて顔を上げれば、室内にあるミニバーへと彼が向かって行くのが見えた。

 奴がお酒作るって言うの? じゃあ、この部屋には誰も来ないってこと?


「あぁ、そうそう。この部屋には誰も来ませんから、安心して込み入った話も出来ますよ。で、何飲みますか?」


 奴の本気を感じ、背を嫌な汗が流れていく。


「だんまりですか? じゃあ、適当に作りますから文句言わないで下さいね」


 シャカシャカとシェイカーを振る音にも顔を上げる勇気はない。震えそうになる手を強く握り、緊張を抑え込むのに躍起になっていれば、目の前のテーブルにスッとオレンジ色の液体が入ったショートグラスが置かれた。


「screwdriver……、覚えていますか? あの時、貴方にプレゼントしたカクテルでしたよね。あの日は実に楽しかった?」


 楽しかった? どういう事なの?

 あの日、彼は彼女に振られてヤケ酒をしていたと言った。何をもって楽しいなどと言えるのか。私と同じドン底の精神状態だったのではないのか。

 奴の不可解な言動が、頭の中をグルグルと回り疑問符ばかりが頭を満たす。


「何が楽しかったと言うのよ?」


 絞り出すように発した言葉は想像以上に小さく震えていた。


「言葉の通りですよ。貴方の存在が思いの外、面白くて楽しかったんです。screwdriverのカクテル言葉って知ってますか? 『貴方に心を奪われた』なんて、安い誘い文句もあの場面では実に合っていた。文字通りあの時の俺は、貴方の存在に興味を持っていた。クリスマスイブに長年付き合っていた彼氏に振られどん底に落ちた、絵に描いたように不幸な女が目の前にいる事にね」

「何が言いたいのよ」

「ひとつ種明かしをしましょうか。あの日、貴方に話した話は全て作り話ですよ。同情心を誘い、貴方を思い通りに動かすためのね。案の定、同じような境遇の男に、何の疑いも持たず親近感を覚えたでしょ。帰ろうとしていた貴方を引き留めるのにも成功したわけだ」


 奴から発せられる言葉の一つ一つが刃となり心に突き刺さっていく。


「ねぇ。冬野先輩は本気で俺が陰キャの童貞だって信じていたの? まぁ、あの見た目じゃ騙されても仕方ないか。あの日、飲み仲間と賭けをしていたんだよ。女慣れしていない男の振りをしても、女をお持ち帰り出来たら俺の勝ちだった。かなり不利な賭けだったけど、街中で偶然、ボロボロの貴方とぶつかった。まさしく貴方は勝利を導く女神そのものだった。振られてドン底の女ほど、落としやすいものはない。先輩のおかげで見事勝利。ありがとうございました」


 棒読みされたお礼の言葉も耳を素通りしていく。

 なんて酷いクズ男なの。


「そんな事をわざわざ私に言うために呼び出したの。さぞかし良い気分よね。彼氏に振られ、最悪な誕生日を迎えた女を弄んで優越感に浸って、良いご身分だこと。きっと、次の日は賭けをした飲み仲間とバカな女の話をして盛り上がったのでしょうね。で、今度は何がしたいのよ? まだ、バカ女を虐め足りないとでも言うの?」


 クツクツと笑っていた奴の雰囲気がガラリと変わる。


「何も分かっていないんだな。きっかけはどうであれ、俺を襲ったのは冬野先輩、貴方でしたよね? まさか、あそこで女性に押し倒されるとは思いませんでしたけど。流石に俺だって鬼畜じゃない。最後まで致すつもりは無かった。あの時、BARに呼んだ飲み仲間が貴方と一緒に店を出た俺を見ていた。適当なホテルに放置して帰るつもりだった俺を引き留めたのは貴方ですよ」

「そんなのただの言い訳じゃない!! 自分を正当化するための言い訳に過ぎないわ」

「まぁ、そう言われてしまえば、それまでですが……。最後に貴方を押し倒したのは俺ですしねぇ。ただ、色々と自尊心を傷つけられたのも事実です。sexで、女にイニシアチブを握られたのも初めてだったものでね。あれは完全に俺の完敗でした。だからこそ、貴方が忘れられなかった。貴方を俺の手で支配し屈服させなければ、傷ついた自尊心は満たされない。責任とってくれますよね?」

「勝手な事言わないで! 金輪際、貴方と関わるのはゴメンよ!!」


 こんな男と関わるのはゴメンだ。同じ営業部だが、奴のサポート役でもない限り接点はほぼ無い。しかも、課長補佐のブースは他の営業社員とは滅多に関わる事がない。逃げ回れば、その内興味も失せるだろう。


「そんなこと言っちゃって大丈夫ですか? この写真拡散する事も出来るんですよぉ。俺の彼女ですってね」


 スマホの画面を見せられ血の気がひいていく。


「何これ!? いつ撮ったのよ!!」


 画面には情事の跡を色濃く残した自分の寝顔が写っていた。ギリギリ胸から下は見えていないものの、首から胸元にかけて残された鬱血痕は、見る人が見れば情事の後だと分かってしまう。

 無理矢理スマホを奪い必死で消去ボタンを押す私を嘲笑うように無情な言葉が降り注ぐ。


「スマホにしかデータ残してないと思ってんの? こんな記念すべき一枚、あらゆる所に保存しているに決まってんじゃん。いつでも先輩を愛でられるようにね」


 頭を鈍器で殴られたような衝撃に、頭が真っ白になる。へたり込んでしまった私に視線を合わせ悪魔がささやく。


「鈴香先輩……、俺の話分かりましたか? 貴方に拒否権はないんです」


「何をさせる気よ……」


「別に何もしませんよ。ただ、俺の彼女になってください。いや違うか……、俺の傷ついた自尊心を満たしてくれる彼女になってくれますか?」


 頷くしかなかった。

 写真という人質を取られている以上、私に拒否権はない。

 罰なのだろう。

 寂しさを紛らわせるために、男の欲望をあおった私への罰なのだろう。


「くくっ、じゃあ……、契約のキスしてくれるよね?」


「……最低」


 軽く重ねたキスが深く深く交わる。


「屈辱に濡れたその瞳。大好きだよ、鈴香……」

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