SCREW DRIVER
「本当ごめんなさい。みっともなく泣いてしまって」
「いいえ。大丈夫です」
「貴方に話を聞いてもらって少し気が紛れたわ。ありがとね。じゃあ、帰るね。未練タラタラの女の話なんて聞いててもつまらないだろうし、これじゃ足りないかな? スーツも汚しちゃったし、鞄もダメにしちゃった。クリーニングで綺麗になるといいけど」
財布からお金を取り出そうとした私の手が掴まれた。
「まっ、待ってください。お金をもらう訳にはいきません。スーツだってもう乾いているし、鞄だって安物です。大して汚れていないから大丈夫です。俺、別に話聞いてただけで、何もしてあげてないし。あっ、じゃあ代わりに俺の話も聞いてください」
「貴方の話を聞くの?」
「はい。それならおあいこでしょ。お姉さんの話聞いててさ、他人事じゃないなって思って」
キュッと握られた手から伝わる温もりが、傷ついた心を癒やしてくれる。
なんだろう? この背中がムズムズするようなこそばゆい感じ。
誤魔化すように浮かしかけた腰を元に戻し座り直す。
手、離してくれないんだね。
「実は俺も少し前に彼女に振られちゃったんだよ。クリスマスイブを一緒に過ごしたくて、人気の高級ホテル予約してさ、バイトもいっぱい入れて、この日のためにお金も貯めて」
目の前に置かれていたグラスを掴み、一気に煽った彼の顔が辛そうに歪む。
「もうすぐ付き合って一年になるはずだったんだ。でも振られちゃったよ」
「彼女さんとは上手く行ってなかったの?」
「ずっと上手く行ってたよ。振られる当日だって一緒にデートして。確かに最近はバイトに就活に忙しくて、なかなか会えなかったのは確かだけど、彼女だって納得していた」
「そう。でも女の子は寂しがり屋の子が多いから、あなたが忙しいのは分かっていたけど、連絡が欲しかったんじゃない? 電話とかメールとか、少しでも連絡取れれば安心出来たんじゃないかしら?」
「電話だって、メールだって毎日してたよ。少しでも時間が空けば、短い時間でも彼女と話したかったし」
項垂れて話す彼を見ていると、まだ付き合いたてのお互いを好きで好きで堪らない時期の事を思い出す。一途で、真っ直ぐな想いが胸を締めつける。
こんなにも愛されていた彼女は幸せ者だ。
愛し愛されてお互いに幸せだったのだろう。何処かで、ボタンのかけ違いがあっただけだ。こんなに一途で真っ直ぐな想いを向けられていた彼女なら、そう簡単に彼の事を忘れない。
まだ間に合う。きっと間に合う……
「貴方の一途な想い、彼女さんも分かっていたんじゃないかしら。まだ、間に合うかもしれない。私と違って、相手に好きな人が出来た訳ではないのでしょ? 貴方の今の想いをぶつけたら、彼女さんもきっと――」
「ははっ、そんな訳ないよ。彼女の気持ちはもう俺にはない」
自嘲的な笑みを浮かべた彼の眼鏡の奥の瞳に囚われる。時折り見せる彼の得体の知れない雰囲気に背中がゾクっと震え、慌てて視線を外した。
「ねぇ、お姉さん。俺さぁ、童貞だからって振られたんだよ。手も出してくれない男は嫌なんだってさ。年上の経験豊富な男が良いって振られたのにさ、惨めに別れたくないなんて言えるわけ無いだろう。他の女に最愛の人を奪われた貴方なら俺の気持ち分かるよね?」
ゾクゾクっとする危ない雰囲気を突然あらわにした彼に頭の奥で警鐘が鳴る。ただ、彼の放った言葉への驚きの方が勝った。
童貞だから捨てられた!?
まさか、そんな事って。
男女の駆け引きが日常的に行われているBARで働く男が童貞だなんて信じられない。
あまりの驚きに、まじまじと彼の姿を目で追ってしまう。
ありきたりなグレーのスーツに黒の革靴。髪も若者特有の無造作ヘアで前髪が伸びてしまっていて目元がわからない。彼は就活をしていると言っていたから大学生なのだろう。
彼の普段を知らないから判断出来ないが、お世辞にもスマートな男とは言えない。
なんだかスーツに着られている感じかしらね?
どう見ても着なれたスーツという感じではない。営業職の補佐をしている手前、男のスーツ姿は見慣れている。スーツが仕事着のビジネスマンは、身だしなみにも気を遣う人が多い。スーツだけでなく、身につけるネクタイや靴、時計やカフスボタン、小物に至るまでトータルでコーディネートし、小綺麗にまとめている男が多い。しかも、最近では髪型はもちろん、お肌や爪の手入れを欠かさない男までいる。ビジネスマンは第一印象が勝負の世界だからこそ、身だしなみは大事だけど……、隣に座る男を再度見直しても、今時のイケてる男子とも違う。ただ得体の知れない何かが、彼には潜んでいる。そんな気がしてならない。
優しいだけの男ではない何か……
男は顔じゃない! 中身よ中身。
「ただ、まだ若いし恋愛なんてこれからいくらでも出来るじゃない。童貞だって考えようじゃないかしら。女の子からしたら、他の女と比べられる心配もないし」
「ふふ、お姉さん可愛いね」
「えっ!? 何……」
ボソッと呟かれた言葉は、彼の独特の雰囲気にのまれてしまった私には届かない。
「まぁ、いいや。それよりも、一人部屋に帰るのも虚しいし、飲み明かしませんか? 振られた者同士、傷の舐め合いも良いかなって。どうですか? それとも帰りますか?」
妙な雰囲気がフッと消え、長めの前髪から覗く綺麗な瞳が悲しそうに訴えかけてくる。
「お姉さん帰っちゃいますか?」
キュッと握られた手が離さないとでも言うように、わずかに引き寄せられる。
この手を解いて帰るなんて出来そうにない。
捨てられた子犬みたいな不安気な瞳に心を掴まれ、彼の誘いを拒否できない。
コクンと頷く私を見て彼の顔が笑み崩れる。
「良かった。じゃあ、飲みましょ。嫌な事は全部忘れて」
なんて顔して笑うのよ。
熱を持ち始めた頬を隠すように俯いた私の目線の先にカクテルが置かれた。
これって……、スクリュードライバー。
貴方に心を奪われた。ちんけなカクテル言葉。
まさかね。
「これなら口あたりも良いし、悪酔いしないでしょ」
カクテル言葉を知っているだけに深読みしてしまった自分が恥ずかしい。
赤くなった頬を誤魔化すように、差し出されたカクテルに口を付ければ、爽やかな味が口一杯に広がった。




