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揺さぶられる心

「本当、最低!!」


 フラつく足を叱咤し、抱えられるようにミニシアターを出た私は、隣でニタニタと笑う奴を睨み、大きなため息を溢した。

 入館した時には明るかった街中も、夜のとばりが下り、ネオンギラつく街へと変貌していた。

 いったいどれくらいの時間シアター内に居たのか?

 今さら考えても仕方のない事だが、奴の手管に翻弄され、公共の場で破廉恥な行為に浸ってしまった事実が、心に重くのし掛かる。不可抗力とは言え、あれではまるで痴女だ。


「キスしたら止めるって言ったじゃない!!」

「あぁ、だから止めただろうワンピースの中をまさぐるのは。ただ、上半身を触るのを止めるとは言っていない。鈴香だって満更でもなかっただろう? 服の上から胸揉まれて、可愛い喘ぎ声上げていた癖にさ」

「そんなの屁理屈よ。止めるって言えば、普通は解放するでしょが!!」

「だから解放してあげたでしょ。その後もトイレからなかなか出て来ないアンタを待っていた俺は褒められるべきであって、責められるいわれはない」


 三十分以上、トイレから出て来なかった私に、待ちぼうけを食らわされたのがよっぽど気に入らなかったらしい。ネチネチとその点ばかりを指摘され、苛立ちが増す。


「どうせ我慢出来なくなって自慰でもしてたんじゃないのか? シアター内でも一人気持ち良くなってたしねぇ」

「なっ、な訳ないでしょ!!」

「どうだか?」


 揶揄いまじりに耳元でささやかれる言葉に怒りばかりが蓄積されていく。ケタケタと笑う奴の声が耳障りで仕方がない。


「もう、いいでしょ。離して! さよなら!」


 意地悪く笑う奴に繋がれた手を振り払い踵を返し、歩き出そうとして肩を掴まれた。


「そう簡単に帰すわけないじゃん。まだまだデートは続くよ、鈴香。お腹も空いたし、ご飯でも行こうか。何食べたい?」

「はぁ!? アンタとなんて行かない! 着いて行ったら最後、何されるかわからないし」

「そんなに警戒しないの。ただ、夕飯食べるだけだろう。それとも誘ってんの?」


 掴まれた肩を反転され、対面した奴の雰囲気が変わる。小馬鹿にするような笑みが消え、射抜くような視線にさらされ一気に緊張感が増す。後退った私の背が、ビルの壁にあたり退路を塞がれた事を知った。


「人通りも少ないし、此処でさっきの続きしてもいいんだけど? 俺と食事に行くか、此処で犯されるか、鈴香が決めて」


 壁に両手をついた奴に囲われ、逃げ場を失った私の答えは一択しか残されていなかった。


「……焼き魚定食が食べたいです」

「えっ!? 定食? 本当面白いねアンタ。定食屋に行きたいなんて、ムードのカケラもねぇや。了解」


 顎を掬われ、軽いキスが唇に落ちる。

 どうやら最後の抵抗は上手くいったようだ。間違っても恋人同士が行くような、お洒落なレストランになど、奴とは行きたくない。

 当たり前のように繋がれた手を見つめ、苦々しい想いを胸に、手を引かれ歩き出した。







「あぁ~美味うまかった。で、何で鈴香は不機嫌なの? ご希望通り、焼き魚定食食べられたでしょ」


 あれは、焼き魚定食ではない。

 あれが焼き魚定食なら、巷の定食屋が泣き崩れるだろう。

 連れて行かれた和食割烹。個室に通されて直ぐに出された料理の数々。硝子の器に盛られた凝った造りの先付けとサラリとした口当たりの日本酒。椀物、向こう付け、焼き物と続く美しい料理を眺め、心の中で呟いた。

 どう見ても『会席料理』だろうがと。

 料理はどれを食べても美味しかった。提供された日本酒もバッチリ好みだった。しかし、釈然としない。あれは焼き魚定食では決してない。焼き魚は出て来たが。

 しかも、個室から見えるライトアップされた日本庭園とキラキラと輝く都心のビル群とのコントラストが見事で、言葉を失うほどに美しかった。

 美味しい料理に、美しい日本庭園を持つワンランク上の和食割烹。何も知らずに彼氏に連れて来られたら、泣いて喜ぶ女性続出だろう。普通の恋人同士ならの話だが。


「あれは、焼き魚定食ではない。普通は焼きサバにご飯、味噌汁、漬け物でしょうが」

「そう? 最後にご飯も味噌汁も漬け物も出て来たじゃん」


 ああ言えば、こう言う。

 無意味な押し問答に嫌気がさし、あからさまなため息がついて出る。


「じゃあ、これで解散よね。ご飯も食べたし、お腹も満足。お酒も入って、お互い気持ちよく酔っている。ここら辺でお開きでいいんじゃないかしら」

「はぁ!? まだ、二十一時だけど。恋人の時間って言ったらこれからだろう? 少し歩くぞ」


 繋いでいた手を引っ張られ、慌てて奴の後に続く。


「ちょっと! 一緒に行くなんて言ってない」

「うるせぇ。少し黙れ……」


 それっきり言葉を発しなくなった奴に手を引かれ歩く。都心のビル群を横目に歩くこと数十分、オフィス街の真ん中にぽっかり空いた広場へと着いていた。オフィス街の静けさに、苛立った心が凪いでいく。


「綺麗……」


 灯りの消えた真っ暗なビルの壁面に、キラキラと輝く真っ赤な東京タワーが写る。見る角度によって変わる光のうずは何とも幻想的で美しい。

 静かな空間に一人、キラキラと輝く東京タワーを独り占め出来る贅沢は、ある種の高揚感を私に与えていた。


「綺麗だろ?」

「えぇ、本当に綺麗ね。ビルの狭間に、こんな素敵な場所があるなんて知らなかった」

「あぁ、俺もたまたま見つけた。こんな景色、オフィスの灯りが全て消える休日にしか見れない」

「確かにね。まばらに灯りが点いていたら、東京タワーを写す鏡にはならない」


 キラキラと輝く東京タワーを見つめ、感嘆のため息を溢す。


「たまにさ、此処に来るんだ。この景色見てると嫌な事も全て忘れるって言うか。なんか色々、考えるのも馬鹿らしくなるっていうか。一人になって、ボーッと景色眺めていると無になれる」


 無になれるか……

 雑多な都会のど真ん中で現実を忘れ、無になれる場所などない。そんな所を見つけられたなら独り占めしたいと思うのが人間のさがだろう。

 何故、そんな特別な場所に私を連れて来た?


「どうして此処に連れて来たの? 貴方のお気に入りなんでしょ?」

「わからない。ただ、この景色をアンタに見せたいと思った。ただそれだけだよ」


 心臓の鼓動が一つ、『トクンっ』と跳ね上がる。

 私は暇つぶしのおもちゃではないの?

 わからない……

 写真をネタに脅し、思い通りに扱って、気まぐれに手を出す。

 そこに愛情などない事は理解している。

 飽きれば捨てるおもちゃでしかない私を、大切な場所に連れて来る意味なんてない。

 そんな事は分かっている。だからこそ困惑してしまう。

 彼の心意が見えない。


「……少しだけ、黙ってて」


 顔を肩に埋め、背後からそっと抱き締められた腕を振り払うことだけは最後まで出来なかった。

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