第三話 ―仮の寝床―
夜の池袋は、昼よりも明るい。
空が暗くなった代わりに、
看板が光り、
窓が灯り、
人の流れが、むしろ増えた。
「……夜営の時間だな」
エリシア・グランフェルトは、
空を見上げてそう言った。
星は見えない。
だが、危険の気配もない。
「ここなら、寝られます」
男が指さした先には、
剣呑さの欠片もない看板があった。
漫画喫茶
インターネット
24時間営業
「……宿屋か?」
「まあ……近いです」
エリシアは、
その言い切らなさを記憶した。
店内は、
想像していたより静かだった。
剣戟も、怒号もない。
聞こえるのは、
低い空調音と、
どこかで流れるキーボードの音。
「……人は、いるな」
「ええ。
でも、干渉はしません」
受付に立つと、
男は慣れた様子で手続きを始めた。
「会員登録、お願いします」
「……?」
「身分証、あります?」
男と、受付の視線が、
同時にエリシアに向く。
エリシアは、
胸を張った。
「エリシア・グランフェルト。
王国北方騎士団所属。
階級は――」
「いえ、そういうのじゃなくて……」
結局、
男の名前で二人分、
という形に落ち着いた。
エリシアは、
その処理速度に、
軽く感心した。
「この都市では、
身分は……紙切れ一枚なのだな」
「まあ……そんな感じです」
通されたのは、
人ひとりが横になれるだけの空間だった。
「……狭い」
「そうですね」
「壁が、薄い」
「はい」
「だが――」
エリシアは、
扉を見た。
閉まる。
鍵がかかる。
「……扉がある」
「ありますね」
「施錠もできる」
「ええ」
彼女は、
ゆっくりと頷いた。
「……野営よりは、良い」
問題は、鎧だった。
椅子に座ると、
背中の装甲が壁に当たる。
横になると、
肩当てが引っかかる。
「……この寝床は、
騎士を想定していないな」
「してないですね」
エリシアは、
しばらく黙り込み――
留め具に手をかけた。
外す。
すべてではない。
胸当てと、肩当てだけ。
「……油断ではない」
誰に言うでもなく、
そう呟く。
「適応だ」
男は、
何も言わなかった。
照明を落とす。
暗い。
だが、完全ではない。
隣の区画の気配。
遠くの足音。
「……敵は、いないな」
「いないですね」
「見張りも不要。
交代も不要。
奇妙な宿だ」
エリシアは、
剣を手の届く位置に置き、
横になった。
硬い。
だが、地面ではない。
「……悪くない」
目を閉じる。
池袋の夜は、
外で続いている。
だが、この小さな区画には、
戦場も、使命も、ない。
エリシア・グランフェルトは、
この都市に来て初めて、
剣を握らずに眠った。
それが、
彼女の――
最初の、休息だった。




