第二話 ―糧を求めて―
空腹は、敵よりも厄介だ。
エリシア・グランフェルトは、
池袋という迷宮都市に足を踏み入れてから、
まだ一度も剣を抜いていない。
だが腹は、はっきりと鳴っていた。
「……補給が必要だな」
騎士団の行軍規定では、
一日に二度、簡易糧食。
戦闘時は干し肉と硬焼きパン。
だが、この都市では、
干し肉も、炊事場も、焚き火も見当たらない。
代わりにあるのは、
光る看板と、匂い。
「……焼成魔法……?」
否。
通りに漂う匂いは、
確かに調理された肉と油のそれだった。
最初に辿り着いたのは、
明るく、清潔で、
異様なほどに商品が整然と並ぶ建物だった。
自動で開く扉。
エリシアは一歩退いた。
「罠か?」
だが、前を歩く人々は
何事もなく吸い込まれていく。
覚悟を決め、足を踏み入れる。
「……これは……」
壁一面に並ぶ、
保存食、飲料、甘味。
剣呑なほどに豊富だ。
「兵站が……完璧すぎる」
王国でも、
ここまで潤沢な補給所は存在しない。
エリシアは棚の前で立ち止まり、
一つの物体を手に取った。
三角形。
透明な包み。
中身は白と具。
「……携帯糧食か?」
裏返すと、
意味の分からぬ文字列。
ツナマヨおにぎり
「“ツナ”とは……獣の名か?」
理解はできないが、
危険な気配はない。
エリシアは慎重に籠へ入れた。
続けて、
丸いもの、
細長いもの、
“からあげ棒”。
最終的に、
籠は戦利品のように満たされた。
問題は、その後だった。
レジの前。
エリシアは、籠を静かに置いた。
「……会計だな」
彼女は腰の小袋を解き、
金貨と銀貨を、等間隔で並べた。
澄んだ金属音。
一枚一枚が、
騎士団の正規鋳造貨だ。
「こちらは王国公認通貨だ。
純度は保証する」
店員の女性は、
完全に思考を停止した。
「……あ、あの……」
後ろに並ぶ客の気配が、
わずかにざわつく。
エリシアは、その反応を見逃さなかった。
(なるほど……
通貨の形状が異なることで、
即時の換算ができぬ、というわけか)
彼女は頷き、
次の一手を打つ。
「では、交渉に移ろう」
「え?」
「この場で、
等価交換を提案する」
エリシアは、
金貨を一枚引き寄せた。
「この貨幣は、
武具の鋳直しにも耐える。
溶かせば装飾具としても使える」
完全に、
“行商人モード”である。
「その代価として、
ここにある糧食一式。
そして――」
彼女は少し考え、
真剣な顔で言った。
「……袋も付けてほしい」
沈黙。
次の瞬間、
横から声が飛んできた。
「ちょ、ちょっと待った」
昨日の男だった。
「それ、本物の金と銀ですよね……?」
「?
ああ。偽物を持ち歩くほど、
騎士は落ちぶれていない」
男は頭を抱えた。
「いや、そういう問題じゃなくて……」
彼は財布を取り出し、
素早く会計を済ませる。
「すみません、これで一緒に」
店員は、
ほっとした顔で処理を終えた。
袋が差し出される。
店の外。
エリシアは、
少し不服そうに腕を組んだ。
「なぜ止めた。
交渉は成立寸前だった」
男はため息をつく。
「この国では、
“溶かせるかどうか”で
お金を決めないんです」
「……?」
「数字です。
あと、カードとか」
「数字で価値を定める……
それはそれで、
極めて合理的だな」
エリシアは、
少し考え込み――
「だが、
腹が満たされるなら問題ない」
袋を見下ろし、
小さく頷いた。
「学習した。
この都市では、
通貨より先に、作法を理解すべきなのだな」
「……戦闘より、神経を使うな」
店の外。
エリシアは袋を開き、
先ほどの三角形を取り出した。
包みを剥がす。
海苔の香り。
「……これは……」
一口。
「………………」
二口。
「……温かくないのに、美味い」
驚きは、確かにあった。
保存食でありながら、
味気無さがない。
油も、塩も、
過不足がない。
「この国の兵站官は……
恐ろしい才能の持ち主だな」
からあげ棒にも挑戦する。
熱くない。
だが、ジューシー。
「……魔法なしで、この味……」
エリシアは、
本気で警戒を始めた。
エリシアは、
最後の一口を飲み込み、
静かに息を吐いた。
「……満たされたな」
腹部に手を当て、
確かめるように頷く。
「食糧の確保は完了した。
これで、本日の任務は――」
そこで、言葉が止まった。
空を見上げる。
高い。
建物が、やけに高い。
陽は、すでに傾き始めている。
「……日没まで、あとどれくらいだ?」
男は、スマートフォンを見て答えた。
「今からだと……二時間くらいですかね」
「二時間……」
エリシアは、周囲を見回した。
城壁もない。
詰所もない。
野営に適した空き地も、見当たらない。
「……宿は?」
男は一瞬、言葉に詰まり――
少し、困ったように笑った。
「ええと……」
「この国では、
野営は、あまり一般的じゃなくてですね」
「……?」
「泊まるには、
また――お金が要ります」
エリシアは、
袋の中の残りの糧食を見下ろし、
ゆっくりと瞬きをした。
「……」
そして、静かに結論を出す。
「なるほど。
この都市は――」
一拍。
「食えるが、寝かせてはくれぬのだな」
男は、否定しなかった。
池袋の空に、
ネオンが灯り始める。
次の試練は、
すぐそこまで来ていた。




