第十二話 ―帰還の可能性―
それは、
唐突に提示された。
池袋の喧騒から、
少し外れた場所。
人の流れが緩み、
音が薄くなる地点で、
男は立ち止まった。
「……一つ、
話しておくべきことがあります」
エリシア・グランフェルトは、
その声の調子で察した。
冗談ではない。
観光でもない。
「改まるほどの話か?」
「はい」
男は、
逃げなかった。
「……あなたが、
ここに来た理由」
エリシアは、
即答する。
「転移事故だな」
「ええ。
でも――
“事故”で済ませるには、
少し条件が揃いすぎていますが…」
エリシアは、
眉をひそめた。
確かに。
池袋。
言葉が通じる。
致命的な排斥もない。
偶然にしては、
出来すぎている。
男は、
ポケットから小さな端末を取り出した。
スマートフォン。
だが、
画面に映るのは、
一般的な地図ではなかった。
円。
線。
重なり合う、
複数の“地点”。
「……これは?」
「可能性の図です」
男は、
そう言った。
「異世界――
正確には、
異なる“物語圏”が
重なりやすい場所」
エリシアは、
息を呑む。
「……門か」
「門、ではありません。
もっと曖昧で、
もっと不安定なもの」
偶然。
集中。
象徴。
「人が集まり、
物語が交差する場所ほど、
境界は薄くなる」
エリシアの脳裏に、
これまでの場所が浮かぶ。
百貨店。
塔。
劇場。
駅。
(……確かに)
どこも、
物語が“溜まる”場所だった。
「……では、
帰れるのか?」
声が、
僅かに強ばる。
男は、
一瞬だけ目を伏せた。
「可能性は、あります」
その言葉は、
希望であり、
同時に制限だった。
「ただし」
男は、
はっきりと言う。
「条件が必要です」
一つ。
境界が薄くなる瞬間。
二つ。
強い“物語的引力”。
三つ。
「――帰りたいと、
本気で選ぶこと」
エリシアは、
黙った。
それは、
簡単な条件ではない。
「……お前は」
エリシアは、
男を見た。
「なぜ、
そこまで知っている?」
男は、
少しだけ困ったように笑う。
「専門が、
その手の“隙間”なので」
「専門?」
「ええ。
まあ……
観測者、に近い立場です」
完全には言わない。
だが、
否定もしない。
エリシアは、
それ以上踏み込まなかった。
「……帰れば」
エリシアは、
静かに言う。
「私は、
元の役割に戻れる」
剣を持ち。
命じられ。
戦う。
分かりやすい、
騎士の人生。
「はい」
男は、
否定しない。
「でも――」
その続きを、
エリシアは知っていた。
「……ここで、
私は“選んだ”」
衣。
食。
住。
剣以外の表現。
役割のない中心。
物語にされる違和感。
「それを捨てて帰るのは……
簡単ではないな」
男は、
初めて少しだけ、
安心したような顔をした。
「選択肢は、
まだあります」
男は言う。
「急ぐ必要はない。
境界は、すぐには閉じません」
エリシアは、
夜の街を見渡した。
池袋。
異世界より、
物語の多い街。
「……なら」
彼女は、
剣の柄に手を置く。
抜かない。
「私は、
もう少しここにいる」
帰還の可能性は、
確かに提示された。
だが、
選択は――
まだ、終わっていない。
男は、
それ以上何も言わなかった。
物語は、
最終局面へと、
静かに舵を切る。
剣を持つ女騎士が、
帰るか、
残るか。
答えは、
まだ、彼女の中にある。




