第一話 ―迷宮都市に立つ―
東京という国の北寄りに、
異世界の騎士が降り立った。
石畳ではない。
土でもない。
滑らかに磨かれ、規則正しく敷かれた灰色の地面。
その中央に、全身を銀の鎧で覆った女が立っていた。
「……ここは……王都、ではないな」
女の名は、エリシア・グランフェルト。
剣と誓約に生きる、正規騎士団所属の女騎士である。
彼女の視界を埋め尽くすのは、人、人、人。
誰一人として武装していないにもかかわらず、
誰一人として恐怖を見せていない。
頭上では、巨大な壁が光っていた。
文字と絵が踊り、声なき声で何かを訴え続けている。
「……幻術か?」
反射的に剣へ手を伸ばしかけ、
エリシアは動きを止めた。
誰も、敵意を向けてこない。
いや――誰も、彼女を“見ていない”。
正確には、
見てはいるが、脅威として認識していない。
奇妙な服装の者は珍しくないらしく、
通行人の視線はすぐに逸れていった。
「なるほど……この都市では、
異形もまた日常、というわけか」
エリシアは、ゆっくりと剣から手を離した。
都市は、音に満ちていた。
地鳴りのような振動。
絶え間なく流れる声。
鉄の獣が吐き出す風。
そして何より、
方向感覚を奪うほどの情報量。
「……迷宮だな」
塔が見える。
だが、近づいているのか、遠ざかっているのか分からない。
地下へ続く口が至るところに開き、
人々は躊躇なく吸い込まれていく。
「地下に別の都市を持つとは……
なんと防御に優れた構造だ」
彼女は完全に誤解していたが、
この時点では誰もそれを正さなかった。
ふと、足元に視線を落とす。
自分の姿が、
黒い板の中に映っている。
「……?」
エリシアは屈み、
恐る恐るその板を覗き込んだ。
――そこには、確かに自分がいた。
動く。
瞬きする。
剣も、鎧も、忠実に再現されている。
「鏡……いや、違う」
背後から声がした。
「……すげえ完成度だな」
振り向くと、
紙袋を提げた若い男が立っていた。
敵意はない。
だが、興奮がある。
「どこの作品です?
新作? それとも海外?」
意味は分からない。
だが、質問であることだけは理解できた。
エリシアは背筋を正し、
騎士としての礼を取った。
「私はエリシア・グランフェルト。
グランフェルト王国、第二騎士団所属。
ここは――どこだ?」
男は一瞬黙り、
次の瞬間、笑った。
「……池袋っすよ」
「いけ……ぶくろ?」
「はい。日本。東京。
えーと……現実世界です」
エリシアは、空を見上げた。
雲一つない。
だが、星もない。
「……なるほど」
彼女は静かに頷いた。
「異界転移、というやつだな」
男は目を見開いた。
「設定、ガチだ……」
こうして、
池袋の女騎士は、
迷宮都市での生活を始めることになった。
剣も、誓いも、そのままに。
ただ一つ違うのは――
この街では、戦いよりも先に
“理解”が必要だということだった。




