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剣聖令嬢、孤児院に行く


『ポム・ド・メール』を出る際、ゼスィアは申し訳なさそうに微笑むと、エリンに「お店に残っているパイやケーキを、売れるだけ売ってほしい」と頼み込んでいた。

山賊みたいな無礼男に絡まれて、売り上げが落ちるのを懸念したのかもしれないけれど……差し出された大量のケーキ箱を抱えるゼスィアは、まるで甘いお菓子の騎士のよう。


「私も持つわ?」


「僕一人で十分だよ。それに、大切な女の子に力仕事は任せたくないしね」


「……貴方よりも筋力、あるかもしれないのに?」


「ははは、これは男の意地だからさ」


正直、絶対に私が持った方が効率良いだろう。

剣聖として鍛え上げられた体をもってすれば、全力疾走で何km運んでも息一つ乱さずにいられる自信がある。

なのに何故なのか。

少し……嬉しく感じてしまうのだ。

筋力も無くて、体力も無いのに、私のために強がってくれる彼の気持ちが。


(かっこいいのよね……)


すると、既に息が上がり始めているゼスィアは、まだ空列車の駅に着いていないにも関わらず足を止める。


「セレナ。実は、寄りたい場所があるんだ。付き合ってくれるかな?」


「どこに行くの?」


「孤児院さ……」


私は「もちろんよ」と言って、彼の隣を歩く。

沢山の建物を通り過ぎ、下町の外れにある静かな一角へと足を運ぶ。

そこにあったのは、質素ながらも手入れの行き届いた孤児院。

屋根も色褪せておらず、比較的最近建てられた物だと分かる。

ここまで歩いて来る間、どうしてゼスィアが孤児院に行こうとしたのかを説明してもらっていた。

驚いたことに、この場所は彼が私財を投じて設立し、自ら院長を務めている場所だという。


「……ゼスィア、院長をなさっていたなんて」


「公にはしていないけどね……。家族のいない子たちと守ることも、貴族の仕事だと思ったんだ」


優しい人だ。

思い返してみれば、彼の部屋はいつもシンプルで、何かにお金をかけている素振りは無かったことを思い出す。

一方で、さっき食べたアップルパイの様に下町の事は意外と詳しかったり、「三下公爵」と言われてしまうくらい平民用の安物道具をよく使っていたりと、家柄に対して金銭感覚が釣り合っていない。

それは全て、この孤児院で子供達を助ける為に使っていたのだと考えると納得がいく。


「今日は、養子縁組を希望するハーベルナン伯爵。……今日乗った空列車の終着駅の領主だね。彼との面会があるから寄る必要があったんだ」


「じゃぁ、そのケーキたちはお茶菓子として?」


「あぁ、いや。これはただのお土産だよ。子供達へのね」


その時、子供の声が響く。


「あ! 院長先生だ!」


「ゼスィア先生! おかえりなさい!」


孤児院の扉から飛び出した小さな子供たちが、こちらに向かって一斉に駆け寄ってくる。

その光景はまるで大好きな親の帰りに喜ぶ子供のようだ。


「おっと、みんな、そんなに慌てて走ったら危ないよ?」


駆け寄ってきた幼い子供たちを、一人、また一人と軽々と抱き上げ、あるいは頭を優しく撫でていく。

その表情は、先ほど店で突き飛ばされた時よりもずっと柔らかく、慈愛に満ちていた。


「先生、今日もお菓子あるの?」


「もちろん。とびきり美味しいパイとケーキを買ってきた」


「わぁぁっ!」


歓声が上がる。

ゼスィアは、一人一人の目線に合わせて腰を落とし、子供たちのとりとめのない報告―――「今日、あのアリさんの巣を見つけたんだよ」とか「お花が咲いたんだ」とかを、一言も漏らさず丁寧に聞いていた。

その光景を見つめながら、私は胸の奥が熱くなるのを感じる。

「三下子息」と嘲笑われ不当な扱いを受けても、こうして子供たちの居場所を必死に守り続けている私の婚約者。

世界中の誰が彼を「無力」と思おうが、この子たちの瞳に映る彼はどんな英雄よりも気高く、頼もしい『院長先生』なのだ。

私達は子供に手を引かれるようにして孤児院の入口へと運ばれていく。

すると、横から声が野太い男の声が聞こえた。


「……ふん。ようやく現れたか。君がここの主かね?」


部屋に入ってきたゼスィアを見るなり、声の主は隠そうともしない嫌悪感を顔に出す。

男は宝石を散りばめた指輪が食い込む太い指で、忌々しげに髭を撫でる。

肩にかけた純白の毛皮が、質素な孤児院の椅子にはあまりに不釣り合いで、金糸で縁取られた杖を床に突き立てて座り直すたびに、重厚なベルベットのコートから鼻に突く香水の匂いを部屋中に撒き散らしていた。

更に、座っている椅子の後ろでは、何人もの屈強な大男たちが律義に直立しており、見た瞬間に護衛だと分かる。


(もしかしてこの男が……)


「お待たせして申し訳ありません、ハーベルナン伯爵。院長のゼスィアです。本日は養子縁組の件でお越し頂いたと伺っております」


ゼスィアが穏やかに一礼し、向かいの椅子に腰を下ろすと、伯爵は値踏みするように眺め、傲慢な態度で口を開く。


「わざわざ南の地から出向いてやったのだ。礼儀を弁えたまえよ、平民」


「これは大変失礼いたしました。管理の者から、伯爵閣下が再三お越し頂いたと伝え聞いております。公務がご多忙の中、度重なるご足労をかけ、誠に恐縮至極に存じます」


「……ふん、まぁいい。我が家では、若くて健康な娘を求めている。……カーシェとシエラという姉妹がいたはずだ。あれを差し出せば、このボロ屋をもう少しマシな見てくれにする程度の寄付金は出してやろう」


その言葉に、ゼスィアの瞳の奥がスッと冷えるのを、私は気配から感じ取った。

ちなみに、当然ながら私の機嫌は、氷点下をはるかに下回っている。


「……身に余るお言葉です。ですが、伯爵閣下。一点、お伺いしてもよろしいでしょうか?」


「許そう」


「……ハーベルナン伯爵閣下には既に、将来をご期待されるご立派なご子息がいらっしゃると聞き及んでおります。なぜ今、わざわざ下町の孤児院から養子を迎えようとなさるのです?」


ゼスィアの問いは、静かだが鋭いものだった。

まるで図星を突かれたかのように、伯爵の眉が不機嫌そうに跳ね上がる。


「……下賎な者が、我が家の家政に口を挟むつもりか? 後継者の予備は多いに越したことはないのだ。優秀な駒を揃えるのは、貴族の義務だろうが!」


「『駒』、ですか……。ですが、養子縁組は子供の将来を決める神聖な契約です。彼らがどのような環境で、どのような役割を期待されるのかを知る権利が、院長たる私にもあると思うのですが」


「黙れ、小童!」


伯爵がテーブルを叩き、身を乗り出す。

こいつ……、いい加減、ぶった切りたくなってきた。


「貴様のような平民ごときが権利を主張するか! 若造が院長など笑わせる。金が欲しければ黙って子供を差し出せ。選ぶのは私であって、貴様ではない!」


伯爵の放つ圧迫感に、普通の少年なら震え上がるだろう。

けれど、ゼスィアは微塵も揺るがず、その柔らかな微笑みを維持し続けている。

むしろ私の方が殺気を漏らしていないか不安だった。

このだるま男をぶっ飛ばしたいという衝動を隠すのも、そろそろ限界だ。


「……失礼いたしました。子供たちの幸せを願うあまり、少々立ち入り過ぎましたね」


ゼスィアはあえて引き下がるように頭を下げる。

そして申し訳なさそうに、私の方へ顔を向けると。


「セレナ……。僕は伯爵閣下ともう少し話さないといけないから、良かったら子供たちと遊んでいてくれるかな?」


「でも!」


自分の婚約者に、変装しているとは言え、ここまで見下されて、黙っているわけにはいかない。

しかしーーー。


「セレナ……」


彼は優しい瞳で私を見つめた。

安心してほしいと言うように。


(……落ち着け、ということね)


「分かったわ。でも……大丈夫?」


「うん、ありがとう。子供達を、よろしくね」


そうして私は孤児院の部屋から出て、子供たちの笑い声が聞こえる庭の方へと向かうのだった。

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