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剣聖令嬢、甘いひとときを味わう


「ポム・ド・メール……」


下町の喧騒を抜け、ゼスィアに導かれた先には、場違いなほどに洗練された店構えの菓子屋が佇んでいた。

看板には『ポム・ド・メール』と書かれ、白を基調とした壁に、磨き上げられた硝子。

中へ一歩足を踏み入れれば、侯爵家で最高級の教育を受けてきた私ですら、思わず「あら」と声を漏らしそうになるほどの内装だった。

計算し尽くされた配置で飾られた、フルーツ型の金メッキのモニュメント。

それが店内の柔らかな光を反射し、ここが下町であることを忘れさせるような気品を漂わせている。


(……ゼスィア様、こんな素敵なお店を見つけてくれたなんて)


胸を高鳴らせ、隣の彼を見上げようとした、その時。

耳を刺すような怒声が、優雅な店内の空気を切り裂く。


「―――だから、何度も言ってんだろ! 焼き直すなり何なりして、俺に出しやがれ!」


カウンターの前で、接客員の少女―――ネームプレートを見るにエリンというらしい、が涙目になりながら、山賊のような風貌の男に詰め寄られていた。

私の背丈と同じくらいの長さがありそうな長剣を背中に背負い、絶対にアップルパイ好きじゃなさそうな荒々しい見た目である。

彼はどうやら、人気のアップルパイが売り切れたことに腹を立てているらしいが、ミスマッチにもほどがある光景だ。


「も、申し訳ございません! その、材料も尽きてしまいまして……」


「知るかよ! 俺様を誰だと思ってやがる!」


(……不快だわ)


あのような下劣な態度、この空間には相応しくない。

私の指先が、無意識に絶対零度の冷気を編みかけ……けれど、ゼスィアが穏やかに一歩前へ出た。


「あの、すみません。予約していたゼスィアですが……」


「あ、はい! ゼスィア様ですね、お待ちしておりました」


エリンが救われたような顔で、奥から丁寧に箱詰めされた二つのアップルパイを取り出す。

途端、山賊男のどす黒い視線がゼスィアへと突き刺さった。


「あぁん? ガキ、てめぇ……。なんで俺にはねぇのに、そのガキにはパイを出すんだよ!」


「ガキ……僕ですか? これは、予約をしていたからです。お店の方も困っていますし、お兄さんも落ち着いてください」


「こっちも仕事で来てんだよ。目障りだからさっさと失せろ」


「お気持ちは分かりますが、お仕事をされているならなおさら、あまり大ごとにしない方が得策かと」


ゼスィアはどこまでも優しく、彼をなだめようとおっとりとした態度で対応する。

けれど、山賊男の怒りは収まるどころか、自分より遥かに上品で“弱そう”なゼスィアへ矛先を変えた。


「……おい、三下。生意気な口ばかり叩いてんじゃねぇぞッ」


男の太い腕が振るわれた。

―――私の反応速度なら、男の腕を付け根から氷塊に変えるのは造作もないことである。

けれど、脳裏にリサンドルティア公爵との『契約』が過る。

ここで私が『第七の剣』の力を見せれば、正体が露見し、ゼスィア様の側にいられなくなってしまう。

それは……。


(……っ!)


一瞬の躊躇。

その隙に、無抵抗なゼスィアは男の太腕に突き飛ばされ、派手な音を立てて床に転がった。


「っ!?」


「はははぁ! ざまぁねぇな、三下ごときがよ!」


(……殺す)


視界が真っ白に染まる。

私の周囲だけ、物理的に温度が数十度下がったことに男は気づいてすらいないだろう。

靴の先から広がる冷気が、男の心臓を凍りつかせようと這い上がっていく。

この『ゴミ』を今すぐ塵にして、その汚い舌を二度と動かぬよう凍土に沈めてやる……。


「……大丈夫だよ、セレナ。僕は、平気だ」


「ゼスィア様っ!?」


服のほこりを払いながら立ち上がったゼスィアが、私の手首をそっと握る。

慌てて魔力出力を無くし、今にも駆動を始めるところだった『氷華の簪』も停止させた。

彼は私の肩を引き寄せ、耳元でそっと呟く。


「お体にお怪我はありませんか!? 痛いところがありましたら私が!」


「セレナ。お仕置き、またされたい?」


「え!? あ、ゼ、ゼスィア! ご、ごめんなさい」


正直あの“お仕置き”だったら何度でもされたいが、侯爵令嬢としてそんなふしだらではいけない。

それにこの状況ではそんな場違いな事して良いわけがなかった。

ここは鋼の心で彼の言葉に従うが、目の前のくそ野郎が許せない事は変わらない。


「……ゼスィア。この男、貴方を……」


「いいんだ。……ねぇ、お兄さん。アップルパイだけど、僕の分を一つあげますよ。だからもう、店員さんを困らせるのは、やめてくれませんか?」


彼は笑っていた。

侮辱され、突き飛ばされたというのに、申し訳なさそうに震えるエリンと、私を安心させるように。

男は「最初からそうしやがれ」と捨て台詞を吐き、ゼスィアの代わりにエリンから奪い取ったパイを掴んで店を出ていく。

静まり返った店内で、ゼスィアが一つだけ残ったパイをカウンターで受け取り、苦笑いを浮かべて私に謝る。


「ごめんね、セレナ。一つになっちゃった。……僕がもっと強ければ良かったんだけど、君はリンゴが好きだったし、アップルパイは君だけで食べて」


情けない、と自嘲気味に笑う彼。

けれど、彼は知らないのだ。

あんな男、私にとっては瞬き一つで消せる羽虫に過ぎないという事を。

それなのに、そんな羽虫程度の相手にすら優しさを捨てず場を収めようとした彼の心が、どれほど気高く、どれほど『かっこいい』か。


(あなたは、本当に……)


「いいえ。私は、一つを二人で分ける方が……ずっと、ずっと嬉しいわ」


「僕は、こんな優しい婚約者がいて、本当に幸せ者だよ」


「!? そ、そうですか?」


「人が居なかったら、今すぐ抱きしめてたところだ」


「もう、バカ」


うっとりとした気持ちで彼の深紅の瞳を見つめる。

鮮やかに輝く左目は美しく、金色の髪の毛から覗く無機質な右目も、今は温かな光を浮かべているように思えた。


「あ、あの……」


「「っ!?」」


すっかり存在を忘れていたエリンの一声で、現実に引き戻される。


「す、すみません。ここ、カウンターでしたわね! あはは……」


「い、いいえ。こちらこそ、先ほどはありがとうございました」


「彼女と、店内で食べたいのですが、案内してもらっても良いですか?」


「は、はい!」


婚約者の少年は、此方の腰に手を当ててギュッと引き寄せる。

案内された窓際の席は四人席となっていて、二席分はソファーとして一体化していた。

本来、対面で座るのが常識的だが。


(今日は……デートだもの!)


ゼスィアがソファーに座るのを見届けると、私も彼の隣に密着して座る。


「セレナ?」


「……か、彼女、ですから」


「っ!? ははは、相変わらず可愛いな。僕の彼女は」


エリンが気を遣ってくれたのか、運ばれてきたアップルパイは半分に分けられていた。

フォークで切り取った一かけらを口に運ぶと、甘酸っぱいリンゴの香り、はちみつとリンゴそのものの爽やかな甘み、そしてバターの芳醇な風味が広がる。


(あの男はいつか絶対に後悔させてやるとして。やっぱりリンゴは最高だわ!)


心の中でちゃっかり復讐計画を練りながら、世界一かっこいい婚約者と、甘いパイの味を噛み締めたのだった。


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