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剣聖令嬢、私服の貴方と


「そう言えば、貴方のお名前はなんでしたでしょうか?」


下町衣装に着替え終え、立ち鏡で己の姿を確認しながら、後ろに立つメイドに問う。

彼女はニコリと温和な笑みを浮かべた。


「アンナと申します。セレナお嬢様」


「アンナさんと言いますのね。おかしいところはありませんか?」


鏡に映る自分の姿は、腰まであった桃色の髪を編み込み、質素な綿のワンピースに身を包んでいる。

ちゃんと武器でもある『氷華の簪』も、つば広の帽子を被っておけば隠せるだろう。

後は、『雑用』でこれらの服を傷つけなければ大丈夫。


「とてもお綺麗ですよ。今どき人気の町娘、と言った仕上がりです」


礼儀正しく頭を下げるアンナ。

昨日から側仕えとして来てもらったのだが、とても真面目そうなメイドであり、とても悪事を働く人間には思えない。


「でも、少し気に入らないですわ」


ピンク髪をまとめていたかんざしを引く抜くと、髪の毛がフワリと腰まで降りた。

面倒ではあるが、もう一度髪の毛を結い直さなければ。


「では、次はどのようにいたしましょうか?」


「そうですね……。先ずは、どうして偽名を述べたのか、教えて頂きましょうか」


「……はい?」


「“アンメール・ナミレスタ”さん。グランフィザード公爵家と懇意にしていらっしゃった子爵だったと記憶しておりますわ」


「……なんのことでしょう?」


「他にも聞きたい事がありまして……。元子爵令嬢である貴方が、何故平民のふりをして給仕の職についたのか。“どうして昨日のお茶に毒を混ぜたのか”、教えていただけますとありがたいです」


「…………」


その瞬間、アンナーーーアンメールの表情から笑顔が消える。

その目には冷たく無機質な殺意が宿っていた。


「よくお気づきに。……結局あの紅茶は飲まれなくて残念でした」


「高位貴族の社交教育を見くびらないでくださいな。紅茶の中に僅かな毒が入れば、香りも変わるのですよ」


「これは失礼。低位の者は生き延びる事に必死なので、その様な娯楽に見識を深めるのは難しいのです」


「単刀直入にお聞きいたします。狙いはゼスィア様でしょうか?」


「さて、どうでしょう?」


これは肯定だろう。

着付けの際に問答無用で殺しに来なかったのは、彼女にとって私が標的ではなく、ゼスィアに付け入る渡船だったからに違いない。


「誰の指示によるものですか?」


「既にご察しされているのでは?」


「…………」


予想している名前は確かにある。

だがそれが事実なら、相手は途方もなく巨大で手強い。

だからこそ、心の底からそうであって欲しくないと願ってしまう。

アンメールはハァとため息をつくとメイド服のスカートに手を突っ込み、ヒュッと獲物を取り出した。

先日処理した男が持っていた武装と同じもの。

刃渡20cmのダガーが握られている。


「すみませんが、バレたのなら仕方ありません。セレナ様には、死んでいただきます」


「私、だいぶ強いですよ?」


「ご冗談を……。そんな細腕で何が出来るのですか」


柄に取り付けられている魔鉱石が光る。

確かあれの魔装効果は……。


「困りましたわ。こんな所でそれを使われたら、私の部屋がメチャクチャになってしまいます」


「? なにを」


彼女が疑問を言い切る前に動く。

瞬時に、目にも止まらぬ速さで、常人より遥か上の力を持って。


「『氷華の簪』、駆動」


……………。


ーーー後片付けに手こずった。


おかげで待ち合わせ時間にギリギリだ。

時間にルーズな婚約者だと思われていないだろうか。

適当な女だと思われたくない。

そう願いながら、下町まで30分で着く事ができる『空列車』のホームへと走る。

ホームに足を踏み入れると、欄干のすぐ先には遮るものひとつない大空が広がっていた。

雲海を割って吹き抜ける風が、スカートを捲り上げてくるので少し焦りつつ、ゼスィアの姿を探す。

重力制御の魔鉱石が使われた床板のおかげで、

ホーム全体がわずかに発光しており、巨大な列車が滑り込んできても揺れひとつ生じさせない。


(まずい! この列車に乗らないといけないのに)


直後、真横から肩をトントンと叩かれる。


「は、はい!?」


驚きながらそちらを見ると、麻のシャツに身を包み、美しい金髪を使い古したハンチング帽の中へ隠している青年が立っていた。

右目は眼帯で覆い、まるで下町の不良の様な出立ちである。


「もしかして……ゼスィア様、でしょうか?」


「正解。平民姿でもびっくりするくらい可愛いね、セレナ」


(普段の印象とギャップがありすぎでしょ!?)


生徒会長状態が『王子系』だとすると、今の彼は『ワイルド系』だ。

なんだろう。

いつもと全く違うからこそ心に来るものがある。

上手く言えないが、気持ちが熱くなると言うか、キュンとすると言うか。


「お、お似合いですわ、ゼスィア様」


「こらこら、セレナ。僕達は今、平民なんだよ? 敬語なんて使っちゃダメ」


「えぇ!? でででも、ひ、人前ですし……っひゃ!?」


こともあろうに、こんな場所で婚約者は私を抱き寄せる。

腰の後ろにまわされた大きな手が、腰をグッと密着させて来て……。


(なになになになになになに!?)


若干のパニックに陥る私に、この男は容赦なく耳元で囁いた。


「言うこと聞いてくれないと、本気で口を塞いじゃうよ?」


「くっ!?」


「……君が可愛すぎて、僕も色々限界なんだからさ」


「…………」


気絶しそうだ。

この人、いきなり何を口走ってくれている……。

デートはまだ始まってすらいないのに、こんな調子で私の体は耐えられるんだろうか?


「許して……。ゼ、ゼスィア」


「っ! ごめん。やっぱり……一回してもいい?」


「もう! バカァ!」


このエロボケ婚約者、どうにかしてー!

不安と期待に満ちたお忍びデートが幕を開けた。

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