剣聖令嬢、デートに誘われる
「――良いかね、セレナ嬢。誰にも『第七の剣』であると悟られてはならない。……それが、私の息子の側にいるための唯一にして絶対の条件だよ」
冷徹なリサンドルティア公爵家当主――ゼスィアの父と交わした、あの日。
私、セルフィア・レナスハートが『剣聖』という立場を隠し、ただの婚約者を演じてここにいるのは、この契約があったからだ。
『人』という枠組みの中で最高戦力と言える剣聖が、令息一人の護衛の為だけに使われていると露見すれば、即座に私は騎士団へと引き戻されるだろう。
それは、彼と離れることを意味している。
ーーーそれはダメ。
大切なあの人と離れ離れになるなんて、絶対に嫌だ。
ずっとそばにいる為に、誰よりも強くなったんだから。
「セレナ? また考え事かい? 僕を目の前にして他のことを考えるなんて、寂しいな」
「……っ! 考えてなどいませんわ。ゼスィア様、顔が近すぎます!」
学園の放課後、人目を盗んで寄り添うように歩く。
柔らかな夕刻の光が、貴族学園男子寮の豪奢な廊下をオレンジ色に染め上げていた。
「なにか、あったの?」
彼は当然のように手を握る。
その手は剣をほとんど握ったことが無いせいか、私のものよりずっときめ細かく柔らかい、けれど男の子らしく大きな手だった。
自分の顔が少し熱くなるのを自覚すると同時に、小さな不安がよぎる。
(私の手……、可愛く、ないよね)
何万、何百万と剣を振ってきたこの手のひらは、女の子の手というには硬すぎて、可愛さのかけらもない。
彼を守る為に強くなって、剣聖にまでなった。
彼を守れるようになったけれど。
ーーー今の私は、彼の婚約者として相応しいのだろうか?
女らしくない、こんな自分で……。
「……少し、自信を無くしていたのですわ」
「自信? 誰かに何か言われたのかい?」
「そうではなく……その、なんと言いますか……私の手、淑女らしくないでしょう?」
「…………」
(あれ? 私……なに言ってるんだろう?)
こんなことを言われても、相手を困らせるだけなのに。
この人に、不安がってる自分なんか見せたくないのに。
……どうしよう。
己を卑下する、卑屈な女だと思われたらどうしよう。
可愛くない婚約者だって、思われたらどうしよう。
「も、申し訳ありません。今の発言は忘れて……」
その時、ゼスィアは繋いだ手をグイッと引っ張った。
右手が彼の口元まで持ち上げられ、そのまま剣ダコまみれの手のひらにーーー
「っ……!?」
「僕は好きだよ」
「ゼ、ゼスィア……様」
「君の手、ちっちゃくて、良い匂いがして、色が白くて、大好きだ」
「あぅ……」
いつものように、好き好き弾丸が飛んでくる。
なんでこの人は、ここまで好きだと言ってくれるんだろう。
強くなるばっかりで、可愛らしくない私を。
どうして、こんなにドキドキさせてくるのだろう。
もう婚約していて、無碍に扱ったって許される相手を。
「愛してるからね」
心の疑問に答える様に、彼は微笑んだ。
私の事を真っ直ぐに見つめながら。
「……恥ずかしいです。こんな場所で、誰か来てしまいますよ?」
「来ても、僕達に気を使ってくれるよ」
「……もう、……バカ」
「可愛い」
なにがそんなに嬉しいのか、満足そうに微笑む婚約者。
きっと夕日の色では誤魔化せないくらい、私の顔は真っ赤になっていることだろう。
敵の攻撃だったら全て捌くことが出来るのに、彼の甘い言葉は全く捌ける気がしない。
「ところでセレナ。明日、空いてるかな?」
『エリュゼス・リサンドルティア公爵子息』と書かれたネームプレートを仰々しく取り付けられた扉の前で、彼はおもむろに聞く。
明日は休日。
貴族学園の生徒達が、自由に下町まで降りられる日だ。
「う、うん。空いてるけど……」
「実は、とっておきの場所に案内したいんだ。たまには学園の外で、一緒に過ごさない?」
「下町でってこと?」
「そう。市場に、最高に美味しいアップルパイのお店を見つけてね。君と一緒に食べたいなって」
本来、貴族が平民達の生活圏に行くのは仕事の都合か、統治する自領の様子見かのどちらかしかない。
けれどここで彼が言っている下町とはバーキランス貴族学園周辺の街のことだろう。
侯爵令嬢が気軽に足を向ける場所ではないのだが……。
「行く」
普段、公爵家の人間として不自由な思いをしている彼が、少年のような瞳でしてくれた提案。
これは婚約者として断るべきではないだろう。
というか絶対に断りたくない。
だって……。
(デートってことだよね!?)
乙女なら誰もが憧れる、好きな人との甘いひと時。
そのチャンスを逃す選択肢などあるわけがなかった。
「本当かい! ありがとう、セレナ。下町は慣れてないだろうけど安心して! 必ず僕が守るから」
「じ、じゃあ、お願いします」
むしろ私が貴方を守るのだけど。
下町という事は素行の悪い輩も多いから、護衛を任されている立場としては自重させるべき事案なのだがーーー何より、彼の「隣」にいられる時間を私は優先したかった。
「……でも、この格好のままだと目立ちすぎないかしら?」
自分達が纏うそれぞれの制服は、美しさと高貴さが同居した意匠で、実に貴族らしいデザインとなっている。
私は二学年を示す白のストライプが入った、鮮やかな青のリボンタイ。
ブラウスには、控えめなフロントフリル付き。
その上に重ねた紫鳥色のボレロは、純白のフリルとラインが縁取られている。
隣のゼスィアも、三年生であることを示す緑のストライプタイ、白シャツを学園の校章が刻印された革ベルトで引き締め、上下に紫鳥色のロングジャケットとトラウザーを着ていた。
今の二人の姿は、下町だと確実に目立ってしまう。
「準備はしてあるよ。……僕の部屋に、着替えを用意したからね」
「私の服も!?」
準備が良すぎて驚きだ。
もしかして誘う前から私が承諾することを分かっていたのだろうか。
「本当に、頭は良く回るのね」
「体だってよく動くんだよ?」
自信満々にウインクをキメる婚約者。
寝言は寝ていって欲しいものである。
「ふふ。明日、楽しみにするね」
「楽しませてみせるよ」
この後はいつも通り、彼の部屋で仲良くお茶をした後、事前に用意してくれていた『着替え』を受け取り女子寮へと帰ったのだった。
そして次の日。
彼の用意してくれた『着替え』を“先日側仕えにしたばかり”のメイドに着付けて貰いながら、ふと疑問が生まれる。
「どうしてこの服、こんなにピッタリなんですの?」
ゼスィアに自分の体型数値を教えた覚えはない。
というか恥ずかしいので教えたはずがなかった。
だから、スリーサイズなど知りようがないはずなのにーーー下町仕様の衣服達は、どれも私専用と思わせるくらいジャストサイズである。
「目測……ということかしら」
だとしたら、あの男……婚約者の体をどんだけ熱心に見ているのだろうか。
今日のデートに浮き足立ちながら、彼の私を見る目について、色々聞きたくなったのであった。




