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無力な姉、希望を抱く


「おい、いい加減にしろ。往生際が悪いぞ」


 その声を聞くたびに、心臓が握りつぶされるみたいに痛い。最前方車両の、逃げ場のない豪華な部屋。私と妹のシエラは、逃げようとするたびにハーベルナン伯爵の周りにいる大きな男たちに突き飛ばされ、部屋の隅に追い詰められてしまう。

 伯爵が手にしているのは、嫌な光り方をする二つの鉄の輪。孤児院で年上の子から聞いたことがある。……一度つけられたら、もう二度と自分の意志では動けなくなる、悪魔の道具。


「やだ……来んな! シエラに触らないで!」


 私は必死にシエラを背中に隠した。シエラは私の服をぎゅっと掴んで、ひっく、ひっくと声を殺して泣いている。でも、私の抵抗なんて、伯爵にとっては遊びみたいなものだった。


「離せ……離せよ! この野郎!」


「ふん、元気なことだ。その生意気な口もすぐに利けなくなるぞ」


 伯爵の太った手が、私の胸元を乱暴に掴んで引き寄せた。


―――バリッ!!


 安物の、でも孤児院で大事に洗濯していたワンピースが、簡単に引き裂かれた。

 急に肌に触れた肌寒い空気と、伯爵のねちゃついた視線。恥ずかしくて、怖くて、頭の中が真っ白になる。


「さあ、直接体に教えてやろう。お前たちが、誰の『人形』なのかをな」


 魔力を帯びた首輪の金具が、私の首に冷たく触れる。その金具が目の前の男の期待心と呼応するように、鎖骨の上をゆっくりと閉じられていく。


「うぐ……。い、嫌だ……。い、や」


 もうダメだ。シエラ、ごめんね。お姉ちゃん、守れなかった。


(なんて人生だよ……)


 無力な自分を恨みながら、ゆっくり目を閉じる。

 奴隷としての人生に、売られてしまった事に、守ってくれる人が居ない人生に、絶望しながら……。世界と運命を、呪いながら……。

 その時―――。


――ドォォォォォォン!!


 耳が壊れるかと思うほどの爆音。後ろの車両に繋がる重たい扉が、まるで紙切れみたいに吹き飛ぶ。


「な、なんだッ!?」


 伯爵が叫んで私を突き放す。その拍子に固いソファの手すりに頭をぶつけた。

 泣き続けていた妹が「おねぇちゃん!」と必死に駆け寄ってくる。ギュッと抱きしめたシエラはとても暖かくて、嗅ぎなれたいい匂いに束の間の安堵。


(……寒い?)


 今の私はワンピースが引き裂かれたせいで半裸状態だが、それにしてもこの部屋は寒すぎると気づく。さっきまで、絶対にここまで寒くはなかったし、外気もここまで冷たくはないはずだ。

 そうしてようやく私は理解した。この冷気は、後方車両から吹き込んできているのだと。

 見てみれば、部屋の中に猛烈な勢いで『冬』が流れ込んでいた。砕け散った扉の破片がキラキラとダイヤモンドみたいに宙を舞う中、その光の向こう側に、一人の影が立つ。

 風に舞う桃色の長い髪と、シャンデリアの光の中でも鋭く、冷たく輝く青い瞳。


「……せんせい……?」


 シエラが、震える声でその人の名前を呼んだ。私も、涙でぼやけた目で必死にその影を見つめる。

 あんなに上品で、綺麗だったセレナ先生。そんな彼女が今、私たちが練習した木の棒なんて比べものにならない、蒼く透き通った本物の剣を手にしている。

 そして、彼女の透き通るような美しい声が、私達に向けて響いた。


「助けに来ましたよ。カーシェさん。シエラさん」


「……せんせい! おねえちゃん、先生だよ!」


「セレナ、先生……なの?」


 シエラが破かれた服をグイグイ引っ張りながら叫ぶ。私も、夢なのではないかと目を擦るが、彼女は毅然と優しい笑みを向けてくれている。


「助けに……来て、くれたんだ……」


 頬にポロポロと水滴が伝う。シエラをギュッと抱きしめながら、嗚咽を必死に耐える。

 理不尽で、不公平。こんな世界には、絶望しかないと思っていたけれど、違った。まだ、希望は残っていると、今なら思える。

 だって、院長先生の隣にいた、あの優しくて不思議なお姉さんが、今は誰よりも気高くて頼もしい『救世主』に見えたから。

 セレナが私達に向けてニコリとウインクすると、力強い言葉で宣言した。屈強な男たちも、肥え太った権力者も、誰もかれもが敵ではないと言うようにーーー。


「……今すぐ、彼女たちを返しなさい。ハーベルナン伯爵」


 大地を凍りつかせるような静かな声が、部屋中に響き渡る。

 その風格はまさに強者。

 さながら、『剣聖』の様にすら見えたのだった。

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