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剣聖令嬢、婚約者を守ります


―――また、ですわ。


よくもまぁ、凝りもせずに毎日毎日、貴族の学校に刺客を送り込んでくるものだ。

バーキランス貴族学園の白亜の廊下で、誰も気づけないような小さな溜め息をつく。


「おや、愛しのセレナ。 溜め息なんてついて、何かあったの?」


「気のせいですわ、ゼスィア様。……少し寒くなってきたなと思いまして」


本当に小さい溜め息だったのに、この少年は何で気がつけるんだろうか?

私みたいに前世の記憶があるんじゃないか、と疑ってしまいたくなる目敏さだ。


「もうすぐ冬か……。僕の『宝石』が風邪を引いてはいけない。温めてあげるね」


そう言って私の婚約者、この国の四大公爵家の三男、エリュゼス・リサンドルティアーーー愛称、ゼスィアは私を抱きしめた。

こんな公共の場の、廊下の真ん中で。


「なななっ!?」


言葉にならない悲鳴が漏れる。

さっきまで寒くなって来たな、と思っていた頭が、今や火を吹きそうなくらい熱い。

いきなりなんてことをしてくれたんだ、この人。

いくら婚約者だからって、婚前の男女が人前で抱き着くなど……いや、人前で無くともよろしくないだろう。


「……ゼスィア様、お離しになって。他の方々が見ていらっしゃいますわ」


噴火してしまいそうな血圧を気合で押し留めながら、どうにか言えた穏やかな言葉遣い。

ゼスィアは、見事なまでの金髪と、左目の深紅が印象的な美男子だが……いかんせん、その……少々、残念な人だった。


「いいや、離さないよ。君という太陽に照らされている間だけ、僕は寒さを感じずに済むんだからね」


「でも……その、恥ずかしいですし」


ここはただの廊下。

なので当然だが、通行人の学生たちが沢山いる。

にも関わらず、こんな事をしていれば、注目の的にならないわけがない。

ど真ん中で熱い抱擁を交わしている私たちに、少年少女達はパチパチと拍手を送ってくれていた。

優しさが辛いというか、穴があったら入りたい気分だ。


「僕は幸せだよ?」


「………………」


この色ボケ令息をどうにかしてー!

聞いているこっちが恥ずかしい。

そのくせ貴族階級はこの国で一番高い家柄だから、周りの学生たちも気を遣ってか祝福ムードで拍手しているし。

しまいには、ひそひそと「相変わらずラブラブですわ」とか「生徒会長は恋愛でも誰にも負けないな」と言われてしまっている。

ていうか、そう……、この男はこれでも生徒会長だった。


「あ、あの……学園は学び舎ですよ? その、生徒会長が、人前でこんなことをしていては、皆さんに示しがつきませんわ」


「大丈夫だよ、セレナ。君への愛を育む為なら、例え学園長だろうと躊躇なく打ち負かしに行くから……」


「全く大丈夫ではありませんね。も、もう……終わりです。離してくださ、ひゃっ!?」


ゼスィアが私の耳元へキスをした。

とうとう顔が火を吹いた私に対し、彼は悪びれもせず湿っぽい声で囁く。


「じゃあ、放課後……また僕の部屋に来てくれる?」


「っ!? ……わ、分かりました。分かりましたから! 離してください!」


どんっと彼の大きな胸板を押す。

かなり力が入ってしまったからか、ゼスィアは足をもつれさせ、そのまま無様に床に転がった。


「おっと……! あはは、セレナ。照れてる君は、最高に可愛い」


「もう、黙ってください。三下男のくせに……」


「ふふ。素が出てるよ、素が」


「っ!?」


しまった。

思わず二人の時の口調が……。

私は侯爵令嬢セルフィア・レナスハート。

人前では貴族としての矜持とマナーを忘れてはいけないのに……。


(この人の前だと、いっつもペースが崩されるわ)


私の婚約者は運動センス皆無、魔力量も下から数えた方が早い。

言動もチャラチャラしているせいか、学園中から「三下公爵子息」と影で揶揄されている始末。

だというのに、この男は何でいつもへらへらしているんだか……。


「ほら、お立ちになって。生徒会長であり、公爵令息でもあるあなたが、そんなみっともない姿を人前でさらすものではありませんわ」


「優しいセレナ。好きだ」


「も、もう……」


バカ! という言葉が喉元まで来て、何とか飲み込む。

危ない危ない。

また素が出てしまう所だった。


「三下でも、みっともないでも、何でもいいさ。僕は……君にさえ、カッコつけられたらいいんだ」


よいしょ……と腑抜けた声で立ち上がるゼスィア。

その時、前髪で隠れていた右目がちらりと見えた。

遠目で見れば普通の右目。

だが近くで見るそれは、自然のものではない事が一目で分かる。


(義眼……)


ルビーの瞳を模したそれは、偽物である事を証明するように機械の結合線が見えていた。

かなり特殊な魔道具らしく、詳細は教えてもらっていないが明暗くらいなら認識することが出来るらしい。


「……もっと、強くなってからカッコつけてくださいな」


「運動センスは母譲りなものでね」


明るく言う婚約者。

……違う。

運動音痴なのはセンスのせいじゃなくて、片目が見えていないからだ。

しかし、彼はその理由を誰にも言わない。

バカにされることになっても。


「カッコつけなくたって、私と貴方の関係は変わったりしませんわ」


「僕が君の一番になりたい。それだけだよ」


「………………」


彼は大事そうに、それこそ本当に宝石でも見ているみたいに、じっと私を見つめた。

弱いくせに、カッコ悪いくせに、まるで一生懸命守ろうとしてくれているみたいな目で。


―――また、ですわ。


私は、この表情をよく知っている。


(……あの日も、こんな目で守ってくれていたよね)


初等部の頃、二人で遊んでいた時に、人攫いに襲われた“あの日”。

非力だった私を守るため、幼い少年は勇猛果敢に賊へ立ち向かい―――そして彼は、綺麗な深紅の右目と、公爵家の後継ぎとしての将来を失った。

私を守ったせいで。


ーーー私が、弱かったせいで。


彼だけが痛みを負った。

10歳の少年にとっては、残酷すぎる痛みを。

悔しかった。

血を流して倒れる彼を前に、ただ守られていた自分が。


(だから私は……)


「セレナ? どうしたんだい、そんな僕に見惚れて。……僕も我慢できなくなるよ?」


「……ご冗談を。さぁ、ゼスィア様。また無様に転ばないように、足元に気をつけてくださいまし」


「ふふ、手厳しいなぁ。僕のお姫様は」


彼は私の手を優しく、そして決して離さぬよう取り、歩き出す。

周囲には、ただの過保護な婚約者同士に見えていることだろう。

しかし、私は三歩進んだ所で立ち止まる。


「ん、どうしたの? セレナ」


「申し訳ありません、ゼスィア様。私、これから用事がありますの」


「……そうか。分かった。気を付けてね」


「ええ、ご心配される必要ありませんわ。ただの『雑用』ですので」


そう言って私達は分かれた。

三年生の教室へと向かうゼスィア。

ちなみに私は二年生なので、そもそも教室が違うのだが。


―――私が向かうのは、教室ではない。


(まだ……中庭に居いるな)


気配を消しながら、人気のない中庭へと足を運ぶ。

学園中央に設けられたその場所は、秋の花々を美しく咲かせ、煌びやかな花の絨毯は貴族の高貴さを象徴するよう。

だが、その中に一つだけ、美しさのかけらもない下品な代物が紛れ込んでいた。


「ごきげんよう……。パーキランス貴族学園高等部に、どういったご入用でございますか?」


「っ!? 誰だ!」


汚らわしい存在は、草木に紛れ込みやすい深緑のボロ布を羽織りながら、警戒した面持ちで私を睨む。

その手にはーーー刃渡り20㎝の程度のダガーが握られていた。


「私ですか? 私は、セルフィア・レナスハートと申します」


「ちっ!!」


直後、男のダガーが虚空を振りぬく。

はたから見たら無駄で、意味不明な行為。

しかし私は見逃さない。

そのダガーの柄にある青ガラスのような魔鉱石が、ほんのりと駆動の光を灯している事を。


「っ……」


「なっ!?」


ザクッという生々しい音が響く。

と言っても、音がしたのは私の背後にあった庭池の水面を切り裂いた音だった。

しかし、そのせいで一緒に育てられていた睡蓮の花までもが真っ二つになっている。

私の好きな花だったのに……。


「斬撃を飛ばすタイプの魔装ですか……。見たところ、対人武装ですね」


「こんなガキが……、どうやって避けた!?」


「簡単ですよ。そういう訓練をしているので」


己の無力感を味わった日、ゼスィアの右目を潰させてしまった日、私の人生も大きく変わっていたのだ。

目の前の絶望と衝撃、憤怒に私の脳裏は焼き切れ、意識を失ってしまった。

しかし夢の中、突如として記憶が溢れ出したのである。

前世で研鑽を極めた『剣聖』としての記憶が。

前は女性か男性か、何をしていたのか、何処にいたのか、それらの過去はどれも思い出せなかった。

だが、『剣聖だった事』、『剣を極めた技術』は鮮明に思い出せたのである。


ーーーおかげで、私は強くなった。


強く、強く、強く、……およそこの年齢では到達できない強者の高みへと。

鍛え続けてきたのだ。

もう無力感を味わうことの無いように。

二度と、彼が傷つく事が無いように。


「何なんだ、てめぇ!」


再びダガーを振るって切りつけようとするも、剣技が拙く遅い。

その程度では目を瞑っていても避けられそうだ。


「聞いてねぇぞ。こんな女がいるなんて!」


「それはそうでしょうね。私、極秘で護衛をしていますので」


「護衛、だと……?」


「ええ。貴方が殺したがっている、エリュゼス・リサンドルティア公爵子息。その護衛を務めておりますわ」


「はっ、バカ言うな。護衛なんて、良い所のお嬢ちゃんに務まってたまるかよ!?」


「おっしゃる通り、私は侯爵令嬢ですわ。ですが、それは表の肩書でして」


「なに……?」


私は後頭部から、長い髪の毛を留めるのに使っていたかんざしを引き抜くと、シュルシュルとピンク色の髪の毛が腰まで垂れさがった。

男のダガーと同じくらい長い大きめのかんざしには、サファイアの様な高純度の魔鉱石が埋め込まれている。


「……『氷華の簪』駆動」


魔鉱石に魔力を込める。

次の瞬間、キィィィンという鋭い音と共に、周囲の温度が急激に下がった。

大気中の水分が意志を持ったかのように、パキパキと硬質な結晶が生まれる音が鳴り響き、その指先へと収束し始める。

髪から引き抜かれたかんざしは、もはやただの装身具ではない。

中心の魔力核が脈動し、絶対零度の冷気が螺旋を描いて伸びていく。

それはまるで、虚空に凍てつく睡蓮が、恐るべき速度で開花していくかのような光景。

刹那―――。

陽光を乱反射させながら、半透明の美しき凶器が形を成す。

薄く、鋭く、そして何よりも冷酷な『氷の刀身』。

出来上がった氷剣は、あまりに透明で、そこに何も存在していないようにすら見えたが、刀身の放つ凄まじい威圧感は周囲の空気をも凍てつかせている。


「なん、だよ……それ」


二人しかいない中庭の中、静かに、けれど荘厳な氷景色が私達を取り囲む。


「これは、対軍武装『氷華の簪』」


「っ!?」


「……そして、」


「く、くそォォ!!」


男が必死にダガーを振りぬく。

空気を歪める不可視の刃が無数に飛来する。

しかし、研鑽を重ね、極められたこの眼の前では、遅すぎる斬撃などかすりもしない。


「くそ! くそくそ! くそがぁ!?」


ぶんぶんと振りまわす風の刃は、背後の水面をジャキジャキと切りつけるも、肝心の私にまったく届かない。


「何なんだよ、おまえぇぇぇっ!?」


「私は……、剣技の頂きを冠する者」


遂に此方も動く。

一歩踏み込み、前へ飛び込む。


「なっ!?」


「八剣聖、第七の剣」


死神の鎌が振るわれる懐だろうと、一切の躊躇なく、吸い込まれるように進んだ。

降り注ぐ斬撃の雨を寸分の無駄なく潜り抜け、再び足が地に着いた時には、既に男の目の前。


「……うそ、だろ?」


「ーーー剣聖、絶対零度のセレナ」


「けん、せい?」


「……貴方はもう、ここまでです」


花が咲く。

それは死すら凍てつかせる白銀の氷華。

男の全てを包み込んだ極低温の魔力が、その血管を、筋肉を、そして噴き出そうとした汗の一粒までを、瞬時にして硬質な結晶へと変えていく。

立ち上る冷気は白霧となり、周囲の気温を劇的に奪い去った。


「…………」


………………。

まるで最初からそこに在ったかのように、静寂の中で一つ、氷像が立っている。

今日も、私の“大事なもの”は守られた。


「……ふぅ」


肺に中に冷たい空気を入れると心地いい。

そして一休みしたら、目の前のこれを片付けないと。


「バレるわけにはいかないもの……」


前世の記憶と共に己を鍛え、上り詰めた先に得た『剣聖』という地位。

歳17でこの地位を授かったものなど誰もいない。

だからこそ、私はただの貴族令嬢として、彼の婚約者として、この学園にいる事ができる。

だからーーー


「守って見せる。ゼスィア様も、この生活も、……全部!」


この国に八人しかいない剣聖の一人。

私―――セルフィア・レナスハートは、今日も戦っていた。

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