第7話 育児騒動
怒りん坊公爵と笑う令嬢 ― 育児騒動編
――それから三年。
グリムス城は、以前にも増してにぎやかになっていた。
「パパー! みてーっ!」
「レオン、危ない! 階段で走るな!」
「だいじょーぶっ!」
そして案の定、ずるっと転んで尻もちをつく音。
「痛っ!」という声に、リボンオは咄嗟に駆け寄った。
「だから言っただろう! 階段は危険だ!」
「でもっ、ママの花をみたくて!」
「花ならあとで一緒に行けばいい!」
「いっしょにって、いつー?」
「……今だ」
結局、リボンオは抱き上げてそのまま庭へ連れて行った。
腕の中でレオンはけろっと笑い、もう痛みなど忘れている。
その無邪気さに、かつての“怒りの公爵”は苦笑するしかなかった。
庭では、マーガレットが春の花を植えていた。
「おや、二人とも。おそろいで登場?」
「レオンがまた階段で――」
「転んだー!」と息子が自白する。
「……反省の色なし、ね」
「うむ。俺に似た」
「それを誇らしげに言うのやめて」
マーガレットはスコップを置き、二人の方を向いた。
レオンは花壇の隣にしゃがみ込み、指で土をいじりながら言う。
「ママ、これなあに?」
「これは“ミルドフラワー”。冬でも咲く強い花よ」
「ふーん。パパににてる!」
「え?」
「つよくて、ちょっとこわいけど、あったかい!」
リボンオは一瞬、言葉を失い、それから照れくさそうに頭をかいた。
「……こわい、の部分はいらんな」
「だってパパ、おこると目が“ギラッ”ってするもん!」
「お前が俺を怒らせるようなことを――」
「こらこら、親子げんか禁止」
マーガレットが笑いながら二人を止めた。
そのとき、風が吹き抜け、白い花びらがふわりと舞う。
レオンがそのひとつを掴み、真剣な顔で見つめた。
「ねえ、パパ。これ、おまもりにしていい?」
「お守り?」
「うん。パパがまたおこりそうになったとき、これ見せて“わらって”って言うの」
「……お前……そんなこと誰に教わった?」
「ママ!」
「えへん」
マーガレットが胸を張る。
「“怒りを止める呪文”よ。ね、効きそうでしょ?」
「効くどころか、完全に封印だな……」
リボンオはレオンの頭を撫でた。
「わかった。もし俺が怒りそうになったら、お前がその花を見せてくれ」
「やくそく!」
小さな手が、父の大きな指をぎゅっと握った。
***
その夜。
夕食の時間、レオンはスプーンをくるくる回しながら口をとがらせていた。
「ママ、ぼくね、パパみたいになりたいの」
「まあ、それは立派ね。でもどんなところが?」
「“パパ、かっこいいー”って、ママが言うとこ!」
「えっ? そ、そんなこと言ってないわよ!」
「この前いってたー!」
「こらレオン、それを言うのは反則だ」
「ふふふ、聞いてたのね」
「ま、まて、それは誤解だ!」
「“あの人ったら、立ってるだけで絵になるのよね”って!」
「リボンオ、図星?」
「ぐぬぬ……」
侍女たちが台所で笑いをこらえきれずに肩を震わせていた。
リボンオは真っ赤になりながらも、妻と息子の笑顔を見て小さくため息をつく。
「……負けた」
「うん、ママの勝ちー!」
「お前まで!」
「だってパパ、すぐ顔が“ギラッ”ってするから!」
「その言葉、封印しろ!」
「おまもりー!」
レオンがポケットから昼間拾った花びらを取り出して見せる。
「パパ、わらって!」
その瞬間、リボンオの表情がゆるんだ。
まるで小さな魔法がかかったように。
「……参った。お前の呪文は最強だ」
***
そんな日々の中で、リボンオは初めて“父としての恐怖”を知る。
ある朝、レオンが姿を見せなかった。
使用人たちが探し回る中、庭の隅の林に彼の靴だけが見つかる。
「まさか……!」
リボンオの血の気が引いた。
怒りでも焦りでもない、胸の奥が締めつけられるような恐怖。
全速力で森に駆け込むと、川辺で小さな声がした。
「パパぁー!」
そこには、川に落ちたカエルを助けようとして、泥だらけになったレオンがいた。
「お前っ……!」
抱きしめた瞬間、全身の力が抜けた。
「心配させるな……本気で、もう……」
「ごめんなさい……でも、カエルさんが――」
「いい。もう何も言うな」
リボンオは息子の頭を濡れたまま胸に押しつけた。
涙と一緒に、かつての怒りの欠片が流れ落ちていく気がした。
「レオン」
「なに?」
「お前が笑ってくれるなら、それでいい。俺はもう怒らない」
「ほんとに?」
「ああ。だが約束してくれ。もう一人で危ないことはしない」
「やくそく!」
小さな指が再び父の手を握った。
その握手は、まるで呪いの代わりに“家族の契約”を刻むようだった。
***
その夜。
暖炉の前で三人が寄り添っていた。
マーガレットは息子の髪を乾かしながら、微笑んだ。
「あなた、昔のあなたとは別人みたいね」
「怒りん坊公爵が、いまや“パパん坊”だもの」
「誰がそんな妙な称号を……」
「レオンよ。ね?」
「うん、“パパん坊”!」
「……もう好きに呼べ」
三人の笑い声が、火の音と混ざり合う。
マーガレットがふとリボンオの肩にもたれ、囁いた。
「ねえ、あなた。
あの呪いって、ほんとは“怒りの呪い”なんかじゃなくて、
“愛を知らない寂しさの呪い”だったんじゃない?」
リボンオは静かに頷いた。
「かもしれん。だがもう解けた。
お前と、この子がいてくれるから」
マーガレットはレオンを抱き寄せ、目を細めた。
「じゃあ、今のあなたは?」
「“幸せの公爵”だ」
その言葉に、マーガレットが微笑み、レオンが笑った。
小さな笑い声が、暖かな夜を満たしていく。
――怒りは消え、呪いは癒え、
グリムス家には、今日も笑顔が満ちていた。




