第6話 子供を授かる
怒りん坊公爵と笑う令嬢 ― 子供を授かる ―
春。
グリムス城の庭に、白い花が咲き始めた。
マーガレットはその花々を見ながら、穏やかにお腹を撫でていた。
「ふふ……おはよう、あなた。今日も元気にしてる?」
まだ膨らみ始めたばかりのそのお腹に、彼女はそっと話しかける。
風に混じって、小鳥たちのさえずりが聞こえた。まるで小さな命の鼓動に呼応するように。
そんな彼女の後ろから、慌てた足音が響いた。
「マーガレット! 医師を呼んでくるぞ! いや、それとも王都から助産師を――!」
「もう、リボンオ。落ち着きなさいよ。まだ“お産”じゃないの」
「だが、顔が少し赤い! 熱ではないのか!?」
「これは春の日差しのせい! あなたの心配性も呪いみたいなものね」
「ぐっ……!」
公爵リボンオ=グリムスは、すっかり“過保護夫”になっていた。
かつて「怒りの公爵」と呼ばれた男は、今や妻のくしゃみ一つにも動揺する始末である。
「昨日だって、“お腹の子が寒くないように”って言って、暖炉の火を一晩中つけっぱなしにしたのよ?」
「当然だ。腹の中にいるのは、我が家の後継だぞ!」
「でも暑くて眠れなかったわよ、わたしが!」
「……すまん」
マーガレットがぷいっと顔を背けると、リボンオは子犬のように肩を落とした。
――昔なら、怒って部屋を飛び出しただろう。
だが今は、彼女の機嫌を取る術を覚えている。
「……マーガレット」
「なに?」
「パンを焼いた」
「え?」
「焦げていない。今度こそ完璧だ」
「……それは、褒めてほしいってこと?」
「できれば」
マーガレットはふっと笑い、頬を撫でた。
「よくできました、公爵さま」
「うむ」
……まるで、すっかり立場が逆転しているようだった。
***
ある晩。
月が白く輝く寝室で、マーガレットが窓際に立っていた。
夜風にカーテンが揺れる。彼女はお腹を抱きしめるようにして、静かに話しかけた。
「ねえ……あなたが生まれたら、どんな顔をしてるのかしら。
パパみたいに眉がきりっとしてるの? それとも、ママみたいに笑い顔かしら」
そのとき、背後からリボンオがやってきて、そっと彼女を抱きしめた。
「どちらでもいい。お前に似て、優しい子なら」
「ふふ。あら、あなたの強さも受け継いでほしいわ」
「いや、怒りっぽさだけは不要だ」
「もう忘れたくせに」
二人は顔を見合わせ、同時に笑った。
あの日のように、穏やかで、静かな夜。
「……マーガレット」
「なに?」
「生まれてくる子が女の子なら、俺はどうすればいい?」
「どうすればって?」
「男が近づいたら、全員追い払っていいのか?」
「ダメよ! 将来お婿さんが逃げちゃう!」
「それは困るな……だが、父として簡単に許せるかどうか……」
「ふふ、もう顔が怖い。今から“怒りのパパ”の顔になってるわよ」
「……いかん、呪いが再発したかもしれん」
「違うわよ、それは“親バカ”っていうの」
マーガレットが笑うと、リボンオは苦笑しながら、彼女の頬に手を添えた。
手の温もりが、月明かりの中でやわらかく光る。
***
季節は流れ、夏。
ある朝、グリムス城に緊張が走った。
「お、おおお奥様がっ! お産のご様子でっ!」
「なに!? すぐ医師を呼べ! 湯を沸かせ! 馬を! いや、馬はいらん! 誰か俺を落ち着かせろ!」
「公爵様が一番取り乱しておられます!」
執事と侍女が右往左往する中、リボンオは居ても立ってもいられず、部屋の外を何十往復もした。
途中、扉を開けようとした瞬間、助産師に止められる。
「だめです! 旦那様は外で!」
「だが妻が――!」
「外!」
「……はい」
結局、彼は扉の前で祈るように膝をつき、両手を組んでいた。
「神よ……どうか、マーガレットと子供をお守りください。焦げたパンはもう焼きません。深夜に暖炉をつけっぱなしにもいたしません。だから……どうか……」
――そのとき、中から小さな泣き声が響いた。
「……!」
リボンオの目が大きく見開かれた。
その瞬間、扉が開き、侍女が笑顔で告げる。
「おめでとうございます、公爵様! 元気な男の子です!」
「……そうか……」
リボンオは胸に手を当て、しばらく言葉を失った。
まるで世界が一瞬、静止したかのようだった。
そして、ゆっくりと微笑む。
「ありがとう……マーガレット」
***
数時間後。
部屋に入ると、マーガレットがベッドの上で小さな赤ん坊を抱いていた。
その腕の中で眠る子は、リボンオそっくりの眉をしている。
「見て、リボンオ。あなたに似てるわ」
「……本当だ」
彼はそっとベッドの傍らに膝をつき、赤ん坊の頬に触れた。
その指先に、確かな命の温もり。
「……生きている。俺たちの子だ」
「当たり前でしょ。泣き声が“ガオー”みたいで、すでに元気いっぱいよ」
「はは……怒りの血が騒いでいるのかもな」
「やめて、それは困るわ」
マーガレットが笑うと、リボンオの胸の奥にこみ上げるものがあった。
涙をこらえながら、彼は二人を包み込むように抱きしめる。
「ありがとう、マーガレット。本当に……ありがとう」
「こちらこそ。あなたと出会えてよかった」
「名前を……決めよう」
「ええ。どんな子に育ってほしい?」
「強くて、優しくて、笑顔の似合う子」
「ふふ、それなら“レオン”なんてどう?」
「……いい名だ。獅子のように勇ましく、光のように温かい」
小さなレオンは、まるでその言葉を理解したかのように、ふにゃりと笑った。
「笑った! リボンオ、見て!」
「……俺の笑顔よりも上手いな」
「当然よ。ママ譲りだもの」
「いや、俺に似ている」
「言ったわね、この自信家公爵!」
「事実だ!」
言い合いながらも、二人の間には優しい笑いが満ちていた。
***
数週間後の朝。
城の中庭に、リボンオが赤ん坊を抱えて立っていた。
マーガレットが笑いながら声をかける。
「ねえ、公爵さま。あなた、抱っこの仕方がぎこちないわよ」
「……そうか? こうか?」
「それだと首が!」
「ぐっ……この小ささ、どう扱えばいいのだ……」
「優しく、そっと包むのよ。ほら、こうやって」
マーガレットが背後から彼の腕を直すようにして、二人で赤ん坊を支える。
腕が重なり、温もりが重なる。
レオンが小さくあくびをして、すぐに寝息を立てた。
「寝たぞ」
「寝顔、あなたにそっくり」
「それは光栄だな」
「……ほんと、幸せね」
「ああ。怒りで生きてきた俺が、今はこんなにも穏やかだ。
お前と、この子がいてくれる。それだけで、もう十分だ」
マーガレットは目を細め、静かに囁いた。
「ねえ、リボンオ。
あなたはもう、“怒りん坊公爵”じゃなくて――“笑うパパ”よ」
その言葉に、リボンオは苦笑しながら頷いた。
「なら、お前は“世界一笑うママ”だな」
「うふふ、それも悪くないわね」
城の鐘が鳴り、白い花びらが風に舞った。
その中で、三人の笑顔が寄り添う。
怒りも呪いも、もうどこにもない。
ただ、愛とぬくもりに包まれた――新しい“家族”の物語が、始まったばかりだった。




