第3話 再会、そして爆発
第3話 再会、そして爆発
――雪の降る森は、静かだった。
白い枝の間を渡る風が、まるで誰かの囁きのように冷たい。
リボンオ=グラシエルは黒い外套を翻しながら、馬を進めた。
冬の森の中、馬の吐息が白く揺らめく。
目指す先は、ローレンス伯爵領。
十年前、彼が二度と足を踏み入れないと誓った場所。
「……くだらない誓いだな」
呟く声が霜を裂いた。
会って何を言うつもりなのか。
婚約破棄された女に、何を告げるつもりなのか。
そんなこと、自分でもわからない。
ただ――聞いてしまったのだ。
「彼女が泣いた」と。
その言葉だけで、身体が勝手に動いた。
「泣くなよ……マーガレット」
誰にも届かない声を吐いたとき、前方に一台の馬車が見えた。
黒塗りの車体、ローレンス家の紋章。
車輪が雪に取られ、立ち往生している。
馬車の扉が開き、現れたのは――真紅のドレスの女。
「……なんてタイミングだ」
リボンオは眉をひそめた。
雪の中、彼女はコートも着ず、手袋ひとつで馬車を押していた。
その姿に、思わず苦笑がこみ上げる。
変わらない。十年経っても、無茶ばかりだ。
「馬鹿だな、あいつ」
馬から降り、ゆっくりと近づく。
雪を踏む足音に気づいたマーガレットが振り向いた。
その瞬間、二人の時間が止まった。
「……は?」
「……おい」
沈黙。
そして次の瞬間――。
「リボンオ!? なんであんたがここにいるのよ!」
「こっちの台詞だ、婚約破棄令嬢!」
空気が、音を立てて割れた。
十年分の怒りが、まるで溶岩のように噴き出す。
「婚約破棄令嬢って何!? あんた、聞いてたの!?」
「王都中の噂だ! お前が怒って婚約者にグラスを投げたってな!」
「投げてないわよ! 投げようとは思ったけど!」
「思った時点で一緒だろうが!」
「うるさいわね! あんたこそ、怒り顔で凍死しなさいよ!」
二人の怒号が森に響く。
枝の上の鳥たちが一斉に飛び立った。
マーガレットは腰に手を当て、目を細める。
「まさかとは思ったけど、あんた……相変わらずイライラしてるのね」
「こっちは呪われてんだ! イライラして当然だろう!」
「呪い? まだそんな子供じみた言い訳してるの?」
「言い訳じゃねぇ、事実だ! 俺の家は代々“怒りの呪い”にかかってる!」
「そんなの知らないわよ!」
マーガレットの声が雪を揺らした。
白い息が二人の間でぶつかり、溶けていく。
「いい? 私は婚約破棄されて、人生最大のイライラ中なの!」
「知るか! こっちは生まれたときからイライラ中だ!」
「じゃあ一生怒ってなさいよ!」
「そうする!」
互いに息を荒げたまま、しばらく沈黙。
そして、マーガレットがふっと笑った。
その笑みは、皮肉と懐かしさが混じったもの。
「……あんた、ほんと変わらないのね」
「お前もだ。口が悪い」
「褒め言葉として受け取っとくわ」
「嫌味だ」
二人は同時に息をつき、雪の上に腰を下ろした。
冷たい風が、怒りを少しだけ冷ます。
「で? その呪いって、どうやって解くの?」
「さあな。伝承によれば、“真実の愛”を得ることだと」
「ぷっ……ふふっ。なにそれ、恥ずかしい呪いね」
「笑うな。俺は真面目だ」
「真実の愛、ねぇ。で、あんた、誰か愛してる人いるの?」
「……いたら、呪いが解けてる」
「なるほど、いないのね」
「いると言ったら?」
「え?」
マーガレットが目を瞬かせた。
リボンオは、少しだけ真顔になる。
「俺が愛しているのは……お前だと言ったら、どうする」
風が止まった。
雪が、静かに二人の肩に積もる。
マーガレットの唇がわずかに震えた。
「……また、冗談言って」
「冗談じゃない」
「十年も会ってなかったのに?」
「十年経っても、忘れられなかった」
その言葉は、炎のようにまっすぐだった。
マーガレットの胸が、どくんと鳴る。
怒りでも、羞恥でもない。
それは――ずっと抑えていた感情が溶けていく音だった。
「……ほんと、あんたってずるい」
彼女は顔を伏せ、頬を赤らめた。
リボンオは静かに近づき、手を伸ばす。
その瞬間、雪の光が二人を包んだ。
ふと、リボンオの胸の中の重みがすっと消える。
心の奥に絡みついていた黒い鎖が、音を立ててほどけていく。
「……まさか」
リボンオが呟いた。
マーガレットが顔を上げる。
「何?」
「今……呪いが、解けた気がする」
「はあ? ほんとにそんな単純な?」
「お前のせいだ」
「えっ、ちょ、なにそれ! 責任取れってこと!?」
「そうだ。俺の怒りの代わりに、お前が一生笑ってろ」
「なによそれ! 勝手に幸せ押しつけないで!」
「じゃあ一緒に笑え」
「……ばか」
マーガレットは小さく笑った。
その笑顔を見て、リボンオの眉間の皺がゆるんだ。
灰色の瞳に映るのは、雪と、彼女の微笑み。
怒りの呪いは解けた。
けれど、二人の喧嘩は――まだ、終わらない。




