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全6話予約投稿済みです。

 おもちゃ会社に勤めるサラリーマンの夫と、スーパーでパートをするわたし。

 可愛い息子の聡太は大きな病気をすることもなく元気いっぱいに成長している。

 たくさんのお金があるわけではないけれど、ちいさな頃に夢に見ていた「お嫁さんになる」「ママになる」という夢を叶えた私は、日々幸せを感じながら暮らしていた。

 偶然夫のスマホを目にしてしまった、あの日までは―――。


 ―――それは聡太の四歳の誕生日の出来事だった。

 注文していた誕生日ケーキを取りに行くからと、三十分だけ夫の健一郎に聡太の世話を頼んで出かけた。

 帰宅するとなぜかリビングには聡太だけがちょこんと座っていて、健一郎の姿は見えなかった。


「あれっ? パパは?」

「つかれたんだって。おへやでねんねしてる」


 そう教えてくれた聡太の眼の前には健一郎のスマホが。

 聡太が好きでもなんでもない、よくわからないアニメが流れていた。


「……ごめんね聡太。お留守番、大丈夫だった?」

「うん」

「ケーキを冷やしたり、ごちそうの準備をしちゃうから、もう少しだけ待っててね」


 テレビをつけて、録画しておいた聡太お気に入りのアニメを流す。

 キッチンに戻ると、自然と溜息がこぼれた。


(昨日も残業で疲れてるのは分かるけど……)


 万が一にでもケーキが崩れるとまずいと思って、聡太は連れて行かなかった。

 無理してでも連れて行ったほうがよかっただろうか……。

 悶々としていると、健一郎のスマホが振動した。


「……?」


 条件反射的に目を向ける。そこには見慣れた緑のポップアップが出ていた。


 《健一郎さん、昨夜はありがとうございました。もう寂しいです》


 心臓がドクンと跳ねた。


(女性からよね? 寂しいってどういう事? 昨日は残業じゃなかったの?)


 聡太が動画を見ていたからロックはかかっていない。

 普段健一郎はスマホを手放さない。取引先の連絡先や仕事のメールがあるからと言って、常に肌身離さず持っている。


(いまを逃したら、チャンスは二度とないかもしれない)


 唾を飲み込むと喉が鳴った。

 健一郎の部屋の方からはかすかにいびきが聞こえている。

 わたしはなにかに取り憑かれたみたいに、そのポップアップをタップした。


 《奥さん、疑ってない?》

 《繁忙期って伝えてるから全然余裕》

 《もしかして奥さんより健一郎さんに会えちゃってます? 優越感やばい♡》


 《今日の夜飯もスーパーの売れ残り惣菜だったわ。綾乃のやつ、一回唐揚げがうまいって言ったら、それから毎日持ち帰るようになっちゃって》

 《かわいそうな健一郎さん。わたしが作ってあげたいな》

 《なにそれ幸せすぎ》


 《木曜の夜、いつものホテル取った》

 《今日も会ったばっかりなのに気が早いですよ? でもそうゆうとこが可愛い…♡》


 頭の中が真っ白になった。

 見たくないと思う一方で、画面をスワイプする手は止まらない。


 夫が不倫している。

 その証拠が目の前に広がっていた。


「……まま! まーまっ!」


 聡太が呼ぶ声ではっと意識が引き戻される。


「ど、どうしたの?」

「こまーしゃる。はやおくりして」

「わかったわかった」


 CMを早送りしてキッチンに戻ると、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻していた。


(とにかく証拠を保存しなきゃ)


 いつ健一郎が起きてきてもおかしくない。

 わたしはアプリの画面をできるだけスクショに撮ると、自分宛てに送った。

 自分に送った証拠を削除すると、健一郎のスマホを聡太に手渡した。


 まだ心臓はバクバクしている。夢のような気がしていたし、夢であってほしいと苦しかった。

 聡太の好きなハンバーグを作っていると、健一郎が起きてきた。


「帰ってたんだ」

「あっ、うん。留守番ありがとう。ケーキ、取ってきたよ」

「……俺のスマホは?」

「わたしは知らないけど」


 健一郎は聡太のところに行くと、スマホを握りしめているのを見つけて、ほっとした表情を浮かべていた。

 不倫相手との最新のメッセージには既読がついてしまっているけれど、健一郎の楽天的な性格を考えると、ハンバーグを作っていて両手が使えないわたしが見たのではなく、好奇心旺盛な聡太がいじって開いてしまったと考えるはずだ。


 どうにか聡太の誕生日パーティーを終え、その晩わたしは最悪な気分でスクショを再確認した。


(健一郎……。信じてたのに……)


 ささやかでも、幸せな家族として過ごせていると思っていたのに。

 わたしが寿退社するまで、健一郎は会社の同期だった。新入社員のときから苦楽を乗り越えてきた仲だと思っていたのに。


(だめだ……無理だ。わたしはこの二人を許せない)


 目を背けたくるような生々しい内容だけならまだしも、わたしを憐れみ小馬鹿にするような発言に深く胸をえぐられた。

 今まで築き上げてきた信頼関係が音を立てて崩れ落ちていったのだ。


(今日だけは思いっきり泣く。明日からは、こんな奴らのために涙を流すのはやめよう)


 産後、「夜泣きがうるさいから俺はあっちの部屋で寝るわ」と家族の寝室を出ていった健一郎の背中を思い出しながら、布団で声を殺して泣いた。


 ◇


 一か月ほどが過ぎたある日。

 聡太が寝た後、晩酌をしている健一郎の横に腰を下ろす。


「ねえパパ。聡太が通っている今の園、小規模でアットホームだけど、先のことを考えると不安で。もっと広くてカリキュラムが充実してるところに転園させたいなって思うんだけど、どうかな?」

「ふーん。俺は別に、なんでもいいけど」

「送迎も今まで通り私がやるから、健一郎には迷惑かけない」

「じゃあいいんじゃない? 聡太のことは任せたからな」


 健一郎は空になったグラスを流しに置くと、さっさと風呂に行ってしまった。

 どこの園にするのかとか、いつからだとか、そういうことは一切聞いてこなかった。

 今までだったら、仕事が忙しくて余裕がないのかな、で済ませられたかもしれない。

 けれど、不倫をしていると知ってしまった今は、虚しさと悔しさが胸を覆い尽くしていく。


(やっぱり、わたしと聡太のことなんてどうでもいいのね)


 唇を強く噛み締めると、鉄の味がした。


 ◇


 新しい園の入園の日。

 教室に入ると、クラスのおともだちと保護者たちが出迎えてくれた。


「あっ、そうたくんじゃない!?」

「そうたくーん! こっちだよ! ここ、そうたくんのお椅子だからね!」


 子供だけでなく保護者同士のつながりも大切にする教育目標を掲げているため、あたらしい子が入園する際にはなるべく皆で迎えるようにしているのですよ、と園長先生から説明を受けていたので、聡太の背中をそっと押す。


「聡太。おともだちと遊んでおいで」

「……うんっ!」


 心細そうにしていた聡太はすぐに笑顔になって、おともだちの輪に迎え入れられる。

 唯一気がかりだったのは聡太自身のことだった。まだ四歳とはいえ、慣れた環境から新しい場所に移ってもらうのは申し訳なさと心配があった。

 うまくやっていけそうな様子を見て、ほっと肩の荷が下りる。


「ではお母さん、簡単に挨拶をお願いします」


 担任の先生から促されると、わたしは前を向いて、背筋をしゃんと伸ばした。

 目の前にはひよこ組の保護者十人が並んでいる。


(この中に夫の不倫相手がいる。必ず突き止めて、夫と一緒に地獄を見せてやるわ)


「今日から入園しました、高嶋綾乃です。皆さん、これからよろしくお願いします」

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― 新着の感想 ―
えっと、探偵とかを使う選択肢はなかったのかな。 実家とかに代理で探偵料を出してもらうという手もあると思います。 というか夫を直接尾行する方が早いんじゃないかなぁ。 と思わなくもないですが……これは…
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