第5話:魔王が怒って“婚約”を宣言した件
「ジルハ様! 何と仰せに……!?」
「“婚約”とは、どういう意味でございましょうかぁっ!? 拙者、理解が追いつかぬでございますぅ!!」
「えーと……え? なにそれ?」
薬湯の広場で、魔族たちが騒然としていた。
その中心に立っていたのは、堂々たる姿の魔王・ジルハと、ぽかんとした私──リリアである。
「魔王ジルハ、正式に“聖女リリアとの婚約”を宣言!」
「いや、聞いてない。初耳なんだけど」
「聞かせる時間がなかった。……必要な処置だ」
「処置ってなによ!? 私、薬草係よ? 恋愛ヒロインじゃないんだけど?」
ジルハは視線を外しながら、淡々と口を開いた。
「今朝、教会から文が届いた。“リリアを引き渡せば、和解の余地あり”だと」
「は? 何様なの?」
「だから……俺は、お前が“魔王の婚約者”であると宣言した。“個人”から“政略対象”になれば、教会も軽々しく手出しはできぬ」
「はああああ!? なにそれ私、盾なの!?」
「違う。──俺の癒し手だ」
「いやそういう問題じゃない!」
私は頭を抱えた。
でも、ジルハの言うことは正しい。
彼が“婚約者”と公表したことで、私は「個人」ではなく「魔王の将来の配偶者=国の保護対象」になる。
そしてそれは、教会にとって最大級の“攻撃不可”状態を意味する。
「……そんなの、簡単に信じてもらえるの?」
「信じさせるさ。俺は、“演技”も得意だ」
「ジルハが……? まじで……? あの無表情が……?」
「余計なことは言うな」
その日から、魔王ジルハと“仮の婚約関係”がスタートした。
もちろん本気ではない。これはあくまで、**表向きの“守るための婚約”**である。
──そう、表向きの、はずだった。
「……リリア、これを持ってくれ。俺の私室の鍵だ」
「え、なんで?」
「来客があった時、すぐに隠れられるように」
「……もしかして、私の居場所を“私室”扱いにしてるの?」
「婚約者だからな」
「ちょっと、どこまで徹底する気なのよ!?」
ジルハの護り方が、やけに徹底してきた。
城内での動線、警備の配置、そして私の動きまで……魔王直属の将として扱っているらしい。
「……本気で“婚約者”みたいに扱われるの、妙な気分ね」
「嫌か?」
「うーん……ちょっと嬉しい。けど、めんどくさい」
ふと、ジルハが言った。
「リリア。人間界に戻るつもりは、ないのか?」
「ないよ。あそこには、私の居場所はもうないもの」
「ならば……この城に、ずっといてくれ。俺の“隣”で」
「……あんた、今、ほんのり本気になってる?」
「さあな」
魔王の表情は相変わらず無口で無愛想だけれど──
その手だけは、確かに私の指先を温かく包み込んでいた。