3話
昨日の予約投稿ができておらず申し訳ありません。
昨日分です。
起きて準備をしているから待っていてくださいと執事の方から伝えてもらったら、アレクシさんは談話室で待っているようだ。
メラニーを含めた三人のメイドさんが私を取り囲み、身体をぬるま湯で濡らしたタオルで拭いてもらってから保湿クリームみたいなものを全身に塗られ、昨日着ていたよりもさらに豪華なドレスを何着かクローゼットから出してメイドさんたちが話し合いを始めた。
「今日はそのオールヴェルニュ様から頂いた紫のドレスは駄目よ。これから婚約破棄の話をするのよ?」
「だからってその真っ青なドレスは従兄弟のリュシル様から頂いたものとオールヴェルニュ様も知っていて酷く嫌っているじゃない。お嬢様が席につかれる前にドレスを選んだのは誰かと問い詰められてしまうわ」
「ではこの白いドレスは?」
「婚約破棄の話をするのに白いドレスを着るなんて最悪の皮肉だわ」
「あぁもう、ではこちらの緑のドレスにしましょう。一つ前の流行の型だから避けておりましたが仕方ありません。それもこれも、最近のお嬢様のドレスは全てオールヴェルニュ様から贈られたものでしたから……」
三人のメイドさんが揃って溜息を吐いてから、気を取り直して手際よく私の身支度を進めていく。
昨日着たよりも豪華で物理的にも重いドレスを着て、髪型も細かく編み込んでハーフアップにして豪華な青の花の髪飾りで飾りつける。ここでも金色の髪飾りを選ぼうとしてやめて、奥にしまわれていた青の花の髪飾りを探し出していた。
「お嬢様、ご準備ができました」
「ありがとう」
日本のとそう変わらないメイク道具――ただしどれもデパコスみたいに豪華な装飾のパッケージに入っていた――でメイクを施されて、立ち上がりやすいようにドレッサーの椅子を引かれて立ち上がった。
「身に余るお言葉でございます」
三人のメイドさんは微笑み返してくれて、それとほぼ同時に扉の外から急かすように聞こえてきたノック音に再び表情を引き締めた。
「お嬢様、行きましょう」
「あ……ええ」
二人のメイドさんの名前も聞きたかったのだけれど、扉を開けられて私が歩き出すのを皆待っている。
後で聞こう、と頭の隅に残して、指を組んで緊張を堪えながら歩き出した。
扉を開けられて案内された部屋に入るなり、昨日部屋に来た金髪の男性が駆け寄ってきた。
「リュシル……っ!」
泣きそうな顔で彼が私を抱きしめようとするのを、執事さんが私の前に立ちはだかって止める。
「お席に」
「どうして……リュシル……?」
金髪の男性――アレクシ・オールヴェルニュ公爵子息だと昨日メラニーに教えてもらった――がよろめきながら席に着いて私に訴えかけるような視線を向ける。
アレクシさんは私が記憶喪失になったことをまたよく知らないようだし、婚約者が三日間目覚めなかったのだから抱きしめたくなる気持ちはわからないでもない。
けれど記憶がなくなったリュシルからすれば知らない男性だからと気遣ってくれたからか、どこか執事さんや部屋の壁の方で控えてくれているメイドさんたちからはアレクシさんへの警戒心を感じる。
私が彼の向かい側に座ると、アレクシさんは殊更にショックを受けたような表情をした。
「リュシル? いつもは隣に座ってくれていたのにどうしたの?」
わざと笑みを作ろうとしているのが痛々しい。この人にこれから婚約破棄を告げなければいけないのか。
いや、引き伸ばせば伸ばすほど傷つけてしまう。言うならはっきりと、簡潔に伝えよう。
「本日は、オールヴェルニュ公爵子息様にお話があり、僭越ながらご足労頂きました」
「リュシル……? どうしてそんな堅苦しい口調なの?」
「婚約破棄を、して頂けませんか」
私が緊張で震える声で告げるなり、アレクシさんが俯いてわなわなと震え出した。表情は見えない。
家格的にアレクシさんの家の方が上だから、ナミュール家から婚約破棄をするのは失礼にあたるらしい。
だから記憶喪失を理由にオールヴェルニュ家の方から婚約破棄を言い渡してもらうことになる、とお父様からの言伝を今朝支度中に貰っていた。
「は……はははっ」
アレクシさんが俯いたまま笑い出した。
部屋の空気が張り詰めて、アレクシさんの次の挙動を固唾を飲んで待つ。
「理由を、聞かせてもらってもいい?」
冷静であれるようにと言い聞かせて紡いだような怒りの滲んだ低い声に、私は恐る恐る答える。
「……記憶がなくなってしまったのです。昨日以前の記憶が何も思い出せなくて……、この国がなんなのか、文化も作法も何も覚えていないのです。だから、婚約者のままでいてはご迷惑をおかけすると……」
「記憶が、ない?」
「はい……」
「あぁ、そういうこと……」
アレクシさんがアメジストみたいな紫の瞳を伏せて沈思する。
その様子を暫く見守っていると、彼は完璧な笑みを浮かべて告げた。
「大丈夫だよ。何も心配しなくていい。だから婚約破棄はしなくていい」
「あの……」
「それより、結婚式はいつにしようか。君に着て欲しいウェディングドレスを何着も用意してあるんだ。勿論他のが良かったら新しく作らせるよ」
アレクシさんは微塵も婚約破棄する気がなさそうだ。
それにウェディングドレスを既に何着も用意しているということは、もう結婚までもうすぐという時期だったのかもしれない。……だとしても、結婚式は一度しかやらないはずだし何着もある必要はないと思うけれど。
心苦しさが増すけれど、私はお互いのために婚約破棄をしなければ。彼が好きなのはリュシルで、私は本当のリュシルではない。リュシルを愛している人ほど気づいてしまうだろうし、それでアレクシさんとの関係が拗れてしまうのを本物のリュシルも望まないだろう。
話すつもりはなかったのだけれど、私が別人であることをアレクシさんには話すしかない。
どのみち、この人格の入れ替わりについて調べるなら協力者は必要だし、本当の彼女を取り戻したいはずの彼なら協力してくれる……と思う。
リュシルのことが大事なら今すぐ殺されることはないと思うし、話してみるしか今思い浮かぶ突破口はなさそうだ。
「二人で話したいので、下がっていてくれる?」
執事さんとメイドさんたちに伝えると、彼らは戸惑いを浮かべて「ですが……」と言い淀む。
「お嬢様、未婚の女性を男性と部屋に二人きりにすることはできません。せめて一人でもメイドを残してください」
「……でしたら、メラニー。残ってくれる?」
「はい、お嬢様」
メラニーが綺麗なお辞儀をして控えめに目を伏せる。
気遣わしげな視線を私に送りつつも、他のメイドさんと執事さんは部屋から出て行った。
「人払いまでしてどうしたの?」
「聞いて頂きたいことがあります」
「婚約破棄ならしないけど」
アレクシさんは笑みを浮かべているものの隙がなく、私の言葉に先手を打ってきた。
「私が今から話すことをお聞きになれば、婚約破棄を考えてくださるはずです」
「……何を言われても考えは変わらないと思うけど、一応聞くよ」
アレクシさんが口を噤んで静かに私の台詞の続きを待つ。
美しい紫の瞳で私を射抜いて、私は指先が震えるのを両手で掴んで堪えながら口を開いた。
「私は、リュシル・ナミュールではありません」
アレクシさんは怪訝な顔をした。まるで、「じゃあお前は誰なんだ」と言いたげな顔で眉根を寄せる。
「……どういうこと?」
「記憶喪失なことは嘘ではないです。リュシル・ナミュールとしての記憶はありません。しかし記憶がなく真っさらなわけでもないのです。日本で大学生をしていて、就活中だった記憶はあります。何故か……名前は思い出せなくて朧げな記憶ですが」
「ニホン……ダイガクセイ……」
アレクシさんは何故か私の後ろに控えているメラニーに視線をやった。
メラニーがどういう反応をしたか気になって後ろを振り返ろうとした瞬間、アレクシさんは私の手を掴んで自分の方に引き寄せた。
「わっ」
机に膝を乗り上げそうになってしまったのを、掴まれていない左手を机につくことで耐える。
アレクシさんは目を細めて、私の手を強く握って離さないままもう片方の手で私の横髪に触れた。
「それで?」
「だ……だから、私はオールヴェルニュ様が」
「アレクシって呼んで」
「えっと……アレクシ様」
「敬称もいらないけど……まぁいいや。ごめんね、続きどうぞ」
「……アレクシ様が想っているリュシルではないのです。だから今の私とは一旦婚約破棄をして、その上で元のリュシルを取り戻すための協力をお願いしたく……」
アレクシさんが私を見つめたまま黙ってしまった。
リュシルに負けず劣らず陶器のような白い肌に、神秘的な紫の瞳を縁取る長い睫毛は髪と同じ金色。鼻梁は高くすらりと通っていて、……つまり何が言いたいかというと、怖い。美人にじっと見られるのって怖い。
リュシルと並ぶと絵になるんだろうなと他人事のように現実逃避しながら彼の返事を待っていると、彼の中で結論が決まったのか笑みを浮かべてみせた。
「なら、婚約破棄の必要はないよ」
「え?」
「それに、記憶も無理に取り戻そうとしなくていい。あぁ、来年の社交会シーズンに困らないように一通り勉強はしないとだよね。家庭教師はこちらで用意するから心配しないで」
「あ……あの……」
記憶を取り戻さなくていいってなんだろう。この人はリュシルのことが好きなわけじゃないの?
疑問を消化できないまま、アレクシさんは話を進めていってしまう。まるで私の面倒を見るのは当たり前のことだと言うように。
「待ってください、あの、」
「大丈夫だよ、今までと何も変わらない。君と僕はこれからもずっと一緒だ」
私は何かを言い返そうとして、言葉が出てこなくて開きかけた口を閉じた。
私が知らないリュシルを知っているこの人が「婚約破棄はしなくていい」と言うなら、婚約破棄しなくても迷惑がかからないのなら……、無理やり婚約破棄する必要はないのかもしれない。
分からない。あまりに情報量が足りていないから、今どうするべきなのかも自分では判断できそうにない。
「……お嬢様のお身体に障りますから、そろそろ……」
黙り込んでしまった私を気遣ってくれたのか、メラニーがこの場を切り上げようとしてくれた。
「そうだね、引き止めてごめん。また明日も来るから」
アレクシさんが時計を横目で見てから席を立つ。
お見送りをしようと私も席を立つと、彼は私の右手を掬い上げて唇を落とした。
「リュシルが生きていて良かった。見送りはいいから、ゆっくり休んで」
私が追いかけるか躊躇っている間に、彼は颯爽と部屋を出ていった。
扉が閉まってその姿が見えなくなって、私は力が抜けたように身体をソファに沈み込ませたのだった。
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次回更新は26日です。メインヒーロー視点の予定です。




