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2話


 メラニーが戻って来た扉の開閉音で浅い睡眠から醒めて、彼女に促されるままにやたら豪奢なドレスへと着替えた。

 つけたこともない編み上げのコルセットをきゅっと締め上げられて、すでに内臓が口から出そうなのにこれから両親と夕食だというのだから何重にも驚きだ。

 見たことあるような宝石――しかしここが地球と違う世界なら似ているだけで違う宝石かもしれない――が散りばめられた髪飾りに頭が重くなり、怖くて首を動かせないけれど、目線だけ動かして長い廊下の左右の壁を観察する。

 豪奢な額縁を纏って飾られている繊細な筆致で描かれた絵画の中に、リュシルの幼少期らしき少女とリュシルに似た男女の三人が映った人物画があった。

 青髪に黒目の男性と、銀髪に紫目の女性。はっとするほど鮮やかな絵の具で彩られた二人がこれから会う両親なのだろう。外見こそ冷たそうな印象が残るものの、リュシルとの距離感や表情の柔らかさに仲の良さが垣間見える。

 だからこそ、これから会うのが一層憂鬱になった。リュシルが愛娘であればあるほど、記憶をなくして……、それどころか中身が別人になっているなんて、受け入れ難い事実だろう。

 溜息を押し殺して、コルセットできつく締められたお腹の辺りに掌を当てた。






 「お嬢様が到着されました」と扉の前に控えていた燕尾服姿の男性が扉の向こうへと声を張り上げた後、重厚な扉が開かれて室内のシャンデリアの光が目に突き刺さる。

 目を凝らして眩さにどうにか耐えて、室内の大きなテーブルの奥の方に並んで座っている男女に視線を滑らせる。

 やっぱりさっきの絵画に写っていた二人だ。絵画よりは年を取っているものの、老けていると称するには烏滸がましいくらい肌も髪も艶やかだ。


「リュシル、座りなさい」


 私が所在なさげに立っていると、男性の方が自分の向かいの椅子に視線を送って、使用人に椅子を引かせて告げる。


「はい」


 着なれないドレスの裾を踏まないように慎重に歩いて椅子に座ると、向かい側に座る男性と目が合った。


「記憶喪失になったと医者から聞いたが、本当なのかい?」

「……はい」


 誤魔化したって仕方がないから正直に答えると、二人とも静かに傷ついた顔をした。

 だからこそリュシル・ナミュールという女の子はご両親に愛されていたのだろうと分かって、申し訳なさで胸が押しつぶされそうになる。

 中身が別だと伝えたら卒倒してしまいそうだ。むしろ殺されてしまうかもしれない。肉体の安全を保ったまま中身の私だけ殺す方法があればの話だけれど。


「……私が母で、隣の彼が父です。お母様、お父様、と呼んでくれていたのよ」


 本当は名前を教えて欲しかったけれど、この様子だと名前で呼ぶのは避けた方が良さそうだ。娘が記憶喪失になったことを受け止めきれていないからか、完全に初対面の人に挨拶するような雰囲気ではないし、名前は名乗られなかった。あとでメラニーからこっそり聞こう。


「それで、一般常識なども全部抜け落ちているのは本当かい?」

「……はい。申し訳ありません」


 面倒がられるだろうということを承知で正直に伝えるしかない。

 まだ何も口にしていないのにお腹の辺りが重くなるのを感じながら目を伏せると、かけられた台詞は思いの外優しかった。


「何も謝ることはないわ。何も分からなくて不安でしょう。困ったことがあったらなんでも言うのよ」

「幸い社交シーズンもちょうど終わったところだし、ゆっくり休みながら慣れていくといい。……さあ、夕食を食べよう。三日も何も食べていないのだからお腹空いただろう?」

「……はい。ありがとうございます」


 二人の深い優しさがありがたくて、痛かった。私はそれを受け取るべき人ではないから。

 せめて本来の人格が戻るまで、私がリュシル・ナミュールをやり切らなければ。


 



 高級そうなコース料理を食べ終えて、食後の紅茶を飲みながらゆったりと会話を続けていた。

 ちなみに食前の挨拶――所謂日本でいう「いただきます」にあたるもの――は「いただきます」ではなく、指を組んで黙祷する形だった。


「オールヴェルニュ公爵子息との婚約はどうしましょうか」


 お母様――と直接呼ぶ勇気はない――が小首を傾げてお父様――右に同じく――に視線を向ける。


「リュシルの気持ち次第では婚約破棄も考えよう。こちらの都合での破棄となるし、彼はリュシルに大変執心しているから渋られるだろうが……」


 お父様は苦々しい顔をする。

 正直別人になってしまった身としては婚約破棄したほうが相手のためでもあるのではと思うけれど、お父様に余計な手間をかけさせたいわけではない。


「私から事情を説明して婚約破棄を提案してみます」

「大丈夫なの? 辛かったらお父様とお母様が……」

「いえ、今日の非礼もお詫びしなければなりませんから」

「そう……」


 お父様とお母様は心配そうな顔を見合わせてから私に視線を向ける。

 会話が途切れて沈黙が漂う。

 私は二人の視線から逃れるように空のカップの底を見つめた。茶渋が少しへばりついていて、白く滑らかな表面を邪魔している。


「……疲れただろうから、今日はもう休みなさい。オールヴェルニュ卿には伝書を飛ばしておくから、明日の昼後くらいに起こし頂こう」


 見計らったように使用人の方が私の椅子を引いてくれるので、そっと立ち上がってから二人に会釈をする。

 日本にいた頃にいた時になんとなく流し見ていたプリンセス系の映画の真似事みたいなお辞儀をしてみたけれど、果たしてこれで合っているのかは分からない。

 二人の顔色を確かめないまま、私は部屋を出て廊下で待っていたメラニーに案内されるがまま自室へと戻った。





 自室に着くと、ドレスを脱ぐのをメラニーや他の何人かのメイドさんに手伝ってもらったあと、部屋に隣接している浴場に連れていかれた。

 私の元の家のよりずっと立派だけれど、普通にお風呂だった。

 最悪入浴の文化自体がないことも覚悟したし、あったとしても五右衛門風呂とかちょっと面倒なタイプのものかもと思っていたけれど、全然普通になんの不便もないお風呂だ。

 蛇口を捻れば水もお湯も出るし、細かな温度調節もできる。

 ただ動力の供給源が電力ではなく魔力というだけが、私の知る世界と違っていた。


「魔力は本来誰しもが使えるわけではないのですが、この国は国中に魔道具が普及しているので、魔法を使えない人でも魔法の恩恵を受けて生活しています」


 メラニーが私の髪を洗ってくれているのに身を任せて、寝過ぎて凝り固まった身体をお湯に浸す。

 自分で洗うと最初は伝えたのだけれど、以前のリュシルもそうしていたと言われてしまったので諦めたのだ。頑なに拒否していたら元のリュシルのイメージと乖離してしまう。

 実際メラニーが髪を洗ってくれる手つきは美容師さんを思わせるほど巧みかつ良い力加減で、美容院に来ていると思えば抵抗感は薄れた。


「魔道具というものは魔力がなくても使えるの?」

「はい。魔力の導線を予め整備したり、魔石があれば」


 電力配線と蓄電器みたいなことだろうか。

 お風呂の温さにぼんやりとしてきた頭に、ふとある推測が浮かんだ。

 リュシルはおそらく高い身分みたいだし、魔法を使えたりするのでは……!


「なるほど……ちなみに私は魔力を使えるのかしら」

「いえ、残念ながら」


 使えなかった。ちょっと期待してしまっただけに残念だ。




 魔力を宿していて、かつコントロールまでできる人は身分に関係なく完全にランダムで生まれてくるらしい。

 遺伝子……という概念がこの世界にあるのかは分からないけれど、血筋で引き継がれるものではないということだ。

 魔法師の素質がある人は、その希少性故に例外的に職業選択の自由がなく、ほぼ強制的に宮廷魔法師になる。

 勿論、人の生活に深く関わる重要な仕事のため才能だけでなく人格も優れていなくてはならない。

 だから幼少期に国民全員素質の有無の検査をし、素質がある子どもは以降宮廷で生活することになるのだそうだ。

 そんな話を聞いていたらあっという間にメラニーは手際良く私の身体にボディオイルを塗り終えていて、柔らかな絹のナイトドレスを私に着せる。


「ありがとう。すっきりしたわ」


 メラニーに向き直ってお礼を告げると、メラニーは静かにポロポロと涙を溢した。


「え……っ!? な、何か……」


 何か失礼なことをしてしまったかと狼狽えながらメラニーの涙をナイトドレスの袖でそっと拭うけれど、メラニーは泣き止むどころか益々涙を溢れさせた。


「お嬢様が生きていて良かったです」

「あ……ええと……」


 身体は無事だとしても中身が違う時点で、それはメラニーの言う『お嬢様』が生きていることになるのかと頭をよぎって、私は言い淀んだ。


「記憶がなくなる前のお嬢様も、たびたび私にお礼を仰いました。使用人にそんなお言葉をかけるなんて本来ならあり得ないことなのに。だから、たとえ記憶がなくなったとしてもリュシルお嬢様は私の知っているリュシルお嬢様です」

「……当たり前のことだと思うわ」


 この国の貴族の感覚では一般的ではないのかもしれないけれど、人に何かしてもらったらお礼を言うのは普通のことで、感謝されることでも褒められることでもないと思う。


「前のお嬢様もそう仰っておりました」


 メラニーがやっと笑顔を浮かべてくれた。

 目尻にはまだ涙が残っていたけれど、私はほっと息を吐く。


「……正直に申し上げますと、お嬢様の記憶が無くなってしまったと聞いて複雑な気持ちでした。でも、もう二度と目覚めないかもしれないと考えていた三日間を思えば、今無事にお話ができているだけで私は幸せでございます」


 メラニーが私の両手を握って慈しむように撫でてから、そっとベッドへとエスコートしてくれる。

 リュシルは……前のリュシルは、すごく慕われていたのだろう。

 疑う余地もないくらい、目覚めてからの数時間で思い知らされた。

 お付きの侍女にも大切に思われていて、両親にも愛されている。


「……おやすみなさい」


 シーツに身を包めて首だけメラニーの方に動かして告げると、彼女は綺麗なお辞儀をしてから部屋の照明を消して、小さな物音だけ立てて部屋から出ていった。


「……はぁ……」


 こんなにも皆に愛されている彼女に成り代わってしまったのが居た堪れなくなった。

 前のリュシル・ナミュールはどんな女性だったのだろうか。

 まずはそれを知って、できるだけ違和感のないようにリュシル・ナミュールになりきって、そしてできる限り早く記憶を――正確には元のリュシルの人格と入れ替わろう。

 明日はアレクシという人に婚約破棄を言い渡さなければいけない。

 元のリュシルが彼のことを好きなら婚約破棄するのも申し訳ないけれど、そこら辺も事情を話してアレクシさんに分かってもらおう。

 息が詰まるような心地を誤魔化して、息を深く吐いて無理やり目を閉じた。





 ――――――





「お嬢様! 起きてください……!」


 メラニーに身体を揺さぶられて飛び起きると、メラニーは慌てた様子で私に言った。


「オールヴェルニュ様がいらっしゃったのです! お嬢様に会うまで帰らない、寝ているなら様子を見にいかせてもらうって仰って使用人の制止もお聞きにならずにこの部屋に向かっております……!」

「え? でも今日は昼頃だって昨日……お父様が……。今何時?」

「六時です!」


 思わず顔が引き攣ってしまった。

 この世界の常識はまだロクに知らないけれど流石に非常識なのでは、と口に出したくなるのを堪えて、メラニーや他のメイドさんにされるがまま支度に取り掛かったのだった。

 

 

お読みいただきありがとうございました。

ブクマ、評価星5、感想等励みになります。よろしくお願いいたします。

次回更新は明後日23日です。メインヒーローが出てきます。

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