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1話

新連載です。

全年齢では五億年ぶりです。

全年齢用の名義も新調しました、初冬香雪(ういとうかせつ)です。よろしくお願いします。

(ムーンライトの方ではぼちぼち書いておりました。)



 綺麗に咲き誇る庭中の花はリュシルが好きな花で、リュシルは昔からアレクシのお家に遊びに来てこの庭でお茶をするのが好きだった。

 何回目かも数え切れないくらい見た光景は、いつ来ても感動が褪せることはない。


「リュシルももうすぐ十八歳だね」


 アレクシが感慨深そうに呟く。

 彼の胸元には男性物にしては細く、淡い色のリボンがリボンタイとして蝶々結びにされている。

 そのリボンは昔リュシルが家に帰るのを嫌がったアレクシに、リュシルが髪留めに使っていたリボンを解いてリボンタイにしてあげた物だ。

 幼少期ならそれも似合っていたけれど、アレクシももう成人している身だから、新しいリボンタイを何かプレゼントしなければ。流石に、公的な場にはつけていっていないようだけれど。


「アカデミーも卒業だと思うと寂しいわ」


 リュシルが何気なく呟いた台詞に、アレクシは何故か苦しさを堪えるような曖昧な笑みを浮かべた。


「……それより、結婚式のことだけど――リュシル?」


 唐突に。

 何の前触れもなく、強烈な眠気に襲われる。

 身体の力が抜けて椅子から落ちてしまったのに、衝撃で目が覚めるどころか急激に意識が遠のいていく。


「リュ――!」


 何か叫んでいる声が遠くに聞こえて、それに何も答えられないまま、やがて聞こえなくなった。

 




ーーーーーーーー

 


 目が醒めると、いつもの見慣れた天井ではなかった。

 そもそも天井ではなくて真っ青なベルベット生地が張られている。視線だけを横に滑らせると、その布地が四方に垂れ下がってカーテンのようになっている。所謂天蓋ベッド、というやつだろう。

 なんにせよ、間違いなく自宅ではない。それどころか友人の家や泊まったことのあるホテルでも見たことがないから、ここがどこなのか全く見当がつかない。


「お嬢様、意識が戻られて……! あぁ、公子様にお嬢様がお目覚めになられたとお伝えして!」


 黒髪を一縷の乱れもなく纏めているメイド姿のお姉さんが涙ぐみながらもテキパキした動きで他の人に指示を出している。


「あ……あの……」

「お嬢様、どこか身体は痛みませんか? 三日もお目覚めにならなくてこのメラニーは心配で気が気でありませんでした」

「あ……えぇと……」

「喉が渇いていらっしゃいますよね、お水をお持ちいたします」


 何をどう説明したら良いか分からず言い淀んだ声が存外酷く掠れていて、メラニーと自称した彼女は水差しから繊細なデザインのガラスのコップに水を注ぐ。

 もっと何か普通のコップはないのだろうか。そんな使うためではなく飾るために作られた調度品のようなコップで水を飲んでも、緊張でもっと喉が渇いてしまいそうだ。

 こちとら一人暮らしの家では三百円均一チェーン店で買ったプラスチックのコップを使って三年経つんだぞ――なんて主張しても、そもそも三百円均一チェーン店なるものの存在すら伝わるか怪しい。

 結局無駄なことを口走る勇気もなく、上半身だけを起こしてありがたくコップを受け取って、普段の五倍は気をつけて水を飲む。

 水の味が少し違うような……、そんな水の味に詳しいタイプではないけれど。ミネラルウォーターの種類当てゲームとかがあったら全問不正解の自信しかないし。

 密かに首を傾げながら水を飲んでいると、部屋の外から段々と足音が近づいてくる。

 慌ただしい足音がこの部屋の前で止まったと思った、その瞬間に扉が勢いよく開け放たれた。


「リュシル!」


 燕尾服の男性やメイド服の女性を押しのけかねない勢いで入ってきた男性は、照明の反射どころか自ら発光していそうな輝かしい金髪を振り乱して、壮麗な顔を泣きそうに歪めて私の方に近づいてくる。


「リュシル……」


 名前のような、しかし全く聞き覚えのない単語をうわ言のように呟く彼に、水を飲んだおかげで多少喉が潤った私はやっと疑問を口にした。


「どちら様……でしょうか……」


 リュシルと私を呼んだ男性が、美しさを感じさせる余裕もないほど表情に絶望を浮かべる。

 その様子を見て罪悪感が私の胸を刺して、なかなか抜けそうになくて顔を逸らした。


「そんな……、リュシル、僕のことが嫌いに、」

「いえ、嫌いもなにも……」

「お嬢様、それ以上は。公子様、本日はお引き取りください。改めて旦那様のご判断を仰いでからご連絡いたしますので」

「ああ……」


 ショックで倒れそうな様子の金髪の男性が燕尾服の恰好をした何人かに促されて部屋を出て行ってから、メラニーさんが気遣わし気に私の方を見る。

 きっとまずいことを言ってしまったのだろうとは理解できた。しかし今の私にはどうしようもなく、何も分からないことをただ白状するほかになかったのだ。

 メラニーさんが酷く恐ろしいことを口にするかのように恐る恐る、必死に震えを抑えた声で問う。


「お嬢様、記憶が……おありにならないのですか……?」

「……えぇと……そういうことになる、のだと思います……」


 まるで断罪室のようだ、なんて断罪室に行ったことも見たこともないくせにぼんやりと思った。





 その後、お抱えらしい医師が来て記憶や脳の検査を一通りすることになった。そのお医者さんも昔からの顔見知りだそうだが、私は当然、初めましての顔だ……と思った。

 てっきりCTとか、寝そべって筒状の機械に入れられるあれとか、ああいうのをやるのだと思っていたのだけど、いくつか口頭で質問をされて少しお医者さんとお話をして、後は脈を測られたり心臓の音を確認したり、採血を取って終わってしまった。

 質問内容はかなり事細かに聞かれたし、私が殆ど何も答えられなかったせいでお医者さんの表情はどんどん曇っていって、悪いことはしていないはずなのに申し訳なくなった。

 それ以外は定期健診でやりそうな検査だったから、そんなに症状が悪いならもっと精密検査すればいいのに……と、精密検査の解像度が低い身ながらに疑問を抱いたのだけれど、その疑問はあとですぐに解けることになった。


「ルーべルージュ皇国?」

「はい。お嬢様はリュシル・ナミュールというお名前で、代々国軍総司令官を輩出しているナミュール侯爵家の御令嬢でございます。あの……お名前も……」

「覚えていない……です。すみません……」

「……いえ、お嬢様がお気に病むことではございません。ご不安かと存じますが、私どもがサポートいたしますので安心してお過ごしください。すぐに記憶も戻りましょう」


 メラニーさんは少し困ったような顔をしたあと、私を安心させるためか笑みを作って穏やかな口調で告げる。

 この人は私に記憶を取り戻してほしいのか。……いや、それはそうか。記憶喪失の人がいたら「記憶が戻るといいね」と言う人の方がきっと多数だろう。

 リュシル・ナミュール。

 脳内で何度か反芻してみても、まるで聞き馴染みがない。そもそも自分がカタカナの名前だとは思わなかった。


「すみません、鏡を見てもいいですか?」

「……? ええ、手鏡をお持ちいたします」


 メラニーさんが持ってきてくれたのは、繊細な花の模様がかたどられた真鍮の手鏡。

 鏡の面はよく拭かれて指紋一つなく、メラニーさんから受け取ってそっと持ち手を握った。

 指先が少し震えてしまったのは、一体どれの緊張からか。


「…………だ、」


 誰、と口にする前にきゅっと唇を閉じる。鏡の中の女性も同じように口を閉じた。

 鏡に映っていたのはやはりというべきか、知らない女性だった。

 深い海のような真っ青な髪が一切の癖なく艶やかに伸びていて、同じ色の睫毛に縁どられた切れ長な目は南国の遠浅な海みたいに透き通った緑の瞳をしている。

 ブルベの冷たそうな美人、という表現が真っ先に頭に浮かんだ。

 今の私の性格にまるで合う気がしない。いや、他者として仲良くなれるかではなく、今の私の素の性格で話し始めたら印象がまるっきり崩れてしまうのではないか、ということだ。

 こういう見た目の人ってどういう話し方をするのだろう。お嬢様と言われていたから、なんとかですわ、とかそういう感じだろうか。

 というか、金髪の髪色の男性が入ってきたあたりで違和感を抱くのを放棄してしまっていたけれど、冷静に考えたら天然もので青い髪って、単に日本ではないどこかの国、というわけではないだろう。

 ルーべルージュ皇国なんて聞いたことがないし、流石に地理が苦手だったとはいえそんな国が私の知っている地球上にはないだろうことくらい察せられる。

 だとすると、ここはどこなのだろう。私は一体どこに来てしまったのだろうか。

 ひとまず話してみて情報を得ていくしかない。幸い周りは単に記憶喪失なのだと思っているようだし、『記憶を失ったリュシル・ナミュール』として話そう。

 もっとも、あまりにこの身体が自分である実感がなさすぎて、私の中ではすでに単なる記憶喪失と違うのではないかとすでに疑いを抱き始めているけれど。


「メラニー……さん」

「お嬢様、私めのことはメラニーとお呼びください」

「以前もそうだったのですか?」

「ええ。それに、私ども使用人に敬語などお使いにならないでください」

「そう……なのね。分かったわ」


 メラニーが満足そうに微笑む。どうやら口調選びも成功したようだ。


「メラニー、私どうやら記憶がないみたいなの。それを他の家の者に伝えてくれる? できれば、判断が出来る人に」


 両親がいるのかも分からないのであえて曖昧な言い方をすると、メラニーは私の意図することが伝わったようで、「はい、お嬢様」と綺麗なお辞儀をして部屋を出て行った。

 乳白色の扉が閉まるなり、私一人きりとなった部屋に置き時計の針の音だけが規則的に響く。

 扉の向こう側から人の気配が感じられなくなったのを確認してから、私は張り詰めていた呼吸を一気に解いた。


「はぁー……しんどかった」


 一体どうなってるんだ、この状況は。

 変な夢を見てるだけじゃないのかと手の甲を指で抓ってみたけれど、新雪のような白い肌に赤い痕がついただけだった。

 自分だという自覚はまだない身体に痕を付けてしまった申し訳なさで手の甲を擦りながら、首を動かして部屋を見渡す。

 純白と爽やかな青色を基調とした部屋は、置かれている家具全てが高そうな海外ブランドの家具みたいで、部屋自体が広いから一つ一つの家具もゆったりとした大きさだ。

 窓の外には半円状のバルコニーがあって、外には庭が広がっているのがベッドからも確認できる。

 咲いている花を確認すれば季節を推測できるかもしれないが、三日間寝ていたらしい身体は起き上がるのでやっとで、ベッドから出るのは諦めた。

 メラニーが戻ってきたら何か食べるものを貰えるか聞いてみよう。

 ベッドにもう一度寝転がって、天蓋の上質な布の天井を眺めて脳内で状況を整理する。


 まず、私は起きたら全く身に覚えのない人になっていた。

 リュシル・ナミュールというお嬢様で、三日間目覚めなかったらしい。何故三日も眠ったままになってしまっていたのかは聞きそびれてしまったから後で聞こう。

 私はリュシル・ナミュールだった記憶は一切なく、それどころか今いるルーべルージュ皇国がなんなのかも、クラシックメイド服や燕尾服の人が何人もいるこのナミュール家のことも、金髪や青髪など奇抜でキラキラした髪色が当たり前に存在していることにも疑問を抱いている。

 とても日本のこととは思えないし、それどころか私の知っている地球上のこととは思えない。

 だったらここはどこなのだろうか。私は一体何になってしまったのだろうか。

 メラニーは私の僅かな発言で記憶喪失だと判断したみたいだが、きっとそうではない。

 私にはこの世界での記憶がない代わりに、日本で大学生をしていた記憶はある。

 私立文系の四年生大学に通っていた社会学部系の女子学生で、絶賛就活中だった。

 ガクチカなんてこれといって話すこともない凡々とした人生を送ってきてしまったせいで、就活はだいぶ迷走していて、一社内定をもらったものの評判を調べてみたらブラック企業で、必死に他の内定を取ろうと藻掻いているところだった。

 まあそんなわけで社会と未来への不安に苛まれていたのだが……。


「あれ……どこで記憶が切れたか思い出せない」


 自分の口から出た台詞に自分でぞっとした。

 何も覚えていない。自分がどんな生活を送っていたかははっきりと思い出せるのに、ここにどうやって来たかやいつ頃までの記憶が自分の中に残っているのかは靄がかかっているように曖昧だ。


「あの世界の……日本で暮らしていた私はどうなった?」


 私がリュシル・ナミュールになっているということは、私の身体はどうなっているのだろう。本当のリュシル・ナミュールが私の身体に入っていて所謂入れ替わりの状態なのか、それとも寝たきりの植物状態になっているのか。

 脳死判断されて身体が火葬されてしまっていたら嫌だなあ……。そもそもどうやったら戻れるのかも分からないけれど。

 この世界で過去にこういう例があったら資料や記録が残っているはずだし、当面はリュシル・ナミュールとして生活するためにこの世界のことを学びつつ、元の世界に帰るためのことも調べていこう。

 とりあえずやることを決めて先行きが見えない不安を誤魔化し、どっと気疲れした身体を無理やり脱力させて目を瞑った。





お読みいただきありがとうございました。

ブクマ、評価星5、感想等励みになります。よろしくお願いいたします。

2日に一回20時更新で頑張ります。次回更新は明後日21日です。

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