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花冠の聖女は王子に愛を歌う  作者: 星名柚花


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53/55

53:建国祭(1)

 王宮全体が建国祭の準備に追われ、慌ただしく日々は過ぎていった。


 そしていよいよ、建国祭当日。


 救国の聖女としてお披露目される予定のリナリアは侍女に囲まれ、朝から一時間以上もかけて身支度を整えた。


 その身に纏うのはオーダーメイドで作られたドレス。

 まさに職人芸としか言いようのない、独特な意匠の細やかな刺繍。光沢のある生地に散りばめられた小さな宝石たち。瞳に合わせた緑と白を基調としたドレスは本当に自分が着ていていいのかと不安になるほど豪華だ。


 首元と耳元はダイヤモンドで飾った。

 髪は両側を編み込んで後ろで流し、希少なピンクダイヤモンドが輝く華やかなヘッドドレスをつけ、さらに上から純白のヴェールを被った。


 侍女たちは美しく生まれ変わったリナリアを見て褒めそやしてくれた。

 廊下で待っていたセレンもウィルフレッドも口を揃えて綺麗だと言ってくれた。


「一番にアルカに見せてあげたかったな。きっと、このまま結婚式を挙げようって言ってたよ」


 紺碧の礼服を着たセレンはそう言って微笑んだ。

 フローラの治癒により、彼はすっかり元気になった。


 アルカと入れ替わり、次に王宮で再会を果たしたとき、彼は「もう息切れも動悸も眩暈もしない。少し動いただけで熱が出ることもない。常にあった頭痛も倦怠感も疲労感も何もかもが消えた。健康って本当に素晴らしいね」と、しみじみ言っていた。


「そうでしょうか」

 リナリアははにかみながら、二人の王子にエスコートされてバルコニーに向かった。

 王宮を守る兵士たちも、王宮で働く侍女たちも、廊下を歩くリナリアを見て目を見張っている。


(……アルカ様がここにいたらなあ)

 二人の王子にエスコートされている現状はとんでもなく贅沢だとはわかっているが、それでも、リナリアの心はここにいない恋人を想ってしまう。


 もしアルカがいたら、彼は着飾ったリナリアを見てどんな反応をしただろうか。

 セレンが言った通り、バルコニーでの挨拶なんてボイコットして、結婚式を挙げようと言ってくれただろうか。

 別にそこまで大げさな反応ではなくてもいい。

 ただ一言、綺麗だと言ってくれたら。

 それだけでリナリアはきっと、天にも昇るような心地になれたのに。


 階段を上り切ったところで、リナリアは襟元に付けられた小さな丸いボタン型の《拡声器》を撫でた。


《拡声器》はその名の通り声を大きくする魔道具だ。


 魔力は既に込められているため、あとはリナリアがスイッチを入れれば起動する。


 しばらくして三階のバルコニーの前に着き、リナリアは驚いた。


 王宮前広場は人で埋め尽くされていた。まるで国中の人々が一か所に集まっているかのよう。


「凄い人ですね。建国祭はこんなに多くの人が集まるものなのですか?」


 目を白黒させながら、黒と金のほぼ二色で構成された礼服を着ているウィルフレッドに質問すると、彼は笑って首を振った。


「いいや、去年も、おととしも、これほど多くの人はいなかったよ。みんな噂を聞いて、リナリアの歌を聞きに来たんだろう。病床に伏していた第一王子を回復させた奇跡の歌。《光の樹》を蘇らせた女神の歌――みんなが君の歌声を期待して、君の登場を待ち望んでいる」

「……そんなに期待されているのですね……」

 リナリアは俯いた。

 歌を目的としてわざわざこの場に集まってくれた国民たちには申し訳ないが、これからリナリアは大騒動を起こす。


 その結果次第では、たとえ国王の命令だろうと、万人に非難されようと、歌わないと決めたのだ。


「そんな顔をしないでくれ、リナリア」

 顔を上げると、ウィルフレッドは目を合わせて頷いてみせた。


「君は約束通り僕のために十曲も歌ってくれたし、国のために《光の樹》を蘇らせてくれた。《花冠の聖女》としての役割はもう充分に果たしてくれたよ。後は《花冠の聖女》ではなく、リナリアとして自由に、心のままに振る舞ってほしい。そう思いますよね、兄上?」

「ああ。アルカも待ってるよ」

「……アルカ……か。やはりいまだに信じられないな。兄上が双子だったとは。僕は兄上が入れ替わったことに全く気付いてなかった。恥ずかしい限りだ」

「気づかないのも仕方ないよ。これまで私と会った回数は片手で足りるだろう? 私はほとんど臥せっていて、《百花の宮》から出られなかったからね」

「ご回復されて何よりです。ところで兄上は王位を望まれるおつもりはないのですか?」

「ないと断言させてもらうよ。君がこの国の王太子であり、次期国王だとアルカも認めていた。アルカの言葉を借りるなら『王位継承権なんて要らない、王位争いの話はもうウンザリ、万が一王になれなんて言われたらおれは全力で逃げる』だって」

 セレンはくすりと笑みを零した。


「私もアルカと同意見だ。間違っても王になるつもりはないから安心してほしい」

「良かったです、兄上たちと争わずに済みそうで。いえ、僕は元々兄上たちと争うつもりはないのですが……」

 ウィルフレッドは口ごもった後、小声で胸の内を明かした。


「ここだけの話、兄上が健康になった以上、慣例に則り、長子である兄上が王位を継ぎ、僕は補佐に徹するのが筋だと思っています。僕は本当にそう思っているのですが……母上たちの期待と圧が……凄くて……王位に興味がないなんて言ったら叱り飛ばされるんですよ……」

 ウィルフレッドはどんよりとした暗い表情で俯いた。


「ウィルフレッドも大変だね。そういえば、私には一つ夢があるんだ。聞いてくれるかな」

「はい。どんな夢ですか?」

「いつかアルカも交え、兄弟水入らずでお茶会などできれば良いな、と」

 ウィルフレッドは驚いたように碧眼を丸くし、それから口の両端を上げた。


「それは素敵な夢ですね。僕も機会があれば、アルカ兄上と一度ゆっくりお話ししてみたいと思っていました。僕が知るアルカ兄上はセレン兄上の仮面を被った偽りの姿だったので、本当の素顔を知りたいです。仲良くなれたら良いなぁ」


「………」

 太陽の下で開かれるお茶会を想像すると胸が締め付けられた。

 二百年前の王子が過ちを起こさなければ、三人が兄弟として笑い合う機会はごく当たり前にあったはずだったのに、アルカはここにいない。


 彼は王子でありながら存在を隠され、王宮を自由に歩く権利さえない。


(本当はセレン様ではなく、アルカ様こそがこの国の第一王子。王位継承順位第一位――次期国王になったお方なのに)


 やるせない気持ちで二人の会話を聞いていると、国王夫妻の到着を告げる鈴の音が鳴り響いた。


 その場にいた誰もが即座に口をつぐみ、リナリアたちは姿勢を正して国王夫妻を迎えた。


 二人とも揃いの衣装を纏い、頭上にはそれぞれ王冠とティアラ。

 テオドシウスは金の刺繍が施された赤いマントを羽織っている。

 品のある菫色のドレスに身を包んだロアンヌは今日も美しかった。


 やがて式典が始まり、テオドシウスはバルコニーに立って演説を始めた。


 皆と共に今日という良き日を迎えられたことを心より嬉しく思う。これも全て国民の一人ひとりが果たした役割のおかげである。余は国王としてこれからも国民の声に耳を傾け、真摯に向き合っていきたい――


 テオドシウスの声を聞きながら、リナリアはバルコニーの向こうに広がる青空を見た。


 夏の空はよく晴れ、陽光も眩しい。国を挙げての祭りにはあつらえ向きの快晴だ。

 人々に混じって、アルカは広場にいるのだろうか。


 落ち着かず、左手の親指で右手の親指を揉む。

 そうこうしているうちに、テオドシウスはリナリアの紹介を始めた。


《花冠の聖女》はこの二百年、誰にもなしえなかった偉業を成し遂げた。奇跡とも呼ぶべき聖女の歌声により、《光の樹》は見事に蘇り、いまや大木と呼べるほどに成長した――では皆のもの、盛大な拍手をもって聖女を迎えて欲しい!


 割れんばかりの拍手の音が聞こえてくる。


 ジョシュアに言われたことを思い出す。大事なのはまず息を吐くこと。

 リナリアは肺の中の息を全て吐き切ってから、すうっと大きく息を吸い込み、バルコニーへと進み出た。


 眼下の広場から大勢の人がリナリアを見上げている。

 この中にいるはずのアルカを探し出そうにも、距離がある上に、人が多すぎて難しい。


 リナリアは優雅に微笑み、国民に向かって小さく手を振った。

 大きく手を振るのは駄目。人前で大きな感情を出すのも駄目。はしたない。淑女教育ではそう言われてきた。


 リナリアが手を振ったことで、人々の拍手が大きくなった。

 誰もが期待に目を輝かせている。


 歌って! という、人々からの無言の圧力を嫌でも感じる。


 ――さあ、歌って! そのために私たちは来たのだから!


(あっ――)

 広場にいる人々の中で、白い光が二回、瞬いた。

 リナリアは顔に貼り付けていた微笑みを消した。


 駆け寄ってバルコニーの手すりを掴み、身を乗り出してそれを探す。


 なんだ、どうした?

 人々のざわめきを無視して、リナリアは光を探し求めた。


 チカチカと、まるで愛を伝えるサインのように繰り返す光は、人で埋め尽くされた広場のほぼ真ん中に立つ人物が発していた。


 全身をすっぽり覆うように、黒い外套を羽織った怪しい人物の頭上で、何度も光が瞬いている。


 奇しくもその恰好は、身を隠していたときのイレ―ネのそれと良く似ていた。


(アルカ様! 見つけた!!)


 行く手を阻む邪魔な手すりをいますぐ乗り越えたいが、ドレスが重すぎて無理だ。


(彼の元に行くには、いったん引き返して城の内部の階段を駆け下り、外に出るしかないわ――でも、兵士の制止を振り切れる?)


 紅が引かれた唇を噛んだそのとき、まるで見えない手で掴まれたかのように、リナリアの身体がふわりと浮いた。


 驚いて振り返れば、ウィルフレッドが何食わぬ顔で、右手の指先だけを振っている。いってらっしゃい、とでもいうように。


(ウィルフレッド様が補助してくださったんだわ!)

 ウィルフレッドの魔法のおかげで、リナリアは労せず手すりの上に立つことができた。

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