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21:聖女の覚醒

「…………」

 イスカは口を閉じた。

 顔をわずかに赤くして、嬉しそうな――それでいて、どこか寂しそうな笑顔を浮かべる。


(あ)

 悟る。口では結婚したいと言いつつも、イスカが本気で自分と共にいるつもりはないことを。


 彼は一人で兄のいる王宮に行ってしまうことを。

 そして、そのまま戻ってこないつもりであることを――


「……ありがとう。本当に嬉しかった」

 イスカは再びリナリアを抱きしめた。


「長いこと地下牢に閉じ込められた挙句、最後には魔物にされた酷い人生だったけど。お前と会えたことだけは神様に礼を言いたい気分だよ。おれにとってお前は闇夜を照らす光だった」


 耳元で囁かれ、彼の腕の中でリナリアは目を閉じた。

 泣くなと言われたばかりなのに、涙の衝動が込み上げてくるのを、奥歯を噛み締めて耐える。


「幸せになれよ、リナリア。おれがいなくなっても、どうか元気で。笑っててくれ」


 イスカの指が愛おしげに、優しくリナリアの髪を撫でる。

 イスカの身体は温かい。

 ずっとこのまま彼の腕の中にいたい、時が止まれば良いとすら思う。


 だが、こうして触れ合っているいまでさえ、イスカの頭を占めているのは自分ではない。


 双子の兄の問題が解決しない限り、イスカは恋愛などとてもできる心理状態ではないのだ。


(無理よ。イスカ様がいなくなったら笑えないわ。幸せになんてなれるわけない。他の誰かなんていらない、私が真実欲しいのはイスカ様だけなのに――)


 こんなにも胸が痛いのは、恋しくて堪らないから。

 彼との別れを考えると、辛くて、悲しくて、気が狂いそうだ。


(どうして私は《花冠の聖女》じゃないの。女神様。先ほど私は愚かにも自分を卑下し、聖女の器ではないと否定してしまいましたが、どうか私の過ちをお許しください。お願いします。私に《光の花》の紋章をください。私にイスカ様を救う力をお与えください)

 溢れた涙が頬を伝う。

 叶うことならイスカを抱き返したいが、自分にその資格はない。

 イスカの力になれない自分には。もうすぐ置き去りにされる自分には。


「なあリナリア、子守唄を歌ってくれないか」

 やがて抱擁を解いたイスカはリナリアの顔を見るなり苦笑した。

 指先でリナリアの頬を拭い、甘えるような声音で言う。


「子守唄、というと……王都の宿で歌った曲でしょうか」

 袖口で涙を拭い、滲んだ視界を矯正してからイスカを見上げる。


「ああ。お前と知り合って一年、色んな曲を聞いてきたが、あの歌は凄く良かった。不思議とぐっすり眠れたしな。魔物に姿を変えられてから安眠できたのは初めてで、自分でも驚いたんだ」

「では……」

 リナリアは立ち上がり、歌い始めた。

 目を閉じたイスカの美しい顔を見下ろしながら考える。


(あのときはただただ、アルルの――イスカ様のために歌ったのよね。安らかな気持ちで眠って欲しいという願いを込めて。願い……心……)


 ――一つ助言をしてあげよう。歌はあくまで手段であり媒体に過ぎない。いつだって奇跡を起こすのは人の強い願い。つまり、大事なのは心だ。


《予言の聖女》だったらしいカミラの――いや、イレーネの言葉を思い出す。


《花冠の聖女》が力を発現する源は歌ではなく、聖女自身の心だというのならば。


(もしかして――)


 脳裏に閃くものがあった。

 さきほどリナリアは歌いながら花瓶の花に『咲け』と強く念じた。


 他人に命じられて喜ぶ人間はいない。

 むしろ『なんだコイツ、偉そうに命令しやがって』と苛立ち、反抗心を抱くだけだろう。


(それは植物も同じなのではないかしら)


 本当に『咲いて欲しい』と思うのなら、心を込めて、真摯に『お願い』するべきだったのではないだろうか。相手が口も利けない植物だからと侮って、傲慢に命令するなど、とても聖女のやることではない。


 リナリアは子守歌を歌いながら、テーブルの上にある小さな花瓶を見つめた。


 花瓶には三本の花が活けられている。

 そのうちの一輪、黄色い花はまだ蕾だった。


(お願い。咲いて。どうか、お願い……!!)


 ――そして、奇跡は起きた。


 黄色の蕾がほころび、すっかり開いたのだ。

 同時、リナリアの左手の甲がほのかに熱を帯びた。


 見れば、左手の甲に六枚の花びらを持った花の紋章がくっきりと浮かび上がり、神秘的な金色の光を放っているではないか。


 これは《光の花》――《光の樹》が一年に一度だけ咲かせる奇跡の花と同じだった。


「ええええええええええ!?」


 リナリアはびっくり仰天し、自分の左手を見つめて大声を上げた。

 心の底から奇跡を願ったものの、いざ現実に起こるとすんなり受け入れられるはずもなかった。


「なんだ!? どうした!?」

 目を閉じて子守唄に聞き入っていたイスカはびくっと肩を震わせ、弾かれたように立ち上がった。


 リナリアは左手を裏返し、彼の目前に《光の花》の紋章が浮かぶ手の甲を突きつけた。


 ついでに空いた右手で花瓶を指さし、言う。


「あの花瓶の黄色の花!! さっきまで蕾だったんです!!」

 イスカは目をぱちくりしながら花瓶とリナリアの左手の甲を交互に見た。


「……お前ほんとに《花冠の聖女》だったのかよ!!」


「そうみたいです。自分でもびっくりしたんですけども」

 言い終わるよりも早くイスカはリナリアの左手を掴み、しげしげと紋章を眺めた。

 現実が信じられないらしく、リナリアの手首の角度を変えて紋章の色味を確かめたり、紋章に直接触れたりしている。


 ただなされるがままにしていると、イスカはやがて手を離し、真剣な眼差しで問いかけてきた。


「……お前が《花冠の聖女》なら……《光の樹》を蘇らせることができるのか?」


「……わかりません。ですが、努力します。精一杯」

 リナリアの返答を聞いてイスカは考え込んだ。

 決断を待っていると、イスカはついに言った。


「リナリア。おれと一緒に王宮に行ってくれないか。おれは」


「もちろんです!」

 イスカの台詞を遮り、張り切って頷く。リナリアはその言葉を待っていたのだ。


 危険かもしれないとか何があるかわからないとか、そんなことはどうでも良い。


(これからもイスカ様と共にいられる!)

 リナリアにとっては、それが一番大事なことだった。


「たとえこの先どんな困難が待ち受けていようと、二人でセレン様をお助けしましょう。これからは私も運命を共にします。さきほど幸せになれと言われましたが、私はイスカ様がいないと幸せにはなれないんです。何があってもお側を離れませんからね」

 微笑むと、イスカはなんだか泣きそうな顔をし、再び両手を伸ばしてきた。

 あっと思う暇もなく、リナリアはイスカの腕の中に閉じ込められた。


「おれたちの救いの女神になってくれるか?」

 イスカはさっきよりも強くリナリアを抱きしめた。


「はい。必ず!」


(もう自分を卑下して謙遜するのはやめた! イスカ様のためなら聖女でも女神でも、何にでもなってやるわ!!)

 決意を込めて、リナリアはイスカを抱き返した。

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