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発情

 結婚すれば、幸せになると思っていた。

 金融業界の会社に勤めていた私は、社会人3年目に会社の先輩に合コンに誘われ、そこで今の旦那と出会った。2年間の交際を経て、半年間の同棲生活を重ねたうえで結婚をした。結婚してからは仕事をやめ、順調に子供も授かり、現在は旦那と娘と私の3人で生活している。幸せとは、物体として目に見えないし、手にも取れないため、今の私が幸せなのかはわからない。ただ、満たされない。

 中学生の頃、家庭科の授業が好きだった。新婚ほやほやのお姉さん的存在の先生が好きだった。実習があるたびに、彼女はよく話してくれた。

「裁縫はね、将来役に立たないって思ってるかもしれないけど、先生今役に立ってるの。2歳になる息子に服を作ってあげてるの。服を作って、息子に着せるときね、すっごい充実感があってね、、」

 調理実習の時は、必ず言っていた言葉がある。

「料理はね、何を作るかじゃなくて、誰に作るかが大事なの。先生は、旦那さんにおいしいって食べてもらえるから、料理を頑張ってる!」

 中学生の私には、彼女はとてもキラキラして見えた。彼女のようになりたい。純粋にそう思っていたこともある。今思えば、彼女は私たち生徒に伝えていたのではなく、自身に言い聞かせていたんだと思う。先生という立場を利用して、生徒を頷かせることで、毎日の中ですり減る幸せを正当化したかったのだと。

 私は、月曜日が嫌いだ。また、1週間が始まる気がするし、月曜日から5日間は旦那と娘が日中に家にいることが無いから、少し寂しい。休日でもよく話すわけでは無いし、過剰なほどの家族団欒と言ったわけでは無いが、朝8:00過ぎには、家の中から生活感がぱっと消える感覚が寂しさを加速させる。

 今朝もコーヒーを飲みながら、SNSを徘徊している。ふと誰かの視線を感じたので、顔を上げる。そうすると、リビングの向かいの棚に置いている、娘が幼いころに大切にしていたぬいぐるみと目が合った。

 赤色の熊のぬいぐるみ。確か、娘が名付けた名前はシェリー。こうしてじっくり見ると、少し不気味だ。

「シェリー、あなたも退屈そうだね。私って今、幸せなのかな?こうしてね、1人で家にいるとわからなくなるし、なんで生きてるんだろうって考えちゃうの、、」

 シェリーは何も答えない。が、気にせず語りを続ける私。

「主人と出会って、結婚して、子供を産んだところまでは、ちゃんと幸せだったんだよね。でも、確か娘が小学校を卒業したくらいで、もう子供から女の片鱗が見えてきたくらいにね、家族に熱を持って向き合うことをしなくなった気がする。というより、出来なくなったっていたほうが正しいのかもね、、」

 シェリーは何も答えない。

「いいんだよ、聞いてくれるだけで。」

 そう伝えて、スマホの画面に視線を落とす。真っ暗な画面に映った私の顔。私の目。シェリーと同じ目をしていた。まるで魂が無いような、息をしていないような、どこか不気味な、死んだ目をしていた。

 納得はしていた。いわゆる子育てをしていた時の自分は、恐ろしい速度で人間としての成長をしていた。毎日、成長していた。そんな経験を得てしまったら、何も成長しない当たり前が続く毎日は、ただただ退屈で、得たものが減っていく感覚にもなる。

「ふっ(笑)」と目は殺されたまま、笑ってしまった。

 きちんと自我を保ったまま、無機物に話しかける癖がついたのは、いつからなんだろう。毎日変わらないものに落ち着きを覚えたのは、いつからなんだろう。何をしていても、何もしていなくても、何も感じなくなったのは、いつからなんだろう。そんなことを考えながら、朝ごはんの片づけをさぼって、食卓のテーブルの上にうつぶせて眠りについた。

 昼ご飯を簡単に済ませて、今週1週間分の食事のため、食材の買い出しに向かった。料理なんてどうでもよいから、簡単にできる料理の組み合わせを難易度低めに考えながら、近所のスーパーへ向かった。

 スーパーへ着いてから、30分ちょうどで食材の選択を終えた。レジに並んでいると、店員の横に煙草が並べてあるのが、目についた。そこに煙草を置いているのは、だいぶ昔から知っている。なぜかその日は目について、離れなかった。試しに、1箱買うことにした。

 会計を済ませて、外に出た。買った煙草に少しわくわくした。煙草を取り出し、火が無いことに気づく。少し寂しくなった。一瞬家に持って帰って、それから吸ってみようとも考えてはみたが、手にしたわくわくが消えていたのは、自分が1番わかった。煙草に「ごめんね」と伝えて、捨てた。家までの帰路を最短で歩き出した。

 あきらめの線引きが甘くなっている。役割を持たずに生きていると、やらなくてよいことしか存在しなくなる。やることが無い。木と同じだ。時間の流れによって、どことなく外観は変わっているが、結局、木は木としてしか括れない。生えているだけだ。私もただの主婦でしかなくて、息をしているだけだ。

 夕方になって、娘が帰宅してくる。何やら今日は機嫌がよさそうだ。

「ママ、ただいま!」

「おかえりなさい、どうしの?何かあったの?」

「実は今日、告白されたんだよね、、」

 どうやら、他のクラスの男子に告白されたらしい。特に聞いていないが、詳細まで伝えてくれた。目がキラキラしていた。内容は全然、頭に入ってこなかった。彼女の目以外に集中がいかなかった。少し怖かった。生き物が話しているのを見ると、少しぞっとする。笑ったり、喜んだり、いろいろな感性を顔面に乗せて、楽しそうに言語を操る彼女に、嫉妬もした。「うらやましい」と思った。

「ねえ、聞いてる?」

 適当にあしらって、宿題をしてくるようにだけ伝えた。

 私と彼女を女として比較している自分が怖い。自身の娘に思うことではないが、彼女は見た目はそこまでよくない。おそらく、同じ時代に同級生として存在していたら、私のほうがモテていただろう。ただ、現時点では、若さに嫉妬を覚えることしかできない。無力な女に、無力な私に、何か感じたかった。

 続けて、旦那が帰宅してきた。

「ただいま、ご飯できてる?」

「おかえり、ハンバーグ作ったわよ」

「ありがとう、すぐいただこうかな」

 材料も安いもので済ませた、味付けが微妙なハンバーグを当たり前の用の主人の前に差し出す。中学生の頃の自分に言いたい。あなたが想像している食卓は、吐きそうなくらい質素だよと。

「会社で、新しいプロジェクトが立ち上がって、リーダを任されることになったよ!今後は、帰りが少し遅くなると思うから!」

 わが家の人たちは、聞いてもいないのに話を始める癖があるのか、主人も機嫌がよさそうにつらつらと会話を始めた。どうやら、仕事も板についてきて、大きいプロジェクトを任せてもらえているらしい。どうでもよかった。内容よりも、まだ人間として成長を重ねている主人と、当たり前を過ごすことしかできない私の差にイライラしてきた。

 よほど機嫌がよいのか、今日の彼は、ずっと仕事の話をしている。私の相槌を待たずに進めていく。

 結婚すれば、幸せになると思っていた。

 正解は、発情しないだと思う。発情しない生活がこれほどまでに色が無いとは思わなかった。最近は医療が発達しているから、今まで生きてきた年数をもう1回は最低でも繰り返すのだ。人間を捨てて、環境物のように、造形物のように、見た目を変えず、魂を持たず、発情せず生きていくのだ。主人の退屈な話を聞き流しながら、こんなことを考える。そういえば、ようやく今日が終わるな。





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