夢見る姫さまの秘密のお話
ミリスは、エリーナ姫の侍女です。姫さまの身の回りのお世話をしています。
年齢も近いので、侍女のなかでもミリスは特別姫さまと親しいのです。姫さまのことなら自分が一番よく知っている、と思っていました。
エリーナ姫は、この国の王さまの一番末の子どもでした。
金色の長い髪はつややかで、はしばみ色の瞳はいつもきらきらと輝いています。その美しさをうらやましがると「ミリスの黒髪も素敵よ」とやさしい言葉をかけてくれます。
そんな姫さまは、みんなにかわいがられて育ちました。
「わたくしは世界中の人と会って、お話ししたいわ。それに、年ごろになったら素敵な人を見つけるの。その人と恋をして愛を育んで、結婚するのよ」
ことあるごとに、エリーナ姫は周りの人たちにそう話しました。
けれど、王さまの美しい娘たちには、すぐに縁談が来るのです。姫さまの姉たちは、みんな年ごろには嫁ぎ先が決まっていました。
姉姫たちは、あきれたように末の妹に教えたものです。
「まあ、エリーナは夢見がちね。遠い国の人と話せるのは旅をする芸人くらいよ。わたくしたちは王族でしょ。結婚相手だって、早く決められてしまうから、恋する暇なんてないのよ」
こうして、エリーナ姫のことを、夢見る姫さま、とみんなが呼ぶようになったのです。
ミリスは、そんな姫さまがかわいらしくて大好きでした。
できれば、姫さまの願いを叶えてあげたいと思っていました。
ある日のことです。
ミリスは姫さまと他の侍女たちと一緒に、馬車に乗って森へ遊びに出かけました。
お城の外の空気を吸って、小さな動物たちと触れ合ったり、木の実を取ったりするのは、姫さまの楽しみでした。
ところが、知らないうちに普段は行くことのない沼地にまで来ていたのです。
姫さまはそこでおなかが空いてしまいました。ミリスは用意してきたりんごを渡そうとします。
しかし、沼のそばには赤い色の実がたわわになった木がありました。姫さまは、その実に気をとられてしまったのです。
「あの赤い実が食べたいの。一つ、もいできてほしいわ」
木の葉のすき間からのぞく真っ赤な実は、つやつやとして、とてもおいしそうに見えます。背の高い馭者が取りに行きました。
受け取った姫さまが手のひらに乗せて、かぷりとかじったところで、女の人の低い声がしました。
「わたしの大事な実を取って食べたね。なんてひどい娘だこと」
目をつりあげて怒った顔をした人が目の前に現れました。美しいけれど、どこか氷のような冷たさのある女性です。
沼のそばに住んでいるという魔女でした。
「まあ、ごめんなさい。あまりにもおいしそうだったものだから。代わりに、わたくしのりんごをあげましょう」
姫さまは謝り、ミリスは魔女へりんごを差しだしました。けれど、魔女はそのりんごを払いのけて怒鳴ります。
「わたしの赤い実を返しておくれ。そんな物じゃだめだ」
「でも、これしかないのよ。……そうだわ、わたくしのネックレスも差しあげましょう」
姫さまは小さなダイヤモンドがたくさん付いたネックレスをしていました。侍女たちはみんな、高価なものと知っていたので、あわてて止めようとします。
それでも、魔女が手を出すので、仕方なく侍女の一人がネックレスを持っていきました。
魔女はそれを取り上げると、不気味な笑い声をたてます。
「ふん。こんなものでごまかそうたってそうはいかないよ。お前は悪いことをしたんだ。罰として、呪いをかけてやるよ」
沼地の魔女は、悪い魔女だったのです。
「お前は十年間眠り続けるよ」
魔女は高らかに宣言しました。
大変な呪いに、みんな悲鳴を上げて、逃げ出します。急いで馬車に乗り込んで、馬は走り出しました。
侍女たちは、馬車のなかで姫さまを囲んで震えているばかりです。
そうして森を抜けるころ、振り返ると、もう魔女は追ってきていませんでした。
「呪いをかけられる前に、逃げられたかしら。眠くならないわね。大丈夫だわ」
姫さまがそう話したので、ミリスは心からほっとしたのでした。
ところが、その晩眠りについた姫さまは、翌朝起きなかったのです。
みんながいくら揺り動かしても、姫さまは目を覚ましません。ぐっすりと深い眠りについていました。
魔女の呪いは、効いてしまったのでした。
一年が過ぎました。
姫さまは変わりなく目を閉じていました。
ミリスは、ただ眠り続ける姫さまがかわいそうで、何度も泣いてしまいました。このまま十年たってしまうのかと思うと、胸が張りさけそうです。
なぜって、姫さまは今年で十六歳。お城の催し物にもやっと行ける年齢になったのです。それなのに、華やかな舞踏会の場で人と会って、ダンスを踊る楽しさも知ることなく、ずっと眠ったままなのです。
周りのみんなもたいそう心配していました。
王さまの従者たちが国のほうぼうを訪ねて、呪いの解き方を探し求めたりしましたが、成果はありませんでした。
沼地へ魔女を訪ねた者は、風と水の魔法で追い払われ、沼のそばへ近づくことさえできませんでした。
王さまは、ついに国中にお触れを出しました。
「エリーナ姫を眠りから覚ました者には、どんな褒美でもとらせる」と。
国の内外から人々がやってきて、呪いを解こうとしました。けれど、誰にも解くことはできません。
二年、三年と月日はたち、王さまもお妃さまもすっかり心がふさいでしまいました。
姫さまは、ばら色の頬をしていて、今にもはしばみ色の瞳を開いて、元気な声を出しそうでした。それなのに、三年もの間、ついに一度も起きることはなかったのです。
背が伸びたように見えることも本当は喜ばしいのに、ミリスは悲しくてつらくて、涙がこぼれるばかりでした。
そんなある日のことです。お城の門に、一ぴきのカメがやってきました。
門番が追い返そうとすると、カメは言いました。
「わたしは姫さまの呪いを解くために、ここまで来ました。どうか通してください」
一生懸命な様子に、門番はカメを王さまのところへ連れていくことにしました。
王さまはカメに会うと、尋ねます。
「カメであろうと姫の呪いを解ければ、もちろん褒美をやろう。できるか?」
「はい。カメのわたしが口にくわえられるくらいの小さな槍を作っていただけませんでしょうか」
「そんな物でよければ、すぐに作らせよう」
王さまはカメの言うとおりの物を職人たちに作らせました。
カメは、それを口にくわえる前に頼みます。
「それでは、わたしを魔女のいる沼まで運んでいただけないでしょうか」
カメはお城の馬車に乗せられて、沼地へと到着しました。従者たちが見るかぎり、魔女の姿はないようでした。
「魔女の魔道具が沼のなかにあると聞いています。それを見つけて壊してまいります」
カメは槍をしっかりくわえると、沼にもぐっていきました。
しばらく沼は、時折波がさわさわと立つくらいでしたが、やがて波紋が広がって、カメが浮かび上がってきました。
陸地に上がると、カメは槍を口から離して告げます。
「うまくいきました。わたしを姫さまのところへ運んでいただけませんか」
従者たちは信じられない気持ちでしたが、再びカメをお城へ運んでいきました。
そのころには、お城は大騒ぎになっていました。
姫さまが目を覚ましたのでした。
王さまはカメの姿を見つけると、喜びではち切れそうな顔をして、ねぎらいの言葉をかけました。
「すばらしい。そなたのおかげで姫は目を覚ましたぞ。褒美をやろう。何がいい?」
「その前に、姫さまに会わせていただけませんか。お元気な姿が見たいのです」
カメの言葉に、王さまは「うむ」とうなずきます。
「なかなか心あるカメだな。姫を気づかってくれるのか」
早速、部屋にいる姫さまにカメの話が伝えられることになりました。
ミリスは、姫さまが目を覚ましてくれて、嬉しくて嬉しくてなりません。どんなにこの日を待ちわびたことでしょう。
すぐに姫さまをドレスに着替えさせました。朝日を集めたような明るいオレンジ色のドレスは、少し背の伸びた姫さまにぴったりでした。
そうして、金色の美しい髪をとかしているところへ、使いの侍女がやってきて、話しました。
「今、呪いを解いたというカメが広間にいます。姫さまに会いたいとのことです」
それを聞いた姫さまは「カメのところへ向かいましょう」と身を乗り出しました。
そうして、カメを目にすると、姫さまは嬉しそうにほほえみかけました。
「まあ、カメさん。わたくし、やっと目が覚めました。お礼を申し上げます」
カメも姫さまを見つめながら話します。
「ここでお会いできるなんて、……夢のようです」
そこへ、王さまが呼びかけました。
「さあ、カメどの。褒美は何がいい? 好きな食べ物でもいいし、好きな場所に住んでもいいぞ」
「ありがとうございます」
カメは感謝の言葉を述べると、続けて話しました。
「それでは、褒美として姫さまと結婚させてください」
「何だと」
王さまをはじめ、その場にいた従者や侍女たちはみんな驚いて騒ぎ立てました。
ミリスも、カメの言葉が信じられません。こんな愛らしい姫さまのお相手がただのカメだと思うと、すっかり嫌な気持ちになってしまいました。
再び王さまは声を上げました。
「カメのくせに、姫と結婚したいだと。いかん、いかん。もっと他のことを申せ」
「王さまは、どんな褒美でもとらせるとおっしゃっていましたが」
「それでも、姫だけはだめだ。だいたい、カメと人間が結婚できるわけがないだろう」
「お約束を違えてしまいますよ」
「だめだ、だめだ」
王さまはかんかんに怒ってしまい、周りの者たちもカメを非難しはじめました。
ミリスも王さまの言葉のとおりだと思います。姫さまがカメと結婚なんてありえません。きっと、これだけ言われれば、カメも自分の願いを取り下げるでしょう。
「みなさん」
そこへ鈴の鳴るような声で呼びかけたのは、姫さまでした。
「みなさんは、わたくしがこのカメさんと結婚することを否定なさいましたね」
「当然だろう」
王さまが言い張り、周りの人たちもミリスももちろん、大きく首をたてに振ります。
姫さまは、にっこり笑って告げました。
「では、わたくしはこのカメさんと結婚します」
そうして、カメの甲羅をこん、と叩きました。
すると。
カメはあっという間に、青年に変わりました。栗色の髪と晴れた青空のような瞳を持つ美しい若者です。
驚いたような息がみんなの口からもれました。ミリスもことの成り行きについていけません。
「一体どうしたことだ」
王さまが問いただすと、青年は話しました。
「わたしは沼地の魔女が悪さをするので、討伐しようと兵を率いて向かいましたが、呪いをかけられて、カメになってしまいました。けれど、姫さまがそれを解いてくださったのです。わたしの呪いは、自分の望みを言い、それを否定された後に肯定されることで解けるものだったのです」
話を聞いて、王さまははっとしました。
「そなたは、もしや隣国のセルト王子ではないか。三年前、魔女を退治に出かけたあと、行方不明になったと聞いていたぞ」
「はい、そのとおりです」
王さまの言葉に、カメだったセルト王子は深くお辞儀をしました。
「なるほど、それならぜひ娘をもらってやってほしい。姫もそれでよいな?」
父である王さまに問いかけられて、姫さまは「はい」としっかり返事をしました。
ミリスはただ見守るしかありませんでした。
こうして、魔女の呪いから解放されたエリーナ姫とセルト王子は婚約しました。
国中の人たちが歓迎するなかで、姫さまの侍女のミリスだけは気持ちが沈んでいました。
姫さまは恋をして、その人と深く知り合い、その上で結婚するのが夢だったはずです。いきなりカメから変わった王子と婚約するなんて、何だかかわいそうな気がしてしまうのです。
そんなミリスの心が姫さまにも伝わったのでしょう。姫さまは自室でミリスと二人きりになったときに、声をかけてくれました。
「ミリス、何だか浮かない顔をしているわね。わたくしが眠りから覚めて喜んでいたのに、何か気がかりなことでもあるの?」
尋ねられて、ミリスは打ち明けることにしました。
「姫さまは夢見る姫さまと呼ばれるくらい、恋をして結婚することにあこがれていたのに、急にこんなことになってどうなのかと思います。姫さまの本当のお気持ちはいかがでしょうか」
姫さまは、はしばみ色の瞳を細めます。
「まあ、ミリス。気にかけてくれていたのね」
続けて、姫さまは告げました。
「わたくしは眠っているときに、夢でお告げを聞いたと話したわよね。城を訪ねてきたカメの呪いを解くようにと。その方法まで教わったと」
「はい」
ミリスをはじめ、みんなは姫さまからそう聞いていました。
「それって嘘なのよ」
「えっ?」
「みんなには秘密にしておいてほしいんだけど、約束できるかしら?」
「もちろんですとも」
ミリスがこう答えると、姫さまは語り始めたのです。
姫さまは、魔女の呪いで眠ったままになってしまいました。けれど、魔女の力は、夢のなかまでは届いていませんでした。姫さまは、夢のなかでは起きて動いて、どこへでも行くことができたのです。
三年もの眠りの間に、姫さまはいろんな人の夢に入ることができるようになりました。しかも、自分の姿を変えることもできたのです。
夢を見ている人は起きると、ほとんど夢を忘れてしまいます。夢を覚えていようと心がけなければ、だいたいみんな忘れてしまうものなのです。
姫さまは好きなように人の夢に入って、その人とお話しできるようになりました。不思議なもので、どんな人も夢のなかだとゆったりと穏やかで、素直にいろんな話をしてくれるのです。
気難しいはずの家庭教師の先生も、お茶を飲みながら、飼っているネコの話を楽しそうにしてくれました。
「ひざの上でなでていると癒されるわ」
「ごろごろとのどを鳴らして、甘えてくるのよ」
そんなことを、うっとりした表情で話すのです。
いつもの先生なら「きちんと覚えましょう」とか「しっかりとした教養を身につけるのです」などと真面目な表情で、勉強の話しかしないのに。
起きたときには、先生は何も覚えていません。
姫さまはびっくりすると同時に、夢のなかがとてもおもしろく感じました。
そんなある日、一人の青年と夢のなかで出会います。セルト王子だとあとで知りました。
王子さまは、悪い魔女を退治しようとしたのですが、呪いをかけられ、カメに変えられてしまったのでした。
カメの姿の王子さまは、誰にも見つけてもらえないまま、森に住みついていました。冬になると冬眠しなければならず、たくさん眠るうちに、姫さまと同じように夢のなかで動き回ることを覚えたのです。
二人は協力し合って、お互いの呪いを解く方法を見つけようとしました。
そのうち、魔女の夢にも入れるようになり、二人は別の人に化けて、とうとう魔女から話を引きだすことができたのです。
「眠りの呪いはねぇ、魔道具の鏡があるからできるのさ。わたしの魔力はほとんどその鏡から得ているんだよ。それがなければ、わたしはちょっとの魔法しか使えないし、この若さも失ってしまうわ。でもね、鏡は沼の底に隠してあるから割ることはできないんだよ。深いからね、誰もそこまでたどり着くような人間はいないのさ」
魔女は自慢げに話しました。
一方、動物に変身させるのは、昔から魔女ができる呪い、とのこと。
「急に王子がやってきたから、あわててカメにしてやったよ。わたしは、ああいう姿変えの魔法は、解き方なんて知らないよ」
何度も別の人になって、魔女に尋ねてみましたが、カメから人間に戻す方法は分からずじまいでした。
王子さまは提案しました。
「わたしがあなたの国の王さまに話して、魔女の目を盗んで鏡を割ろう。カメなら深い沼でも入れる」
「それではわたくしだけ呪いが解けます。あなたの呪いも解かなくては」
姫さまはその方法が分かるまで、王子さまが自分の父に会いに行くことはやめてほしいとお願いしました。姫さまは夢のなかで会ううちに、王子さまに恋をしていたのです。王子さまもまた、姫さまのことを愛していました。
二人は、変身の解き方も見つけることに決めました。
カメの姿なら、王子さまはさまざまな動物たちと話し合うことができました。そのうちに、毎年南へ行くというツバメに遠い国のことまで聞きだしたのです。
ツバメたちのうわさでは、南の国の王さまに仕える大魔法使いがいるとのこと。その人なら知っているのでは、という話でした。
そこで、姫さまと王子さまは夢に入りました。夢なら、どこの誰のところにでも行けるのですから。
手をつないで、とん、とん、とん、と夢から夢へと渡り歩くうちに、ついに二人は南の王宮の魔法使いの夢までやってきました。その人に教わって、やっと解き方が分かったのでした。
それから、魔女が沼を離れて里へ買い物に出かける日を待ちました。年に数回行くことがあると聞いていたのです。
二人は、その日を迎えるまでに計画を立てました。そこで、呪いが解けたときには結婚する、という約束も交わしていたのでした。
こんなことがあって、ようやくカメの姿の王子さまは、お城に魔法を解きにやってきた、というわけです。
「それなら、姫さまは王子さまと夢のなかでお知り合いだったということですね」
「そうよ。わたくし、ちゃんと恋をして婚約したのよ。決められたのではなくて、自分で決めて好きな人と結婚するの。でも、みんなの夢に入れるなんて、知られたくないわ。夢のなかで姿を変えて、誰とでも気軽におしゃべりしたりするのが楽しいのだもの」
眠っている間に、姫さまはずいぶんと楽しい力を身につけてしまったようです。
「だから、ミリスもこの話は誰にも言わないでね」
「分かりました。秘密にしておきます」
こうして、夢見る姫さまと呼ばれたエリーナ姫は、世界中の人と夢で話せるようになって、大好きな王子さまと結婚しました。
その数年後にはミリスにも素敵な人が現れ、結婚して、姫さまとは別のところで暮らすようになりました。
けれども、ミリスは時々姫さまと、楽しくお茶したりおしゃべりしたりしています。ミリスの夢のなかへ姫さまが会いに来てくれるからです。
朝起きたときに、うっかり忘れてしまうこともあるのですけどね。